第二話
菫色が妖しく光る切れ長の目。すっと筋の通った鼻。薄い唇。それらが完璧な配置並んでいる。後ろで結った漆黒の髪も、その美しさを際立たせていた。
その恐ろしく整った顔面と醸し出す雰囲気から察するに、年齢は二十代後半だろうと思われる。確かめたことはないけれど。
「お久しぶりにございます、ブライル様」
「ああ。よく来た、娘」
そう言われても、こうも氷のように冷やかな無表情だと歓迎されている気はゼロだ。
さて、一平民のわたしが、なぜ彼のような貴族と知り合いなのかというと、至極簡単な理由である。わたしが勤める料理店に、彼が客として食事にやって来たのだ。
店の主人から、やんごとなき名家のお貴族様だと聞かされて、何故こんな庶民の店にと、その時は驚いたものである。
しかし彼は偉ぶるわけでもなく、普通に食事をして、普通にお金を払って、文句の一つも言わず帰っていった。想像していた貴族の態度とはえらく違ったので、拍子抜けしたのを覚えている。
とまあ、そんな感じでブライル様は時々おいでになられた。
そして給仕の際、少しだけ言葉を交わす。お味はいかがですか、とか、お茶のお代わりはいかがですか、などというたわいもない会話だ。
だからわたし達は、ただの店員と客、それだけだった筈だ。
あの日までは。
ある時、客の子供が自分の足にスープを溢した。いつもなら子供用にと、少し冷ましてから提供するのだが、その時だけはどこかで手違いがあったらしい。熱々のスープを引っ掛けてしまった子供の足は、軽く火傷を負ってしまったのだ。
それに気付いて慌てたわたしは、厨房に戻るよりも早いと、自ら冷水を生成し、その水で子供の足を冷やした。それが幸いしたのかどうかは分からないが、火傷は酷くはならなかった。
その時薬をわけてくださったのが、他ならぬブライル様だったのだ。
子供とその家族が帰った後、客も大方引けたので、再度お礼をと、彼の席に伺った時だった。
「お前は魔法を使えるのか?」
しまった、と思ったのは、その台詞を耳打ちされた後だった。いや、子供が無事だったのだから、後悔はしてないのだけれど。
テーブルの陰になって、周りには見えていない筈だ。子供も泣いていたから気付いてないだろう。でもこの男には見られていたのだ。
魔法は貴族のものだ。
魔核と呼ばれる魔力の塊は、大なり小なり誰にでも存在するのだが、その魔核を解放する儀式は貴族でないと行えない。平民には許されていないのだ。
儀式には莫大な費用がかかるのと、平民は貴族と比べて魔力量が極端に少ないというのが表向きの理由だが、本当の理由は貴族としての力を保持するためだと世間では認識されている。貴族が怖くてだれも指摘はしないけれど。
ただ、その儀式を行わずとも、魔法が使える人間が、極々稀に存在する。そう、わたしのように。
そしてそういう人間は「魔憑き」と呼ばれる。
儀式もせずに何故使えるのか、その理由は分からない。密かに国も魔憑きの研究しているらしいが、結果が出たとは聞こえてこない。
聞こえてくるのは、魔憑きは魔物に近いという、実しやかに語られる噂。魔物は儀式などしなくても、魔力を使える。それと同じ魔憑きは、魔物に近い血をしているのだと。
もしそれが露見して、国や貴族に知られれば、研究材料として連行される可能性が高いらしい。だから魔憑きは、それを隠して生きていく。
なのに……、
「な、なんのことでございましょう……」
「下手に隠すと為にならぬぞ。私はこの目で見たからな」
「……!」
もう一度見せてみろ、と言われた。カップの中に水を注いでみろと。
嫌だと言える筈もなく、わたしは腹を括らざるを得なかった。そうして涙が溢れそうになるのをぐっと堪え、震える手をカップに翳した。水よ、と念じれば、あっという間にカップは水で満たされる。
「……やはり無詠唱か」
彼の小さな呟きなど、耳に入らなかった。ただただ絶望だけが、わたしの全身を貫いた。
終わった。わたしの人生が終わってしまった。
これから自分はどうなるのだろう。自由を奪われ、一生研究材料として魔力を搾り取られるのか。それともこの身を切り刻まれ、血や肉までも調べ尽くされるのか。
ブライル様はそれ以上何も言わず、その日は大人しく帰っていったが、それからというもの、わたしは生きた心地がしなく、戦々恐々と日々を過ごしていた。
なのにそれ以来、彼はぱたりと店に来なくなったのだ。
何か気分を害してしまったかと心配していた店の主人には悪いが、わたしは心底ホッとしていた。
そうして一週間が経ち、一カ月が経ち、三カ月が経った頃には、わたしの単純な頭が一つの希望を生み出していた。
もしかして、ブライル様はわたしに、というか魔憑きにさして興味がなかったのかもしれない。あの時は自分の目に映ったものを確かめたかっただけなのかもしれない。
そう考えれば、こんなにも放置されている理由がつく。無理やり導き出した結論で、どうにか安心したかったのかもしれない。
しかし神様は無情なもので、その三日後、わたしの元にブライル様からの手紙をもたらしてくれた。
一週間後、城に来るように、と。そして添え物のように、悪いようにはしない、と書かれていた。
それを読んだ途端、わたしはすべてを諦めた。ブライル様の所に行く決意をしたのだ。
急過ぎて申し訳ないが、城に行ったきり戻って来れないかもしれないので、約束の日の前日までで仕事を辞めさせてもらった。
店の主人夫婦には怒られると思ったが、仕方ないと渋々了承してくれた。ここ数ヶ月、わたしの様子がおかしかった為、心配してくれていたらしい。ありがたい。
そして当日。
どうせ行くなら、王城とやらをとことん堪能してやろうと、なるべく前向きに考えることにした。そして悪いようにはしないという彼の言葉を少しだけ信じてみようとも。
こうして、今わたしはここに立っているのである。