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第二十七話

 こういった経験を持つ人間は、案外多いのだ。探せば、きっと至る所に居るだろう。程度の違いはあるにせよ、貴族の世界でもそう変わりはないに違いない。

 なのでブライル様は、さして驚いた様子もなく、わたしを手を取り、いつもより早足で歩き出した。

 そうだ、早く帰る用意をしなくては。フェリ様たちが待っているのだから。

 いつもなら手を握られたことに、とても慌てると思うのだけれど、今はなぜかそんな気持ちにならなかった。




「お前が苛められていたのは魔憑きが原因か?」


 馬車が動き出し、しばらくして、ブライル様は口を開いた。わたしも聞かれるとわかっていたので、何の抵抗もなく答えることが出来た。


「ええ。村の子供たちに、魔憑きは魔物だ、悪魔だ、なんて言われて、よく小突かれていましたよ。あとは泥をぶつけられたり、汚い水をかけられたり、髪を結っていたリボンを取られたり」


 子供というのは本当に無邪気で残酷で、新しい遊びのように苛める方法を思いつくのだ。しかしその方法を試される側は、たまったものではない。


「泥は洗えば落ちるからまだ良いのですが、リボンを取られるのは本当に嫌でしたね」

「リボン? 何故だ」

「わたしの母も体が弱くて、臥せっていることが多かったんです。だけど頑張って、毎日髪だけは結ってくれて。その母がくれたリボンだから、とても大切にしていたのです」

「そうか。思い出の品なのだな」

「だけどそのうち起き上がることも難しくなって、髪を結ってもらうことは出来なくなりました。嫌がらせが繰り返されるうちに、リボンも無くなってしまって……」


 いじめっ子に食ってかかったりしながら、思いつく限り必死で探したけれど、結局見つかることはなかった。

 あのリボンはどこにいってしまったのだろうか。人知れぬ場所で、寂しく朽ち果ててしまったのだろうか。

 そんなことを思うと、少し悲しくなる。

 見上げれば、昨日までとは打って変わって、空は曇天だった。こんなつまらない話をするにはちょうど良い、そんなことを思ってしまう。


「成長するにつれて、子供たちからの苛めは、少しずつですが減っていきました。だけど今度は村の大人たちが、わたしの両親に酷いことを言ってくるようになったのです。ううん、わたしが知らなかっただけで、昔からずっと言われていたのだと思います」

「その者たちは何と?」

「えーっとですね、魔憑きを育てる異常者め。魔憑きを産んだ異端者め。魔憑きはいつか魔物になって村を破壊するから、早くわたしを殺せ。それが出来ないなら、魔物の棲む森に捨ててこい、とかですかね」

「分別のつく大人とは到底思えない、中々に陰惨な発言だな」

「ええ、両親には本当に辛い思いをさせました」


 淡々と答えるわたしとは裏腹に、ブライルの美しい無表情がみるみる歪んでいく。

 お願いですから、そんな顔をしないでください。ブライル様が心を悲しませる必要はないのです。


「お前こそ辛かったのではないか。実際に何か被害をもたらしたわけではないのだろう?」

「でもわたしが魔憑きでなければ、両親にあんな思いをさせることはなかったので」


 村の人の言葉がわたしの耳に入る度に、母は泣いてわたしに謝っていた。

 ごめんね。

 ごめんね、リリアナ。

 普通の子に産んであげれなくて本当にごめんなさい。

 守ってあげれなくて本当にごめんなさい。

 そして父は、そんなわたしたちを強く抱き締めてくれた。


「だけど、そんな嫌な人ばかりが居たわけじゃありません。助けてくれる幼馴染みもいましたし、村の大人だって、魔憑きなだけで迫害するのはおかしいって言ってくれる人たちもいました。もちろん一番戦ってくれたのは、父ですが。それに表立って言えなくても、こっそり優しくしてくれる人もいました」


 いじめっ子を叱ってくれたり、泣いてるわたしにお菓子をくれたり、時には夕食を作ってくれたり。

 母と同じように、ごめんねと謝ってくれる人もいた。味方になってあげれないことを、申し訳なく思ってくれていたのだろう。


「十三歳の時に母が亡くなって、嫌がらせの矛先はわたしと父に向かうようになりました。なので父はわたしと二人で村を出ようとしたんです。けれど、わたしがそれを止めました。村は父の故郷だったから」

「しかしお前の父親は、その故郷を捨ててでも娘を守ろうとしたのではないか?」

「ええ、きっとそうでしょうね。でも父は、村の外に出たことのない人でした。ずっとあの村だけで生きてきたのです。もしわたしを連れて村を出たとしても、いつかわたしが独り立ちしてしまったら、父は知らない土地で一人きりになってしまいます」


 父には、同じ村に住む兄弟が居た。親類が居た。昔からの友達も居た。

 それらをすべて手離すことになるのだ。

 だから父には、故郷を捨ててほしくなかった。


「成人するのを待って、わたしは一人で村を出ました。わたしが居なくなれば、父は故郷で新しい人生を始めれる。そう思ったから……」


 父にのしかかる魔憑き(わたし)という存在が消えて、ほとぼりが冷めれば、結婚だって出来るかもしれない。健康なお嫁さんをもらって、幸せな家庭を築けるかもしれない。そう思った。

 父は母をとても愛していたから、わたしの願うようなことは求めてないだろう。けれど、これまで沢山迷惑をかけてしまった父には、心から幸せになってほしいのだ。


「……父は本当に優しい人なのです。わたしが魔憑きだとわかっても受け入れてくれて、変わらず愛してくれたのですから」


 優しくて、温かくて、男らしくて。

 父が大好きだった。

 父の大きな手で、頭を撫でられるのが好きだった。父に抱きしめられるのが大好きだった。

 出来ることなら、魔憑きじゃない普通の子供になって、父と母の間に生まれたかった。三人で生きていきたかった。

 そんな願いに想いを馳せ、そしてけっして叶うことはない現実に思わず泣きたくなってしまう。


 突然何も喋らなくなり、項垂れてしまったまま馬車に揺られるわたしを、ブライル様が心痛に充ちた様子で伺ってくる。だからそんな顔をしないで。ああもう、本当に……。


「二号、どうした?」

「ブライル様」

「何だ」

「……気持ち悪いです」

「は?」

「酔ったかもしれません」

「またか!」


 毎度毎度申し訳ない気持ちでいっぱいだ。だけど気持ちが落ちてしまって、身体ごと沈んでいたら、いつの間にか頭と胸の辺りがぐるぐるしていたのだ。

 ブライル様は少し思案した後、項垂れたままのわたしの肩を引き寄せ、自分の膝の上に乗せた。

 俗に言う膝枕、である。


「ブ、ブライル様!?」

「良いから、じっとしていろ」


 何も良くない。さすがにこれは平常心ではいられない。

 慌てて飛び起きようとするが、頭を押さえ付けられて動けなかった。そして父と同じくらい大きく温かな手で、揺れる視界を遮られた。

 目を閉じると訪れる、優しい暗闇が心地良く、安らかな感情がじわりと滲み出てくる。

 このまま落ちてしまいたい、そんな気持ちにさえなってしまう。


 ……というか、落ちたのだろう。

 いつの間にか王都に着き、その先の城門を通り抜け、研究所の前まで帰ってきていたのだ。


「おい、起きろ二号」

「……ん、んん」


 目を覚ますと、ちょうど馬車が止まるところだった。

 御者台でこんなにも熟睡出来るなんて、恐るべしブライル様の膝枕。

 そして研究所の前にはフェリ様とクリス先輩の姿が見えて、慌ててその枕から頭を離した。


「お帰りなさい! ジル、リリアナちゃん」

「フェリ様、お出迎えありがとうございます!」

「大丈夫? どこも怪我してない?」

「はい。ブライル様がちゃんと守ってくださったので」


 目に酷い隈があっても美しい彼女は、良くぞ無事で帰って来てくれたと、うっすら涙を浮かべている。本当に心配をかけたのだろう。わたしを優しく抱き締める腕が、僅かに震えていた。

 反対にクリス先輩は、鬼のような形相で、わたしを睨んでいる。何てことだ。可愛い顔が台無しである。


「リリアナ・フローエ!」

「は、はい!」

「僕の忠告を忘れたのか!?」

「忠告?」


 そういえば出発前に、色目を使うなとか何とか、意味のわからないことを言われたような気がする。


「兄弟子である僕との約束を破ったわけではないよな」

「破ってはいません。忘れてもいません」

「じゃあ今のは一体どういうことだ!」

「だからそれはですね……」


 怒るクリス先輩に事情を説明しようと思ったら、師匠であるブライル様の雷が落ちた。


「お前たち、良い加減にしろ! 遊んでる暇があるなら、さっさと荷物を運べ!」

「そうよ二人共、時間がないんだから」


 ブライル様とフェリ様が、積み上げられた素材の山を抱えて、研究所の中に入っていく。クリス先輩も慌てて二人に続く。

 わたしはそれを見つめながら、愛すべき日常に戻って来れたことを、本当に嬉しく思った。




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