第十一話
その日ブライル様は、夕食までには戻る、と言って午前中から出かけて行った。しかしその時の顔が、やけに浮かなかったのが気になった。
「どうしたんでしょうね、ブライル様」
「ああー……、今日は半年に一度の定例会議だからね」
ブライル様がいないので、昼食は二人分用意するだけで良い。まあ一人二人増えたり減ったりしても、たいして手間は変わらないが。
フェリ様の昼食を準備していると、一人で食べるのは寂しいから、と誘われたので、お言葉に甘えてご一緒させてもらう。
「定例会議というのは、そんなに嫌なものなんですか?」
「別に大層なことはしてないわ。各部署の責任者が集まって、自分のところの実績をひけらかしたり、他の部署を中傷して足を引っ張り合ったりするだけよ。一日かけてね」
「そんなところにブライル様は出席なさっているんですか」
「ええ、本来は報告と意見交換をする場なんだけど。ジルは研究所の業務報告をするだけで、あとは延々とその下らないやり取りを聞いてるのよ」
「うわー、それは悲惨ですねぇ」
想像しただけで、ブライル様の不憫さに同情してしまう。
あの人のことだから、そんな無駄な時間があるなら研究室に籠りたい筈だ。
「しかもジルって責任者の中だとずば抜けて若いでしょ。だから色々言ってくる人もいてね、結構鬱陶しいのよ」
「この青二才が、的なやつですか?」
「そうそう。それに公爵家の名があってこその出世だとか難癖つけてきたり」
「へぇー」
「実力のない上級貴族はある程度までしか出世しないし、実力のある下級貴族はそれなりに出世する。じゃあ実力のある上級貴族はどうなると思う?」
「めちゃくちゃ出世します!」
「そういうこと。城の中じゃ、それが真理なのよ。ジルが今の役職に就いたのは、その時の候補の中で誰よりも有能で家柄が良かったってことを理解したがらない連中がいるのよね。自分達も同じようなものなのに」
それはそうだ。その人達が出世した時だって、選考基準は変わっていない筈だ。
なのにそれを忘れて、人の足を引っ張ろうとするなんて勝手過ぎる。
「まあ、ジルの性格だから、何を言われても応戦はしないだろうけど……」
フェリ様は心配そうにブライル様が居るであろう方向を見遣った。
思ってたより早い時間に、ブライル様は帰ってきた。
そしてそのまま研究室に直行すると思いきや、なぜか厨房に現れた。
しかもわたし専用の椅子に腰を下ろして、ぐったりとしている。
「どうかなさいましたか? ご気分でも悪いとか?」
「……気分は、悪い」
「あらら、風邪でも召されました?」
「そうではない。少し疲れただけだ」
ため息を吐くブライル様。何だかやけに弱々しくて、いつもの彼らしくない。
どうやら一歩も動きたくないようで、頬杖をついたまま微動だにしない。
「しばらくここに居て良いか?」
「それは構いませんけど……」
本当にどうしたんだろう。会議で嫌なことを言われたんだろうか。
気にしながらも、夕食作りに精を出していると、後ろからブライルのの視線を感じる。
「今日の昼食は何だったんだ?」
「昼食ですか? 今日は昨日の夕食に出した鶏肉のロティをチーズと一緒にサンドイッチにしました。それとアスパラとベーコンのスープです」
「鶏肉とチーズのサンドイッチ……、アスパラとベーコンのスープ……」
「すみませんね、いつも簡単な料理で。ブライル様はそれより全然良い物を食べてるじゃないですか。お城で食事をとられたんでしょう?」
フェリ様情報によると、城の料理人が会議用にと特別に作ってくれるらしいのだ。羨ましい。
なのにブライル様の表情は冴えない。
「旨くなかった」
「はい?」
「まったく旨くなかった。お前の料理の方が百倍マシだ」
「それは……ありがとうございます」
お城で料理人をしているくらいだから、腕は確かな筈だけど。
これはもしかして褒められているのかな?
いや、食べた環境が悪かったのだろう。
「ブライル様、何かあったんですか?」
「何もない」
「嘘ですね。会議で何かあったんでしょう」
じゃないとそんな不貞腐れた顔するわけないじゃないですか。
問い詰めるように切れ長の目を見つめると、居心地が悪そうに少しだけ目を逸らした。
「……女を囲う暇があるなら結婚しろと言われたんだ」
「ああ、この前の噂の話ですね。それがお偉いさんの集まる会議にまで広まっているんですか?」
「ああ、実にくだらん。しかしそのことでお前が嫌気をさし、ここを辞めると言うのなら止めはしないが」
「は? なぜそこでわたしが辞める話になるんです?」
「嫁入り前の娘にそんな噂が立つのは色々とマズいではないか。お前にも今後結婚話が出て来るだろう?」
えーと、先日の噂がわたしの結婚に影響するかもしれないから、嫌なら辞めて良いよってこと?
そんなことまで貴方が考える必要はないんですけどね。
「ブライル様はわたしが結婚出来るとお思いですか?」
「それは、しようと思えばいくらでも相手は出て来るのではないか。お前の作る料理は中々美味いからな」
何だそれ。
ブライル様の結婚する基準って食事なんですか?
というかブライル様は貴族のご令嬢と結婚なさるのだから、相手はそもそも料理なんてしないのでは。
「でもわたしは結婚しませんよ。だって家の中まで魔憑きのこと隠して生活しなきゃいけないし、もし世間に知られでもしたら相手に迷惑がかかりますから」
「魔憑きが理由で、結婚は諦めているのか?」
「諦めているというか、そもそも考えてもなかったです」
自分が魔憑きだと分かって、そのことで散々差別されてきたり、親にまで嫌な思いをさせてしまった。結婚なんかしてしまうと、それにもう一人巻き込むことになってしまうのだ。
そんな恐ろしい真似しようとも思わない。
「結婚もせず、炊事洗濯に勤む。まるで修道女だな」
「修道女よりはよほど良い物を食べさせていただいてますよ」
残り物とはいえ、ブライル様達と殆ど同じ物を食べているのだ。これまででは考えられない贅沢である。
「そういえば、お前はいつもどこで食事をとっているんだ?」
「え、ブライル様の場所ですけど」
「私の?」
「ブライル様が今座られている場所です」
そう言って彼が陣取っている一人用のテーブルと椅子を指せば、信じられないとばかりに目を見開いた。
「こんなところで……。修道女でももっとマシな場所で食べているぞ」
「貴族の召使いはこんなものじゃないんですか?」
「お前は召使いではないだろう。それに私の家の者達は、ちゃんとしたテーブルに着いている」
「そんなんですか。でも私は一人なのでここで充分です」
空いた時間にパパッと食べるくらいなので、実際どんなところでも良いのだ。食事処で働いていた時なんて、忙し過ぎて立って食べることもあった。
そういう意味だったのだけど、ブライル様は何を勘違いしたのか、厄介なことを命令してきた。
「今日からお前も私達と一緒に食べろ」
 




