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第二十六話

 昨日はあんなに珍しい顔を見せてくれたブライル様だけれど、一夜経つと完璧にいつもの無表情に戻っていた。

 ああ、なんて勿体無い。


「また笑うところ、見せてくださいね」

「フム、それはまたお前を揶揄っても良いということだな」

「わたしを揶揄う以外の方法では笑えないのですか!?」


 朝食の際の雑談中、ちょっと昨日の反撃をしようとしただけなのに、さらなる反撃に遭ってしまった。

 いつかブライル様をギャフンと言わせたいと思う。


 ちなみに宿の朝食は、パンとチーズにスクランブルエッグという簡単な物だったが、中々に美味しかった。簡単な調理でも、素材が良ければ、それだけで充分満足出来るものなのだ。

 しかし食後に出された紅茶は、やはり庶民が愛飲する安物なので、ブライル様は一切手をつけなかった。きっと後でわたしが淹れなければならないのだろう。



 宿を引き払った後は、それぞれに分かれて行動することになった。

 ブライル様は馬車の様子を見に行くらしい。

 そしてわたしはフェリ様たちにお土産を買いに、と思ったのだが、いかんせんこの村には名産品などがない。仕方ないのでお世話になった女将さんの店でチーズを購入することにした。これを使って、フェリ様たちに何か美味しい物でも作って差し上げよう。


 買い物が終わった後は、少しだけ村を散策することにした。小さな村なので、そんなに見て回る場所もないのだけれど。

 数軒しかない店を覗いたり、村での生活の様子を観察したり。

 それにしてものどかだ。田舎特有ののんびりとした時間の流れが、やはり故郷を思い出して懐かしくさせる。


 しかし、偶然通りかかった路地の奥で、何やらよろしくない雰囲気と出会った。数人の男の子が、一人の女の子を取り囲んでいるのだ。

 嫌な予感がした。


「君たち、何してるの!?」


 明らか穏やかではない様子に、思わず駆け寄ると、


「やっべ、にげろ!」

「にげろー!」


 男の子たちは、一目散に逃げていき、残ったのはわたしと、蹲って泣いている女の子だけだった。逃げるくらいなら、最初からやましいことなどしなければ良いのに。


「大丈夫? 怪我してない?」


 なるべく穏やかな調子で問いかけると、微かにだが首を振ってくれた。暴力を振るわれるところまではいってなかったらしく、少しだけ安心する。

 泣いていたのは、サンドベージュの髪に綺麗な青色の瞳を持つ、七歳くらいの可愛らしい女の子だった。そのさらさらの髪が乱れていたので、手櫛で優しく整える。


 そして女の子が落ち着いてきたところで、ゆっくりと話しかけた。


「お名前、教えてくれる?」

「……カーヤ」

「カーヤちゃん。カーヤちゃんは、あの子たちに意地悪されていたの?」

「……うん」

「こういうの、初めてなのかな」

「……ううん」

「そっか。どうして意地悪されるのかわかる?」


 苛められている側のカーヤちゃんには、なんて酷な質問なのだろう。けれど暴力行為がない今なら、まだ答え易いかもしれないと思ったのだ。

 カーヤちゃんは噛み締めていた唇を、勇気を出して解いてくれた。


「……あたしのおうち、おとうさんがいないの」

「うん」

「おかあさんも体がよわくて、あんまりおしごとができなくて」

「うん」

「すごくびんぼうだから村のみんなが、たべものとかわけてくれるの」

「そうなんだ。この村の人たちは、みんな優しいね」

「うん。でもあの子たちに、あたしは村のやっかいものだって、びんぼうだからめぐんでやってるんだって言われて……」

「そっか」


 頑張って言葉を紡いだカーヤちゃんの目に、再び涙が溢れた。それを必死に堪えようとする姿に、胸が痛む。わたしには、涙をそっと拭ってあげるくらいしか出来ない。

 とりあえず彼女を取り巻く事情はわかった。だけどどうすればカーヤちゃんの抱える不安を取り除けるのだろう。


「お姉ちゃんはね、男の子たちが言ったことは嘘だと思うな。みんなカーヤちゃんや、カーヤちゃんのお母さんが好きだから、食べ物をお裾分けしてくれたりするんだよ」

「すき?」

「だって嫌いな人や迷惑な人の為に、優しくしたいなんて思わないでしょ? じゃあ優しくしてもらえるカーヤちゃんたちは、みんなに好かれてるんだよ」


 その大きな瞳に、不安と希望が入り混じり、揺れる。カーヤちゃんはきっと、皆の優しさを信じたいんだ。


「……でも、またいじわるされちゃう」

「嫌だけど、そうかもしれないね。じゃあそうされない為にも、優しくしてくれる人みんなのお手伝いしてみるのはどうかな」

「お手伝い?」

「そう。いっぱいお手伝いすれば、みんなの役に立つでしょ? そうすればあのいじめっ子たちにも、お手伝いしたお駄賃だって胸を張って言えるよ」


 皆の好意を恵んだ物だ、施し物だと言うなら、違う形に変えれば良い。子供なりの手段でも、出来ることがある。

 それに手伝いをすることで、彼女の自信にも繋がると思うのだ。


「それにね、もしかしたらあの子たちはカーヤちゃんが可愛いから意地悪しちゃうのかも」

「なんで? なんでそんなことでいじわるするの?」

「えっとね、可愛いって恥ずかしくて素直に言えない。だけど意地悪してでも自分のことを見てほしいっていう男の子が時々居るんだよ」

「……なにそれ、へんなの」

「そうだね、変だよね」


 精神年齢の高い女の子からすれば、不思議かもしれない。しかし残念ながら、この世にはそういう風にしか気を引けない、悲しい生き物が存在するのだ。

 愛だの恋だのという世界とは縁のないわたしが、偉そうに言えることではないけれど。


「でもカーヤちゃんがみんなのお手伝いを頑張って、みんなからもっともっと好かれたら、きっと意地悪なんかされなくなるよ」

「ほんとに!? どうして?」

「だってそんな頑張っている子に意地悪しちゃったら、自分たちがみんなから嫌われちゃうじゃない?

 それに今は子供だからわからないかもしれないけど、あの子たちも大きくなれば多分わかるよ。こんなこと、しちゃいけないんだって」

「そうなんだ。じゃああたし、はやく大きくなりたい……」


 カーヤちゃんが放ったその声は、わたしもかつて祈ったことのある切実な願いだった。

 現実には、大人になっても善悪のわからない人がいる。だけど少しでも希望のある今、その話は必要ないのだ。子供たちが大人なった時に、初めて気付けば良い。


「大人になったカーヤちゃんは、きっと綺麗でみんなから好かれる素敵な女の人になるよ」

「ほんと? おねえちゃんみたいに?」

「え?」

「おねえちゃんみたいに、きれいでやさしい大人になれるかな?」


 ま、眩しい。希望を持ち始めた子供というのは、なんて眩しいものなのだろうか。

 キラキラした純粋な問いかけに、思わず目を逸らしたくなる。


「……なれるよ。カーヤちゃんは、わたしなんかより、ずっとずっと素敵な人になるよ」


 だってわたしは、綺麗でもなく優しくもない、いたって普通の人間なのだ。真っ直ぐ育ったカーヤちゃんなら、いとも簡単に飛び越えてしまうだろう。

 カーヤちゃんはその答えに満足したのか、段々と目に気力が宿ってきた。


「おねえちゃん。あたし、がんばるね!」

「うん、頑張って。いじめっ子になんか絶対負けちゃダメだよ」


 力強くそう言うと、カーヤちゃんは手を振りながら走って行ってしまった。


 ちょっとでも元気になったのなら、良かった。

 だけどいくら元気付ける為とはいえ、かなり無責任なことを言ってしまった。

 本当に苛めが止まるかわからない。お裾分けがいつまで続くかわからない。手伝うことを評価してくれるかわからない。

 それを知らない彼女は、初めて会ったわたしの言葉を信じて、必死に頑張るのだろう。そしてわたしは、彼女の幸せを願うことしか出来ないのだ。

 そんな自己嫌悪に陥っていると、背後から聞き慣れた低い声が聞こえてきた。



「まるで教師のようだな」

「ブライル様、いつからそこに?」


 中々戻ってこない弟子を探してたブライル様は、男の子たちが逃げて行く辺りから、このやり取りを聞いていたらしい。なんてことだ、ほぼ最初からではないか。

 あんな会話を聞かれていたとは、気まずいにも程がある。


「そんな大層なものじゃないですよ。ちょっと経験者なだけです」

「経験者?」

「ええ。わたしも昔、苛められていたので」





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