第十四話
翌日、朝から買い出しに行く。
市場は相変わらずの活気だ。その中を上手にすり抜け、いつもお世話になっているお店に向かう。
そこは新鮮な野菜を扱っていて、しかも結構お安いのだ。庶民の味方である。
「おはよう、おじさん」
「おう嬢ちゃん、どうした今日はやけに早いな!」
「それが数日王都を離れることになっちゃって」
「へぇ、そりゃまたいきなりだな」
顔見知りのおじさんに、野営することを伝えれば、 日持ちのする物をいくつか勧められた。葉物は傷みやすいので、芋や根菜を中心に。
わたしだけなら干し肉とパンだけでも平気だけど、ブライル様が一緒ならそういうわけにはいかない。何しろわたしを連れていく理由が、まともな食事、なのだから。
予定では五日なのだけれど、ある程度余分に買っておく。本当に五日で終わるのか分からないし、何か予期せぬ出来事が起こるかもしれない。備えあれば憂いなしだ。
それに調理器具なども持っていく為、結構な大荷物になってしまう。その点、今回の移動は幌馬車を使うと聞いているので安心だ。
貴族が幌馬車を使うことに違和感を覚えるが、ブライル様が気にならないのなら問題はないのだろう。なにせ大量の素材を積み込まなければならないので。
他にも何軒か回って、研究所に戻る。
次は食材の仕込みだ。
まずはパンから。
小麦粉に干し葡萄から作っていた酵母と水を入れ、うんせうんせと捏ねる。あとは冷んやりした場所でゆっくり発酵させるだけ。この後の作業は翌日だ。
次にビスケットを焼く。少し硬めのビスケットも日持ちがするので、旅には重宝するのだ。
バターをしっかりと練り、砂糖を加え、白っぽくなるまで混ぜる。そこに卵黄を加え、小麦粉を振るい入れる。生地を寝かせ、成形したら、オーブンで焼いて完成だ。
保管庫を覗くと、数日前に買ったブルーベリーが残っていた。
「うーん、今日食べても良いんだけど……」
保管庫に残っている食材は今日明日で使い切る予定だ。だけど保存食として持っていくのも悪くない。
よし、と呟いて、ホーローの鍋を取り出す。
鍋にブルーベリーと砂糖を入れる。二時間ほど置けば水分が出て来るので、弱火で煮ていく。熱が入ると、もっと水分が出て来る。それを今度は火を強めて煮詰めていく。
そうだ、牛乳が残っていたからミルクジャムも作ろう。糖度が高いものは、美味しいうえに保存がきくから便利だ。
ブルーベリージャムとミルクジャム。出来上がった物を煮沸消毒した瓶に詰めて、これまた完成。ジャムは簡単なのが嬉しい。
保管庫の一角に用意したものを纏め、準備はほぼほぼ完了した。あとは明日パンを焼きさえすれば、いつでも出発できる。
まあその前に魔力注入の練習が残っているけれど。そのことを思い出して憂鬱になる。
「なんで出来ないのかしら」
人差し指を見つめ、魔力を集める。しかし何度やっても糸状にならない。
それは夜になっても変わらなかった。
「まだ出来ないのか、お前は」
「だって……」
いい加減、ブライル様も呆れ顔だ。
こんなことに何時間も付き合わせてしまって本当に申し訳ない。
だけど出来ない理由が分からないのだ。
「魔力調整は出来ていたのに、何故こんな簡単なことが出来ないのだ」
「ブライル様に落ちこぼれの気持ちなんて分からないですよ……」
「ふむ、私は落ちこぼれたことがないからな」
でしょうね。
冷却装置の為に、そのあとも根気よく調合を繰り返す。
すると、
「せんせえええーーーー!!」
突然、大声と共に研究室のドアが開いた。
そこに居たのは、白銀の髪に藍色の大きな瞳を持つ美少年。肌も白く、まるで雪の精みたいだ。おそらく年齢はわたしより若く、成人したてのように見える。
美少年の登場に驚いてキョトンとしていると、
「先生から離れろ、この女狐め!」
「は?」
いきなり罵られた。解せぬ。
「紹介しよう。これは弟子のクリス。クリスティアンだ。この数週間、素材採取で遠方に出ていた」
「初めまして。リリアナ・フローエと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「クリスティアン・ハイネン……、よろしく」
礼儀正しく挨拶をすれば、きまりが悪そうに返してくる少年。ふふふ、無実の人間を女狐呼ばわりするとは、何とも恥ずかしいことだろう。
しかしわたしは少年よりもお姉さんなので、寛大な心を持って許してあげれるのだ。決して顔を赤らめて不貞腐れてる少年が可愛いからではない。
聞けばこのクリス少年、採取から帰ってきたと同時に「ジルは可愛い女の子と二人きりで部屋にいるわ」と、フェリ様に耳打ちされたと言う。
そして自分の尊敬する先生が女性に襲われていると勘違いし、研究室に飛び込んできたのだとか。
なぜそれを聞いて、ブライル様が襲われると変換したのだろう。普通は女性の方が襲われる筈なのに。
誤解は解けたものの、まだクリス少年はわたしの存在を受け入れてはくれないらしい。
「先生! この女が弟子になるなんて聞いていませんよ」
「お前がいない間に決まったからな」
「僕は認めません。先生の弟子は僕一人で良い!」
まあ弟子といっても、ほとんどお世話係なんですけどね。
別に少年に受け入れられなくても、ブライル様に雇われているわけなのでここには居られるが、なるべく人間関係は良好な状態で働きたい。
うーむ……。
「ブライル様、わたしが弟子二号ということは、クリスティアン様はわたしの兄弟子になるんですよね?」
「まあそうだな」
「あ、兄弟子……?」
「ではクリスティアン先輩とお呼びした方が良いですか?」
「せ、先輩……っ」
なぜかふるふると震えてた少年は、「クリスティアンは言いづらいからクリスで良い」とぶっきらぼうに言ってくれた。はい、クリス先輩。
「そ、それで先生はこの女に何を教えてたんですか?」
話を変えたかったのか、クリスはわたしの手元を覗き込んできた。そして「ああ、魔力注入か」と呟いた。
失敗の残骸だらけで、ちょっと恥ずかしい。
「何度やっても出来ないのです……」
「まあ感覚を掴むまでは難しいからな」
「え?」
どうやらブライル様とは違い、クリス先輩はわたしの気持ちを分かってくれてるお人みたいだ。
「お前はどうやって魔力を出してるんだ?」
「えーと、こうやって指先に魔力を集めて、それを言われた通りに細くしようしてるんですけど」
もう一度指先に魔力を集めれば、クリス先輩に、違う違う、と止められた。
「集めてからじゃなく、集める前から細くするんだよ」
「集める前から?」
「ああ、魔力が体を通るときから細くしておくんだ」
「えーと、こう、ですかね」
クリス先輩に言われた通りに、体の中にある魔力を細くするように想像する。そしてそれをゆっくりと細さを保ったまま指先に移動させ、薬液の方へ向けると、
「わ!」
するするする、と魔力が吸い出され、薬液に溶け込んだ。
そしてすべてが混ざり合った瞬間、一度だけ小さく輝いた。
「こ、これって……」
「なんだ、出来たじゃないか」
出来た……? 嘘……。
ブライル様に確認すると、微妙な表情で頷いてくれた。
「や、やったああーー!」
クリス先輩、すごい!
これで冷却装置が手に入ります。
「でもこれ結構な魔力を吸い取られますね」
「魔法薬の効き目を考えれば、これくらい普通だと思うけどな」
前に教えてもらった通りで、これではあまり数が作れないだろう。
魔法薬が貴重な理由がまた一つ理解出来た。
「クリス先輩、本当にありがとうございます」
「別に」
「ブライル様も!」
「……ああ」
ていうかブライル様、なんでそんな不機嫌そうなんですか!?




