第三十四話
そこからはいつもと同じ雰囲気で、慰労会という名の夕食は進んでいった。
ブライル様とフェリ様はワインと一緒に楽しみながら、クリス先輩はきちんとマナーを守りつつも素晴らしい速さで料理を平らげていく。
そして皆から料理への賛辞を貰い、楽しくお喋りを交した。今回の依頼の一連を笑い話に変えたりして、本当にいつもと変わらない楽しい晩餐である。
食後のデザートに、果物をちりばめたタルトを出すと、案の定ブライル様の眉は激しく動き、クリス先輩の見えない尻尾が振り回された。しかしそれを素直に好きとは言えないところに、思春期の少年ゆえの葛藤があるのだろう。
爽やかな甘さのタルトに舌鼓を打ち、食後のお茶を飲み終わる頃には、かなりの満腹になっていた。
そして少々酔っ払った様子のフェリ様とたらふく食べたクリス先輩は、ご機嫌なまま帰宅していった。
残ったブライル様は研究室に向かうようである。今日は休日だというのに仕事熱心な方だ。そんなところは純粋にすごいと思う。
「二号、後で研究室に来るように」
ただし、こんな指示をして来なければ。
手早く片付けを終わらせると、毎夜勉強を始める時間と同じ頃合いだった。
嫌だな、と思う。行きたくないとも。
だけど態々呼び付けるくらいなのだから、何か用事があるのだろう。
逃げ出したい気持ちのまま軽く扉を叩くと、奥から、入れ、と聞こえてきた。そこでやっと腹をくくる。
「……失礼します」
中に入ると、机に向かう背中が見えた。どうやら書類を纏めているようだ。
魔法薬の依頼が来ても、薬を作成すれば良いだけではなく、色々な書類も提出しなければならないらしい。
ペンを置いたブライル様が振り返り、わたしと視線を合わせると、どきりと心臓が鳴った。
「き、今日は勉強しませんよ。せっかくの休日なんですから」
「そうではない。とりあえず座れ」
それをどうにか誤魔化そうと、茶化すように言ったのに、真面目に否定された。
しょうがないので、言われた通り目の前の椅子に腰掛けた。ああ、落ち着かない。
さて何から話そうか。
そうブライル様は仰った。話す事柄が定まってないなんて、彼にしては珍しい。
「そうだな。今回、お前には一番世話になった」
「いいえ。先ほども言いましたが、わたしは皆様のお手伝いをさせてもらっただけです」
「それでも私たちにとって、特に私にとってお前の存在は大変役に立った」
「野営の際の食事面でですね。でもそれはどちらにも利があるからと……」
「魔石という理由は後付けだ。それがなくとも、最初からお前を連れて行く気だった」
「ええ!? そうだったのですか?」
初耳だ。いや、ブライル様も初めて口にしたのだろう。それだけ食事に対して、深い思いがあるのだ。
「危険且つ慣れない場所での作業を押し付け、本当に申し訳ないことをした。しかしお前の能力や人となりがわかったので、私としては良かったと思っている」
「わたしの、ですか?」
「ああ。一見お前は常識的に見えて、予想出来ない行動をとる」
「そんなことはありませんよ。わたしは普通に常識のある人間です」
「それに自分への危険を顧みずに無茶をする傾向にある」
「あ、本人の見解は無視する方向なんですね?」
それ以外にも、次々とわたしの評価を下してくれる。
以前より魔力の量が増えていることや、魔法の応用について、野外でもどうにかお菓子を作ろうとする姿勢等々。
雇い主として、研究所の責任者として、色々と見ておかなければならないことがあるのだろう。
「それに」
一瞬晒した視線を、再びわたしに戻す。そしてわたしが旅の最後に打ち明けたことに触れた。
「辛い過去を思い出し、それを話す勇気がある」
「……それは、違いますよ」
「どう違うのだ。普通ならそういうことは隠しておきたいものなのではないか」
「普通の苛めならそうかもしれません。だけどわたしは魔憑きです。平民の間で魔憑きがどう扱われているのか、ブライル様に、というかお貴族様に知って貰いたかっただけです」
「では何故悪感情を持つ奴等の話だけに留めなかった。お前たち家族に良くしてくれた人間の話まで聞かせたのだ」
「それは……」
「私には到底理解出来ないが、それだけの仕打ちをされて尚、お前はすべての村人たちを心の底から憎んではいないのではないか?」
ブライル様の言葉に、思わず動揺してしまう。すると過去の記憶が、幸せだった記憶が次々に蘇ってくる。
「だって……、だって皆優しかったのです! わたしが魔憑きだと発覚するまで、本当に良くしてくれていたのです。だから嫌いになりたくなかった……」
村の人たちも、最初から冷たい態度を取っていたわけではなかった。彼らは魔憑きという得体の知れないものを、只々恐れていただけだ。
辺境の地で大した情報も入って来ず、聞こえてくるのは魔憑きが魔物に近い存在であるという噂だけ。ならばその噂が、いつか魔憑きは魔物に変わる、というものに変化していっても別段おかしくはないと思う。
そしてそれが自分や大切な家族に危害を加える可能性があるなら、誰だって排除しようとするのは、ごく自然な行為である。
「わたしがいつか何かを憎むのだとすれば、それは噂を放置している国であり、魔憑きに良くない感情を持っている貴族です」
他の魔憑きのことは知らない。だけどわたしは何もしていない。ただ少し魔力を持っているだけだ。
そう言い放ったわたしを見つめ、そうか、とブライル様は呟いた。
自分でも、貴族のブライル様に何ということを言ってしまったのかと思う。だけどブライル様は、わたしにどうにか本心を言わせようとしているのではないか、そう感じたのだ。だからわざとわたしの過去に触れたのではないだろうか。
ブライル様たちが魔憑きに対してどう思っているのかはわからない。
だけどわたしを側に置いてくださっているという事実で、そう悪い感情は持っていないのだと願いたい。
「いくつか聞かせてほしい。お前の父親は村の出身だと言ったな。村から一度も出たことはないと」
「え? ええ、そう言いました」
「では、母親はどうだ。お前の母親は同じ村の出身なのか?」
突然母親のことにまで触れられて驚いてしまう。
「なぜ今、母のことが関係あるのですか」
そう問えば、ブライル様は目を瞑り小さく息を吐いた。それが何か覚悟を決めたようなものに思えて、慄いてしまう。
そして再び開かれた菫色が、わたしを捕らえた。
「お前を雇う時に言ったであろう。出来る限り守る、と。あれはお前を私のもとに置く為の契約のようなものだった」
確かにそうだ。あの言葉があったから、わたしはブライル様のもとで働くことを決意した。
目の前にあるブライル様の大きな手が、そっと持ち上げられる。
「だが今は違う。私は自分の意志で、お前を守りたいと思っている。いや、守ると決めたのだ」
「ブライル、様?」
「何故こう思うのか、私自身わからない。しかしお前が憂いていること、それを私も共有したい。そう思っては駄目か?」
そしてそれは、わたしの手を掴んだ。
「!?」
昼間の感覚が、喚び起こされる。心が熱くなり苦しくなる、訳のわからないあの感覚。
「幸い私は魔法局に在籍している。魔憑きのことも、何かわかるかもしれない。だから正直に話してほしい。どんなに些細ことや見当外れに思えることが、解明のきっかけになるか知れない。もう一度問おう。お前の母親は、その村の出身だったのか?」
ブライル様が、なぜこんなことを仰るのかがわからない。そして自分がどうしたら良いのかもわからない。
ただ問われたことを素直に答えるしか出来ない。
「母は、母は……違います。あの村とは別の所から来たそうです」
「ではお前は、母親の出身を知っているか?」
「い、いいえ。知りません。尋ねたことはあるのですが、遠い場所としか……」
そうか、と一言呟いて、ブライル様は何かを思案をするように黙り込んだ。
どうにも嫌な予感がする。
「……もしかしてブライル様は、母が、わたしの母が魔憑きに関係あるとお考えですか?」
「そうではない、可能性の一つだ。母親の出身地がわかることで、何かの可能性が出てくることもあり、潰れることもある」
安心させるように、そう言ってはくれたが、わたしの不安がすべて消えることはなかった。




