最終話
もう仕事をする気になれなかったので、僕は署長の勧めに従い定時で退庁することにし、署長の勧めに従って、もし僕があのギャングたちを毒ガスで殺さなかったとすればどうなっていたかを想像してみた。
想像するのは簡単だった。
トラックのコンテナに詰め込まれた女たちは《セメスト》のアジトまで連れて行かれ、祝祭日の生贄にされただろう。たくさんのチンピラどもに、さんざんいたぶられるということだ。もしかすると命は助けてもらえたかもしれないが、そんな目に遭った後では、死んだ方がましだと大半の女は思うだろう。
コンテナに乗っていたあの女たち。もちろん、ジュディスも。
そして僕はといえば、資産家の子息ではないことがバレて殺されていただろう。
よかったんだ。これで、よかったんだ。これしかなかったんだ。
自分にそう言い聞かせながら高速エレベータに乗り、四十二階から一階まで下りると、エレベータホールでジュディスとばったり鉢合わせした。
彼女は、病院から戻ってきたところらしかった。
額の傷に小さなプラスターが貼られていて、まるで子供みたいだ。
僕らはしばらくエレベータホールの真ん中でみつめ合った。勤め帰りの連中が僕らに目もくれず横を通り過ぎ、出口へ向かって流れて行った。彼らの足音がホールの天井にこだました。
「よかった、ここで会えて。……あなたに会いたくて戻ってきたんです」
ジュディスは口ごもりながらしゃべり始めた。
その声を合図に、止まっていた時が動き始めた。僕の頬がとつぜん紅潮した。恥ずかしさのあまり。彼女の前でさらしてしまった醜態を思い出す。死体を見て、恐怖のあまり崩れ落ち、ゲロを吐くなんて、男の風上にも置けない。まして僕はカイトウ署長ということになっているのに。
本心を隠すための、へらへらした作り笑い。僕はそれがけっこう得意だ。
「驚いたでしょう? 僕、いきなり吐いたりして。こう見えても本当は臆病なんですよ。世間では冷静なタフガイというイメージで通してるけど、本当の僕はいつまで経っても死体には慣れなくて……」
「臆病なんかじゃない!」
強い声で遮られ、僕はあっけにとられて口をつぐんだ。
ジュディスの黒目がちの大きな瞳が、濡れた光をたたえて、僕を見据えている。
その声はエレベータホール中に響きわたり、何人かが驚いた様子で振り返った。彼女は周囲を一顧だにせず、さらに大声を出した。
「あなたは、私を、守ろうとしてくれた。あなたは、優しくて強い……私の最高のヒーローです」
とつぜんの暖かくて柔らかい感触。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
ジュディスが僕に抱きつき――その宇宙的に豊満ですばらしいおっぱいが、ぐりぐりと僕の顔に押しつけられているのだと気づいたとき、僕は、興奮や感激や、その他もろもろの感情で、あやうく卒倒するところだった。
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こうして僕は、《中央》から派遣された人権調査委員に「人権侵害はなかった」と納得してもらうことに成功し、上官であるカイトウ署長を免職の危機から救ったのだった。
ものすごく大きな貸しだと思う。署長は、僕が一度や二度女子更衣室をのぞいても、不問に付すべきだ。
だけど僕の方も、大きなプレゼントをもらったから――最高に幸せな数日間の思い出と、《中央》のジュディスの連絡先を手に入れたから――借りを返すよう署長に請求するのはやめておこうと思ってる。彼女と比べたら、署内の女どもなんてゴミだよ、ゴミ。もう着替えをのぞこうとも思わない。【完】