第二十五話
「ち、違いますよ!」
勢いのまま口にすれば、皿の上に置いていたカトラリーがカシャンと鳴った。その音で、近くに座っていた他の宿泊客が、どうしたのかとこちらを窺う。それを見たわたしは、慌てて声を潜めた。
「……身分の違いを考えれば、おかしいと言っているのです」
「そんなに貴族の身分を崇めるのなら、これまでのお前の言動も中々におかしなものなんだがな」
「そ、それは……本当に申し訳ありません」
確かにわたしの態度は、お貴族様に対して無礼過ぎるのだと思う。
馬車で気安く隣りの席に座ったり、冗談でも呪いをかけるなどと言ってみたり、他にも沢山。
だけど想像していた貴族と比べて、ブライル様やフェリ様はずっとずっと優しかったから、わたしはかなり増長していたのかもしれない。
項垂れるように頭を下げると、その上に、ぽんと大きな掌が乗せられる。
「別に責めているのではない。そもそも私はお前にそういう態度を求めてはいないのだ。言っただろう、召使いではないと。お前はれっきとした弟子だ」
「でもわたしには、その違いがわかりません。召使いであろうと弟子であろうと、わたしが平民なことに変わりないじゃありませんか」
「お前の言う外聞上、表立った場所ではそういう態度も必要だろう。しかし私は弟子や近しい者に、普段から仰々しい身分の差を感じて接してほしくはない。フェリクスも同じ気持ちだろう。彼奴はやけにお前を気に入っているからな」
そう言われて、フェリ様の美しい笑顔とわたしを呼ぶ声が脳裏に浮かぶ。
「……そこでフェリ様の名前を出すのは狡いです」
「何だ。私が言っても中々聞かないくせに、フェリクスには弱いのか?」
「だってフェリ様はあんなにお優しいじゃないですか。そりゃ懐きもしますよ」
「まるで私が優しくないみたいな物言いだな」
「そんなことはないです。ブライル様もブライル様なりに優しくしてくださってます」
本心からそう返せば、ブライル様は無表情のまま、グラスの中身を飲み干し、そして空になったグラスを差し出してきた。
「私なりとは?」
「え?」
「お前の思う私なりの優しさとは、一体どういったものだ」
こ、これは……フェリ様に懐いていると言ったから拗ねているのだろうか。一応、ブライル様にも懐いていると言った方が良いのだろうか。師匠で雇い主なのはブライル様なのだから。
差し出されたグラスにワインを注ぎながら、わたしは必死に頭を回転させる。
「それは、えーっとこうして魔石取りに連れて来てくださったり……」
「薬草採取のついでだがな」
「えーっと……魔物から守ってくださったり?」
「それは元々そういう契約だったからだろう。他には?」
「他には、他には……あっ、わたしが転んだ時に治療してくださいました」
「目の前で知っている者が怪我をしたら、普通手当てくらいはすると思うが」
「まあ、そうですけど。……というか、ブライル様」
「うん?」
「もしかして、わたしを揶揄って遊んでいませんか?」
「何だ、やっと気付いたのか」
そう言って、何とブライル様が、くくく、と声に出して笑ったのだ。もう一度言おう。あのブライル様が笑ったのだ!
まるで悪戯が成功した子供のように、それはそれは楽しそうに。
その笑い顔を真正面から直視してしまったわたしは、身体中の血が一気に駆け巡るのを感じた。
普段無表情の超絶美形の人が笑うというのは、やはりとんでもない破壊力だ。
「どうかしたのか、二号。少し顔が赤いようだが」
「い、いえ、別に。それよりブライル様も笑ったりするのですね」
「そりゃあ誰しも笑うくらいはするだろう」
「ですがブライル様が笑っているのを目の前で見たのは初めてです」
数日前、馬の世話をしている時に微笑んでいたのを見たが、あれは盗み見だったので数には入れない。
しかし、あの時こっそり見ただけでも、心臓が壊れそうになったのだ。今回の衝撃は推して知るべしであろう。
「まあ、ゲラゲラとそこかしこで笑う性格ではないな」
「ブライル様がそんなことになったら、とても怖ろしいです。世界も真っ青です」
失礼な奴だな、とおでこを軽く叩かれた。
「何というか、お前と居るのは気が楽なのだろう。だからこうして、たわいもない話が出来る」
「それは光栄です。ありがとうございます」
「お前は煩わしくないし、気を使わなくても良い。それにお前という人間は、どこか興味深い」
「あ、ありがとうござ……いや、それ褒めてませんよね?」
「滑稽でいて、揶揄い甲斐があるところなど、実に弟子としての能力に溢れている」
「もう絶対褒めてないじゃないですか! というか、そんな能力要りませんよ!」
「ははははは!」
全力で突っ込むと、またしてもブライル様は笑い始めた。
本当に何なんだろう、この人は。わたしの心臓を止めるつもりなんだろうか。
でもその笑顔が本当に綺麗で、楽しそうで。何故だか、誰にも見せたくないと思ってしまった。
フェリ様やクリス先輩、ブライル様が身内だと思っている人は良いのだけれど、それ以外の人にはどうしても見せたくない。
「ブライル様。今夜は少し饒舌になっていませんか?」
「ああ、確かに。久しぶりの酒で酔ったのかもしれないな。そろそろ部屋に戻るか」
見ると、いつの間にかワインのボトルが二本も空になっている。いや、注いでいたのはわたしだけれども。しかも飲む速度までがいつもより速い為、酔いも早く回ったのかもしれない。
かといってフラフラもしていないし、部屋に戻る足取りも至って普通なので、本当に気持ち良く飲んでいただけなのだろう。
ただ、部屋に入ると、そのままの格好でベッドに横になってしまった。
「ブライル様、ブライル様」
「んー」
「湯浴みはどうされます?」
「んー」
「ブライル様、寝るならせめて靴を脱いでください」
「んー……」
「本当に寝ちゃうんですかー?」
「…………」
「食後のデザートも要らないんですねー」
「…………」
あ、これ本気のやつだ。デザートにピクリとも反応しないなんて、これは絶対起きないと思う。疲れが溜まっていたのと、アルコールで気が緩んでしまったのだろう。
とりあえず楽になるようにと、靴を脱がせる。そして念の為、つついてみて、揺すってみて、それでも起きないのを確認してから、ブライル様の眠るベッドに腰を下ろした。
「ブライル様ー、お布団被らないと風邪ひきますよー」
やはり呼び掛けても反応はない。なので、ここぞとばかりにその見目麗しいお顔を覗き込んだ。
わたしの髪がブライル様の顔にかかってしまい、少し擽ったそうに身を攀じる。
こんな明るい場所で、ブライル様の寝顔を見るのは初めてだ。昨日までは、焚き火が照らす薄明りの中、更に暗くなる幌の中まで起こしに行っていたから、はっきりとは見えていなかったのだ。
それにしても、なんて綺麗な顔をしているのだろう。
閉じていてもわかる、形良い切れ長の目。
筋の通った高い鼻に、艶やかな薄い唇。
男性なのに滑らかな肌。
この美しさは、これまで数々の女性を虜にしてきたのだろう。
その美しい顔にある頬を、軽くつついてみる。
貴族のブライル様に対して、こんなことをしてしまうなんて、やはりわたしは無礼である。だけど誰も見ていない今だけは、どうか許してほしい。
「……わたしもですね、ブライル様やフェリ様、クリス先輩はまだちょっとわかりませんけど……、皆さんが居るあの研究所で働けることが、とても楽しくて仕方ないのです」
最後にブライル様の持つ漆黒の髪を一撫でして満足したわたしは、ベッドから腰を上げた。
わたしも、もう寝よう。
今夜は見張りも、そして朝食の支度も必要ないのだから、ゆっくり休もう。
やっと明日、フェリ様たちの待つ研究所に帰れるのだから。




