第二十三話
さして通用しない剣は諦めたのか、ブライル様は魔法攻撃に切り替えた。
ただ氷魔法で貫こうとするも、やはりその皮膚や筋肉に阻まれて、今ひとつ効果が薄い。火魔法でも同じだ。傷を付けることは出来るのだが、致命傷となるまでは届かない。
ブライル様からすれば、もう少し距離を取り、魔法の威力を上げる時間が欲しいところなのだろう。しかし離れようとしても、間を空けるとすぐにキングトロールが攻撃を仕掛けてくるので思うように動けない。
速さではブライル様が上回っているのに、敵からの衝撃が強くて、攻めあぐねている状態だ。
「く……っ」
どうしよう、このままじゃブライル様が……。どうにかして魔力を集める時間を稼ぐ方法を考えなきゃ。
反対側に出て行って、こっちに気を引かせる? ううん、それじゃわたしが攻撃される。そしてわたしはブライル様みたいに避けれないから、一瞬で死んでしまう。
……駄目だ。ブライル様が怪我されるより、わたしが死んだ方が良いのだろうけど、生憎まだ死にたくない。
結局わたしは魔法を使うくらいしか出来ないのだ。この距離からだと充分な威力も作れるだろうけど、しかしブライル様みたいに強力な攻撃魔法が使えるわけでもない。
たった数秒で良いのに、どうすればキングトロールの攻撃が止まる? どうすればあの巨体の動きが止まる?
わたしに、何が出来る?
ハッと顔を上げた。
もしかしてこの方法ならいけるかもしれない。
覚悟を決めろと、拳を握り締め、喉を鳴らす。そしてキングトロールの方に向かって手を突き出し、そこに魔力を集めていった。普段使っている生活魔法じゃ考えられないくらいの魔力を。
わたしにはこれくらいしか出来ないから。
「土よ、お願い……!」
唱えた瞬間、魔力が流れ出し、キングトロールの目の前の地面に深く大きな穴を開ける。そう、獲物の方向に踏み出し、そして次に足を下ろすであろう場所に。
「グアアアア!?」
案の定、突然現れた穴に対応出来る筈もなく、片足を突っ込んだ。そのまま体勢が崩れ、それを整えようと攻撃の手が止まる。
ブライル様はその隙を見逃さず、キングトロールから距離を取る。そして手にしていた剣を、敵の目に向かって思い切り投げつけた。
固い皮膚で覆われた体で、唯一柔らかい目玉。キングトロールの目は窪んで、的は限りなく小さい筈なのに、少しの狂いもなく吸い込まれるように刺さっていった。
「ギャアアアアアアアアアア!」
痛みと片目の視力を奪うことで敵の動きを封じ、その間に集めた魔力が膨らんでいく。
「滅するが良い、愚鈍な魔物よ」
言葉と共に、大きく威力を上げた氷の刃が、巨体の中心を貫いた。
「オオオオオオオオオオオオ!」
森を震わせる程の絶叫。それと共に、キングトロールの体は揺れ、背後の木を巻き込みながら倒れた。
そして大きな山が溶け始める。絶命したのだ。
「……や、やりましたね。ブライル様」
「二号」
すべてがあっと言う間の出来事で、気が抜けたのだろう。ブライル様に駆け寄ろうとしたが、足がもつれてべちゃりと転んでしまった。
「何をしているのだ」
「す、すみません」
「見せてみろ。ああ、血が出ているではないか」
膝を擦りむいたことで、ショースに血が滲んでいる。それを脱がし、水で血を流した後、傷液薬を振りかけた。
あ、こういった場合に足を見せるのは大丈夫なのか。
「痛っ!」
「我慢しろ」
「こ、これ結構沁みるのですね」
「薬だからな。……それより、二号」
「はい」
「何故逃げなかった」
「えっと、それは……」
「隙を見て逃げろと指示した筈だ」
怒りを交えた静かな菫色な瞳が、わたしを捉えた。初めて見る表情だった。
「だってあの魔物、すごく大きくて、強くて……」
「私では勝てない、そう思ったか」
「そんなことは、ないですけど……」
でもブライル様が危ないとは思った。怪我をしたらどうしようとも思った。
「弟子にそう思わせるとは、私もまだまだということだな。しまいにはお前に力を使わせる羽目になってしまったのだから」
「ち、違います! ブライル様はちゃんと守ってくださいました。あれはわたしが勝手にやってしまったのです!」
ブライル様は何も悪くない。そんな思いで伝えれば、もう良いとばかりに、大きな手がぽんと頭を撫でてきた。
「では師匠として、ちゃんとした力を見せてやろう」
「へ? ……きゃあ!」
しんみりした雰囲気の中、突然ブライル様に抱きかかえられ、わたしの体が宙に浮く。びっくりして慌てて目の前の首にしがみ付いた。
「ななな何するんですか!?」
「暴れるな」
そう言って、ブライル様は魔力を集めて始めた。なぜ、と思うと同時に、再びあの足音が轟いてきたのだ。
そして現れたのは、またしてもキングトロール。さっき倒したものよりは一回り小さいが、強大な敵であることに違いはない。
「キ、キングトロールって、こんな簡単に出会うものなのですかあああ!?」
「おそらく番だろう。夫を殺されて逆上しているのだ」
魔物にも番という概念があるのか。魔素が魔物を作り出す筈なのに、それでも番が存在する。
魔物や魔素というものが、ますますわからない。
「余計なことを考えるな。しっかり掴まっていろ!」
「いゃああああああ!」
わたしの体を抱えたまま体勢を低く構えると、ブライル様は地面に向かって風魔法を発動した。そして軽く飛ぶと、次の瞬間には空に飛び上がっていた。
あの大きなキングトロールが、いつの間にかわたしたちの下に居るではないか。
そしてブライル様は、風魔法を発動したまま、集めていた魔力を解き放った。
「愚鈍な夫と共に地に還れ、軽忽の魔物よ!」
魔力は一瞬にして黒い霧がキングトロールの全身を包み、最期の咆哮をも飲み込むように、その巨体を溶かしていったのだ。
「す、すごい……っ」
さっきの魔法とは明らかに威力が違う。というか、こんな魔法は見たことも聞いたこともない。
敵が絶命したのを見届けて、軽やかに着地すると、ブライル様は夫婦二匹の魔石を拾い上げた。
今までとは明らかに大きさの違う魔石だった。それでもメスの魔石の方が小さいのは、やはり体の大きさが関係しているのか。
ブライル様はメスの魔石に魔力を注入していった。それでもかなり大きい魔石だ。吸い取られる魔力の量も多い筈なのに、ブライル様は平然としている。一体どれだけの魔力を持っているのだろうか。
すると、オスの方の魔石をこちらに差し出してきた。
「二号、これに魔力を込めろ」
「え、でもこれはブライル様が倒したものでじゃないですか」
「お前の助けがあって倒せたのだ。お前には受け取る権利がある」
「でもですね、わたし魔力がもう……」
そう言って断ろうとしたのだが、ブライル様はさもありなんとばかりに、小さな硝子瓶を取り出した。透けて見える中身は、おどろおどろしい色をしている。
「これを飲め」
「何ですか、これ」
「魔力回復薬だ」
「まりょく、かいふくやく」
あ、怪し過ぎる!
「い、嫌ですよっ。これは人間の飲む物じゃありません!」
「早くしろ、魔石まで溶けるではないか」
必死に抵抗したけれど無駄だった。鼻を摘まれ、無理やり喉に流し込まれたのだ。
「う、ん、ん……っ、に、苦いいいいい!」
「薬だからな」
無表情でそう言い放ったブライル様が、魔物よりも恐ろしく見えた。
その後、名の通りの回復をみせた薬のおかげで、再び底をつくまで魔力を注入させられたのだった。




