第三十二話
食事が終われば、買い出しという名の散策が始まる。はぐれない間隔で、各々興味のある店へと向かった。
クリス先輩が足を止めたのは、豚肉を専門に扱う店だ。豚ならどんな部位でも置いてある。養豚場直営の店なのかもしれない。
「リリアナ・フローエ、何だあれは!?」
「ああ、豚の鼻ですね」
「鼻!?」
「あ、豚足もありますよ」
「ほ、本当に? 平民はそんな物までたべるのか?」
「わたしは食べたことないので知りませんが、意外に美味しいらしいですよ。一度試してみます?」
「い、いやさすがにあれは食べるが気しない」
お肉大好きクリス先輩でも無理らしく、逃げるように別の店へと走って行った。
「リリアナちゃん、見て! ハーブがたくさん売っているわ」
フェリ様は様々な花やハーブに囲まれていた。まるでそこだけが花園のようだ。ならばフェリ様は、さしずめ花園に現れた妖精かしら。
「フェリ様はハーブがお好きなのですか?」
「ええ、ハーブを使って色々作るのは好きよ。リリアナちゃんの部屋にある香油も、私が作ったの」
「そうなのですか!? あの香油を使うと、髪がすごくサラサラで柔らかくなるのです」
「香りも爽やかで良いでしょ? でもリリアナちゃんには、もう少し甘い香りが似合うかしら。そうすると組み合わせは……」
歩きながらもブツブツと配合を考え始めたフェリ様は、妖精などではなく、やはり研究者なのだ。先ほどと顔付きが全然違う。
さてブライル様は、と振り返ると、後ろの方の店で立ち止まっていた。
「何か珍しい物でもありましたか?」
「これを見てみろ、二号」
そう言って差し出してきたのは桃である。まるで林檎のように真っ赤に熟れた桃。ブライル様が見ていたのは果物屋さんだった。
「果物というのは、実に可能性に溢れている。そのまま食べても美味い。絞ってジュースにしても良い。タルトやケーキ、ジャムだって作れる」
「そうですね。コンポートにすれば色々使えますし、ゼリーや氷菓子も美味しそうですね」
「素晴らしい。冷蔵装置の製作を急がなければならないな」
「あれ? そういえば、フェリ様とクリス先輩は……」
思い出して、二人が居るであろう方向を見るが、その姿はどこにもなかった。しかもいつの間にか人が増え、この中から探し出すのは至難の技だと思われる。
「どうやら、はぐれちゃったみたいですね」
「そうだな。偶然出会えればそれで良いが、この人混みでは難しいだろう。まあ迎えの馬車が来る場所に戻れば、いずれ彼奴らもそこに戻ってくる」
「それもそうですね」
探すのも大事だが、先に買い物を済ませたい。昨夜から今朝にかけて、大体の仕込みは終わらせてあるので、買う物自体は少ないのだけれど。
とりあえずなるべく近くで買い物を済ませ、まだ果物を物色しているブライル様に、最後に香辛料を見てくると声をかける。
適当な店を覗くと、そこはたくさんの種類の商品が売られていた。
おお、この店の品揃えは素晴らしい。最近は南国や東国とも交易が盛んに行われいると聞いたことがあるので、この香辛料は交易品かもしれない。
見たこともない品を物珍しく眺めていると、突然後ろから肩を掴まれた。
「きゃあ!」
「リリアナじゃないか!」
「え、アヒムさん?」
振り返った先に居たのは、食事処のお客さんの一人。それもなかりの常連さんだ。歳が近いせいか、常連のお客さんの中でも良く声をかけてくれていた。
確か、香辛料を扱う商会の息子だったような。それなら彼がここに居るのも納得できる。
「お前、今どうしてるんだ? エッボさんたちに聞いても、わからないの一点張りだし。俺もエッボさんたちも、めちゃくちゃ心配していたんだぞ」
エッボさんというのは、わたしが働いていた食事処の店主で、料理の先生でもあるおじさんだ。その名前を聞くだけでも、不義理をした手前心苦しい。
「ごめんなさい。ちょっと事情があって……」
「店を辞めたって聞いた時は驚いたよ。エッボさんの下で働くの、すごく楽しそうにしてたから」
「そうね、楽しかったわ」
おじさんには怒られながらも、毎日いろんなことを教えてもらった。そして上手く料理が出来た時は、おばさんが優しく褒めてくれた。
お客さんも気が良い人が多くて、とても居心地の良い場所だった。
「なら戻れば良いじゃないか。何か問題があるなら、俺も協力するよ。リリアナに会えないのは辛いんだ」
そう言って、アヒムさんはわたしの手を握った。それを見て、思わずギョッとしてしまう。
「何をしている」
「ひゃ、ブライル様!?」
そこに突然現れたブライル様に、わたしは飛び上がるほど驚いた。アヒムさんは声をかけてきた男がわたしの知り合いだとわかると、訝しげにブライル様を睨んだ。
「リリアナ、こいつは?」
「えっと、この方はわたしの雇い主なの」
「雇い主? じゃあ今はこの男の元で働いているのか?」
「そうよ」
冷ややかな目で睨み返したブライル様は、無言のまま視線を落とし、わたしの手を握っているアヒムさんの手を叩き落した。そして奪い取るように、わたしの手を取った。
「な……っ!?」
「ブライル様!」
「私のものに気安く触らないでもらおうか」
そして何を思ったのか、とんでもなくことを言い出した。
私のものって何!?
いつの間にわたしはブライル様のものになっていたのだ!?
「こいつのものって、リリアナ、お前……」
「ち、違う違う違う!」
「来い、二号」
「ちょっと待て、何だよ二号って……!?」
アヒムさんの引き止める声を無視して、ブライル様はどんどん進んでいく。そしてあっという間に見えなくなった。
わたしも小走りでついて行くが、止まってくれる気配はない。
「ブ、ブライル様!」
「何だ」
「何なんですか、さっきのは」
「さっきの?」
「わ、わたしがブライル様の……もの、というやつです」
恥ずかしいから言わせないでほしい。でもそこまで言うと、ようやくブライル様は止まってくれた。
だけど手は離してくれない。繋がれた手がビリビリする。小走りだったせいか、心臓までドクドクしている。
振り返ったブライル様は、その菫色の瞳にわたしだけを取り込み、口を開いた。
「お前は今、誰の管理下にいるのだ」
「それはブライル様ですけど……」
「ならば私のもので、間違いないではないか」
「そう、なのですか?」
クリス先輩が居たら、違う! とはっきり否定してくれた筈なのに。しかし残念ながら、彼は今絶賛迷子中なのだ。
そしてわたしは心臓がうるさくて、上手く思考出来ない。だからそんなことを言われて、うるさいはずの心臓が温かくなって、そして良くない感情が溢れてきそうになって、すごく怖い。
「……ブライル様、手を離して下さい」
「はぐれたら困る」
「でも……」
「嫌なのか?」
「嫌ではありませんけど……」
この前繋がれたのはいつだったか。そうだ、村でカーヤちゃんと話した後だ。
あの時は気持ちが沈んでいて、気にする余裕がなかった。
だけど今は違う。ブライル様のものと宣言されて、それでも何も思わないなんてことはない。そしてどうして良いのかがわからなくなっている。
「さっきの男には握らせたままにしていたではないか。何故私は駄目なのだ」
「だから、それは……」
心臓が壊れそうだから、とは言えない。
アヒムさんに触られても何も思わなかった。むしろちょっとだけ嫌な気持ちになった、かもしれない。
なのにブライル様に触れられると、ビリビリして、ドキドキして、泣きそうになる。
何も言わないわたしを見て、ブライル様は再び歩き出した。今度はいつもの様にわたしの歩幅に合わせてくれる。
それでようやく息が吐けた。
「先ほども言ったがな、お前はフェリクス仲が良過ぎる。しかもいつの間にかクリスとまで」
「……先輩は、お肉に釣られたのでしょうね」
「今の男とも、やけに親しげだったじゃないか」
「アヒムさんは、前に働いていた店のお客さんだったのです。あれ? じゃあブライル様と一緒ですね」
そう言うと、ムッとしたような顔をした。気に入らなかったらしい。
「ただの客に手を握られるのか?」
「あれは……そうですね、向こうは友達になりたかったのかもしれません。遊びに行こうと何度も誘ってくれましたし」
「遊びにだと!?」
そう。アヒムさんには、よく食事や遊びに誘われた。ただし料理の研究で忙しいのとお金がないので、全部断ってはいたけれど。
「行ったのか?」
「え」
「遊びに行ったのかと聞いている。」
「行ってませんよ。お金ないですし」
「そんなもの男が出すに決まっている」
「そうなのですか? 友達と遊ぶだけなのに?」
「彼奴がお前との友人関係など求めている筈なかろう。男が女を誘う時は、必ず何かしらの下心があるものなのだ」
「し、下心!?」
またしてもブライル様は、とんでもないことを言い放った。




