第三十七話
「あの方は、本当に魔道具技師なのですか?」
「まあ彼奴は軽薄そうにしか見えないが、いや実際に軽薄だな。しかしああ見えて腕は確かだ。……む、この焼菓子は中々」
「わたしが頼んだパイも美味しいですよ。さすが人気の店ですね。もぐもぐ」
「大通りの店も捨てがたかったがな」
「それはフェリ様とのデートでご利用ください」
「おぞましいことを言うな」
ヨハンさんの工房を出たわたしたちは、大通り近くまで戻ってきていた。
まずは魔道具の移動からいうことになり、ブライル家の使用人が馬車に積んだ冷蔵装置を運んでくれることになったのだ。そして残ったわたしたちは馬車を待つ間、なぜかカフェでお茶をしている。
ちなみにブライル様はナッツと蜂蜜の焼菓子を、わたしは林檎のパイに舌鼓をうっている。
ブライル様は最初、大通りの立派なカフェを指定してきたのだけれど、どうかその辺りの店だけは勘弁してほしいと訴えた。貴族か商会のお嬢様方が多く利用する店など、平民のわたしが堂々と入れるわけがない。一度で懲りている。
ブライル様には、「私が貴族なのだから問題はない」とあえなく却下されかけたが、何とか粘って頼み込んだところ、渋々了承してくれた。
代わりにお連れしたのが、庶民の間で人気のこのカフェだった。ここは大通りからほど近いが、こじんまりとしており、雰囲気も庶民的なので貴族のお嬢様は滅多に来ない。
だけどメニューに載っているスイーツはどれも美味しいと密かに評判なのだ。今まで贅沢はできなかったので、わたしも来たのは初めてである。
「そもそも、何故お前はそんなにも大通りの店を嫌がるのだ?」
「それは……」
ブライル様は公爵家のご子息ということもあって、ご令嬢方には大変有名で人気らしいので、なるべく見つかりたくないのだ、と、出来ることならはっきり言いたい。
「こんな格好で貴族のお嬢様ばかりのところに乗り込む勇気はありません。だって場違いじゃないですか。エプロンを外しただけで、メイドのお仕着せと大した違いはないのですから」
「気にしなければいい。あの店にドレスコードはなかった筈だ」
「なくても気にしますよ。こんな平民丸出しの服を着てブライル様の近くにいたら、何と言われるか……。もちろん使用人にしか見えないと理解していますが、使用人ならこんな風に同じ席にはまず着かないではありませんか」
「それこそ気にしなくていいが……。フム、確かに場に合った服装というのは大事かもしれぬな」
何やら考える素振りを見せるブライル様。どうしてだろう、あまり良い予感はしない。
「ああ、では今度お前に服を買ってやろう。それを着ていけば、色々な店にも行けるだろう」
「何でそうなるんですか!? 要りませんよ、服なんか」
やっぱり碌なことじゃなかった!
仕立ての良い服を着たとしても、中身がわたしなのだから、どうやっても庶民感は消せないと思う。
そもそも、なぜブライル様から服をプレゼントされる謂れがない。
「まあそう言うな。食べてみたくはないか? 一流店の味を」
「一流店の、あじ……ですか?」
「そう、大通りのレストランに行けば、おそらく食べたことのない食材や知らない調理法などが目白押しだろう」
「う、うう……」
「残念だ。お前にとってさぞかし勉強になると思ったのだがな。延いては雇い主である私の為にもなるので、もちろん食事代は経費だ」
「ま、まあ、ブライル様がそこまで仰るのですから、一度くらいなら……」
「ではその際はエスコートをしてやろう。女性を一人で行かせるなど無粋な真似はせぬ」
「……お願いいたします?」
こうしてブライル様とレストランに行くことが決定しましたー。
どうしてこうなったのだろう。解せぬ。解せぬけれど、なぜわたしが断れなかったのか、その理由はわかる。
先日クリス先輩について行った本屋で見た、料理の専門書が忘れられないからだ。
あの時は、色々あって集中して見れなかった。もう一度読みに行こうにも平民が店に入るにはかなり勇気がいるし、それに買うとなればとんでもなく高額な商品だ。わたしには手が出ない。
そこに今のような誘いがあれば、乗ってしまってもおかしくはないと思うのだけれど、どうだろう。
「何というか、簡単だな、お前は」
「は?」
「美味いものを食わせてやると言われれば、ひょこひょこ誰にでも付いて行きそうだ」
「行きませんよ、失敬な。わたしだってちゃんと人を選びます」
「どうだか。そのくせ鈍いのだから、始末が悪い」
「本人を目の前にして悪口ですか? ずいぶんと良いご趣味をお持ちですね」
「だから鈍いと言っているのだ」
「はい?」
その後も鈍いだ単純だと散々悪口を言ってきたので、申し訳ないが聞き流すことにした。これをまともに相手をするのは、精神衛生上よろしくない。
美味しい物を食べて幸せな気持ちなるはずのカフェなのに、苦い気持ちにさせられる時間を過ごしてしまった。ああ、もったいない。
店を出た後は、市場に寄って行くので先に戻ってほしいとブライル様に伝えた。しかしまたしてもついて行くと言ってきたので少し驚いてしまった。そんなに市場が気に入ったのだろうか。なかなか庶民派なお貴族様である。
仕方ないのでブライル様を連れたまま、馴染みの店を何軒か回り、そして買い物ついでに軽く世間話もしていく。どこどこの娘さんが結婚したとか、あの店の女将さんが体調を崩してるとか、あそこの酒場で喧嘩があったとか。たわいもない話でも、こういった場所での交流は大事なのだ。
それをブライル様は後ろでおとなしく聞いているけど、こんな話に興味のかけらもないだろうに、退屈ではないのだろうか。ちらっと様子を伺うが、何となく楽しんでいる雰囲気が感じ取れたので、余計な言葉はかけないことにした。
そして研究所に戻ると、早速厨房に飛び込んだ。
最初に目に入ったのは、やはり片隅に設置された冷蔵装置と冷凍装置の箱だ。作業の邪魔にならず、動線の良い場所に置かれている。ブライル家の使用人さん、ありがとうございました。
ヨハンさんの工房から魔石は取り付けたままにしていたので、中は充分に冷えていた。そこに頭を突っ込んで、冷たさを堪能する。
「うあーーーーーー、ひんやり気持ちいいーー! 夏はこの中で過ごしたいーーーーー!」
「リリアナちゃん、何をしているの?」
「フェリ様!」
そこに、箱に頭を入れて唸るという奇怪な行動を取るわたしを見て、怪訝な表情をなさるフェリ様が現れた。しかし何も見なかったかのように、一瞬で美しい笑顔を浮かべるところは、さすがのスキルである。
「まあ! それがリリアナちゃんご所望の冷蔵装置ね」
「はい。冷凍装置もありますよ」
「じゃあ前に言ってた氷菓子が作れるのね。ジルもクリスくんも喜ぶわ」
「フェリ様も召し上がってくださいね」
「ええ、もちろんよ」
「それはそうと」と、突然フェリ様の笑顔が困ったような表情に変わった。
「あのね、ジルが戻ってくるなり、女物の衣装を仕立てるから店を紹介しろって言ってきたのだけど」
「ああ」
先ほど、わたしに服を買ってやるとか言っていた話ですね。しかし仕立てるとは聞いてないのですが。わたしには既製品が上等です。
「そんなもの執事に頼みなさいって答えたら、それが家の者には内密の案件なんですって」
「へぇ、そうなのですか」
確かに執事さんにお願いしたら、家族にまで話が届いてしまうかもしれない。弟子といえども女に服を与えるとなると、変に勘違いされる可能性もある。ブライル様はそこまで考えたのだろう。
「何故それを内緒にしなきゃいけないのか。何故普通の女性ではなく、私に話を持ってきたのか。しかもちょっと楽しそうなのよ、あの男が! 女性にまったく興味がないあの男が!」
「はあ」
「だからね、私わかっちゃったのよ」
すべてまるっとお見通しだと言わんばかりの言葉に、少しドキリとしてしまう。
「……な、何がでしょう」
「ジルってばもしかして、密かに私の女装に憧れているんじゃないかしら!」
「…………は?」
フェリ様、それは「ない」です。




