第三十一話
そして慰労会当日。
昼前にフェリ様が迎えに来てくれた。ギリギリまで準備をしていたので、慌てて玄関に向かうと、
「遅いぞ、二号」
「そうだ、先生を待たせるなんて許されない行為だからな」
「……お二人は何をなさっているのですか?」
なぜかブライル様とクリス先輩の姿が。
えっと、わたしはフェリ様に付き添いをお願いしましたよね。フェリ様だけに。
「何とは何だ。買い出しに行くのだろう?」
「先生の行く所なら、僕はどこへでもついて行くに決まってるじゃないか」
「ああ、理解しました」
きっとブライル様は、買い出しの付き添いという名目で、城下散策をしたいのだ。そしてクリス先輩は、その言葉の通りだろう。師匠大好きっ子め。
そういうわたしも買い出しという名目で、フェリ様を城下へお連れする算段だったのだけれど。
来てしまったものはしょうがないので、四人で城下へ向かうことにした。しばらく走り、前と同じ所で降ろしてもらう。
昼時だけあってやはり人が多く、活気に溢れている。久しぶりの城下の雰囲気に、フェリ様はとても嬉しそうだ。
ブライル様はいつも通りで、大して表情は変わらない。それもそうか。わたしが前に働いていた食事処にも一人で来ていたのだから、城下には慣れているのだろう。
クリス先輩は物珍しそうにキョロキョロしているが、嫌そうな素振りはない。
良かった。これならこの三人を連れていても、面倒にはならないだろう。
「まずは昼食だな」
そう言われてハッと気付く。
予定ではフェリ様と二人だったので、また屋台でいくつか買って食べようと思っていた。しかしこの二人、特にブライル様が屋台とか有り得ないのではなかろうか。
その前に、フェリ様に屋台の物を食べさせたことがバレたら怒られるかもしれない。いや、でもブライル様だって、村の宿屋で普通に食べていたし。だけどさすがに屋台はダメかしら……。
「どうした」
「い、いえ。昼食を取る食事処を、どこにしようかと考えていたのです」
「あら、別にこの前みたいに屋台で良いんじゃないかしら?」
「フ、フェリ様!?」
自ら暴露したフェリ様を慌てて止めようとするが、ブライル様は聞き逃してはくれなかった。
「屋台だと?」
「そ、それはですね……!」
「面白いではないか。二号、昼食はそれにするぞ」
「は?」
「先生!?」
びっくりしたのはわたしとクリス先輩だ。まさかブライル様が屋台に食い付くとは思ってもみなかった。
「待ってください、先生っ。ちゃんとした食事処があるんですよ? それがどうして屋台なんかになるんですか!」
激しく同意だ。
しかしブライル様は譲る気はないらしく、もう市場の方向から目を離さない、離してくれない。
「そういう普通の食事ならいつでも食べられる。しかし屋台など、立場上滅多に立ち寄れる場所ではないからな」
「それは確かにそうですけど、先生は公爵家の……」
「では二号、案内しろ」
クリス先輩が言おうとする正論を無理やり遮って、ブライル様は歩き出した。まあ本人が良いのなら構わないですけどね。
今回は男性がいるので、いくつかの種類を買ってみようと提案すると、全員一致で賛成だった。滅多に立ち寄れない分、一気に堪能しようという切実な思いが伝わってきた。泣ける。
「じゃああの店から回りましょうか」
「あれは何を売っているのだ」
「揚げパンのお店ですね」
パン生地の中に香辛料を効かせた肉と野菜を詰めて、油で揚げた物だ。きつね色に染まったそれは、揚げ物特有の香ばしさと甘さ、そしてかぶりついた側から溢れてくる食欲をそそる香辛料の香りと肉の旨味が後を引く人気商品だ。
「ほう、美味そうだな。買っていくか」
「そうですね。おばさーん、揚げパン二個ちょうだい」
「あいよ、ちょっと待っておくれ」
注文した数を聞いて、クリス先輩がなぜ二個なんだという顔をした。色々買うのだから、分ければ良いだろう。一人一個も食べると、すぐにお腹いっぱいになってしまう。
出来上がったばかりのパンを受け取ると、香りが立ち込める。しかし揚げたて、さすがに熱い。するとブライル様が横からパンを奪い取っていった。
「まあ! すごく美味しそうね」
「リ、リリアナ・フローエ。これはいつ食べれるんだ?」
「もう少し待ってください。まだ一品しか買ってないですよ。次は、串焼きにでもしますか?」
「串焼き!」
クリス先輩がわかり易い反応を示した。わかりますよ、お肉大好きですものね。
近くの串焼き屋さんに向かうと、甘辛いソースが焼ける良い香りが漂って来た。
「おい、これは一本全部食べるからな!」
揚げパンの数に不満があったクリス先輩が、自分の食欲を主張してくる。まあ食べ盛りですし、了解しました。
「じゃあブライル様と先輩は一本ずつで、フェリ様はわたしと半分こしませんか?」
「そうね、それが良いわね」
ブライル様の眉がピクリと動いたのが見えた。一本丸ごと食べれるのが、そんなに嬉しかったのだろうか。
その後もいくつかの屋台を回った。
そして皆の両手が塞がり、さてどこで食べようか考えているところに、さっき買った屋台のお兄さんが、自分の店の前で食えと、テーブルと椅子を用意してくれた。
「ありがとう、お兄さん!」
「良いってことよ。こんな可愛いお嬢さんを立たせたままってのは、男の沽券にかかわるからな」
「わあ! フェリ様の美しさはどこに行っても変わらないのですね」
パチパチと手を叩く。
貴族だけでなく、一般庶民まで虜にしてしまうとは。
「い、いや、その姉ちゃんもえらいべっぴんだけどよ。俺はアンタの方が……」
「主人よ。場所の提供は感謝するが、戯言はそれくらいにしておけ。これからも王都で仕事を続けたいのならな」
ブライル様がお兄さんの冗談を冗談で諭してくれた。しかし機嫌の悪そうな表情も含めて、冗談の言い方がまるで悪役である。
すぐにお兄さんは真面目に仕事しだしたので、お言葉に甘えてテーブルを使わせてもらう。
揚げパン、串焼き、クレープ、ピクルス、ラクレット、果実水。
たくさんの種類がテーブルを埋め尽くす。
どうやって食べれば良いのかとクリス先輩に聞かれたので、ピクルスとラクレット以外は手で持ってかぶりつけば良いのだと答えた。しかし貴族としての矜持があるのか、手を出すことに躊躇している。
しかしそれより食欲が勝ったのだろう。いの一番に串焼きにかぶりついた先輩が唸る。
「美味いっ」
「良かったですね」
食事処でなくても美味しい食事は取れるのだ。いくら屋台料理だとはいえ、皆に喜んでもらう為に日々試行錯誤しているのは、どこも同じである。
ブライル様は、最初に買った揚げパンに手を伸ばした。そして一口食べると、眉がピクリと動いた。
「中々興味深い味だな」
「素直に美味しいって言えば良いのに」
フェリ様が呆れたように肩を竦めながら、クレープに噛り付いた。小麦粉の生地を薄く焼いた中に、ハムとチーズ、それにトマトとルッコラを入れたものだ。美味しくないわけがない。
「この前食べたのも美味しかったけど、これも良いわね」
「ああ、薄切り肉のサンドイッチですね。あれもまた食べたいですよね」
そんな話をしていると、ブライル様の眉間に皺が寄っていく。どうしたのだろう。
「ん! リリアナちゃん、串焼き美味しいわよ」
「本当ですか? わたしも一口ください」
「はい、あーん」
「あーん。……んんっ、すごくジューシーですね!」
「でしょう?」
わたしたちのやり取りを見ていたブライル様が、眉を顰めたまま、自分の分の串焼きを差し出してきた。もちろん食べかけである。
「二号、これも食べるか?」
「え? 別に良いですよ。わたしはフェリ様と分けっこしてますから」
そう遠慮すると、目の前からぐぬぬと聞こえてくる。そしてブライル様は、その串焼きを置いて、わたしに向き直った。
「以前から思っていたのだが」
「はい」
「二号、お前はフェリクスと少々親密過ぎるのではないか?」
「わたしたちがですか? そうですね、仲良くさせていただいています」
「ねー」
にっこり微笑むフェリ様につられて、わたしも笑う。
「だが、いくら仲が良いとはいえ、食べ物を分け合うのはどうかと思う。まして口を付けた物など……」
「私たちが気にしなければ、別に良いじゃないの」
「しかしお前は男だろうが」
「……ああ、そういうことね」
察したとばかりに、フェリ様が頷いた。
「どういうことですか?」
「ジルはね、男の私が口を付けた物を、可愛い女の子のリリアナちゃんが食べるのは良くないと言っているのよ」
「はあ、そうなのですね。でもわたしにとってフェリ様は、優しく素敵なお姉さまのような方ですし」
「何がお姉さまだ。せめてお兄さまだろう。そもそも他人ではないか」
「私もリリアナちゃんを可愛い妹のように思っているわ」
「フェリクス、お前に可愛い妹は居ない。居るのは喧しい姉だ」
何だか今日のブライル様は、いちいち突っかかってくる。虫の居所でも悪いのだろうか。
「それにブライル様だって、先ほどご自分の食べかけの串焼きを、わたしにくださろうとしましたよね? 男性なのに」
「そ、それは……」
「アハハ、ジルの負けね!」
なぜかフェリがお腹を抱えて笑い、ブライル様は肩を落とし、そしてクリス先輩は余っているブライル様の串焼きをじっと見つめていた。
なかなか賑やかな昼食である。




