第2話
僕がよろめく足取りで市警本部ビル七十七階の署長室に入ると、デスクの向こうでアンドレア・カイトウ署長が露骨に「面倒なやつが来やがった」という顔をした。
署長は短気だ。
自分ではクールなつもりでいるらしいが、その沸点の低さときたら街の頭の悪いチンピラ並みだし、ポーカーフェイスをきめているつもりかもしれないが感情は全部顔に出ている。今は「おまえの話なんか聞きたくない。さっさと帰れ」と顔に書いてある。
僕はひるまず前へ進み出た。どうしても言わなければならない事がある。僕には抗議する権利があるんだ。
「あんまりじゃないか!」
デスクのすぐ前まで歩み寄り、叫んだ。
「そりゃあ、女子の着替えをのぞいていたのは僕が悪かったけど……あそこまでしなくたっていいだろう!? 暴虐行為だ! 僕は、自尊心に、回復不能なダメージを受けた」
署長は、明らかにうっとうしがっている目で僕を見上げた。
「きみは警察官としての自覚がなさ過ぎる。のぞきは立派な犯罪だ。本来なら免職にされても文句を言えないところだぞ」
「あいつらのやった事はどうなんだ。あのイカレ女どもの。あれは犯罪と言わないのか!? 特務課のグロズナーは、あんたの許可を受けてると言っていた」
「きみののぞきは今回が初めてじゃない。しかも今回のは、長期間にわたっており悪質だ。グロズナーがどうしても私的制裁を加えたいと言い張るので、署内の施設を破損せず、かつ、きみに全治十日間以上の傷害を加えない範囲内で、制裁を許可した。いったいなにをされたんだ?」
「あいつら……僕を女子更衣室に連れて行って……全裸にして……」
それ以上は声が震えて説明できなかった。思い出すだけでも屈辱のあまり泣きべそをかきそうになる。トラウマだ。この記憶は、ぜったいに、トラウマになる。
「署内の施設は、破損したぞ! ブレアが僕のオフィスのドアを蹴破った」
新たな抗議のネタを思いつき、僕は叫んだ。署長はため息をついた。
「またブレアか。今年に入ってから五回目だな、あいつが署内でドアを蹴破るのは……」
「あんたには、わからないんだ、署長。僕の気持ちなんて」
僕は部屋の真ん中にあるソファにどっかり腰を下ろした。
――僕は十二歳になるまでにクテシフォン市立大学と連邦中央大学で医学、生物学、生化学、機械工学、電子工学の博士号を取得し、趣味の発明で多数の特許を取った。特許収入があるので働かなくても食べていけるのだが、好奇心からクテシフォン市警に入署し、十六歳の今、科学捜査研究室と火器管理課の副長を兼務している。
そして僕の目の前にいるカイトウ署長は、たぶん僕と同じぐらい天才だ。十二歳で連邦中央大学法学部を首席で卒業し、連邦上級公務員試験に上位合格。十五歳でこの凱旋門本署の署長になってからもう二年になる。クテシフォン市内のどんな法曹関係者よりも刑事手続法に詳しく、その知識を利用(いや、むしろ悪用)して、やりたい放題の非常識な捜査を展開している。
僕らは共に、世間で『早期成熟者』と呼ばれる人種だ。天才的な頭脳を武器に大人の世界へ殴り込み、役職に就いて活躍する未成年。
『早期成熟者』としての誇りと孤独、優越感と劣等感を、僕らは共有している。
だから僕らは、他の連中には話せないような本音を語り合える間柄なのだが。
署長と僕との間には決定的な違いがある。
「モテない男はな……つらいんだぞ! 僕は金も地位もあるのに、ぜんぜん女に相手にされないんだ。十六歳にもなって、女の手を握ったこともない。欲求不満がたまるのも当然だろう? 着替えをちょっと見るぐらい、かまわないじゃないか」
情けない話だが、僕は背が低くて太っている。顔ではニキビが花盛りで、でももしニキビがなかったとしても、それほどぱっとした顔立ちではない。目も細いし鼻もへちゃげている。髪の毛はもじゃもじゃで手がつけられない。ようするに、女にモテるような外見ではない。それに対して、署長は道行く女が振り返るほどの美少年だ。
「あんたみたいに女に不自由してない人間にはわからないだろうけど。例えば、すれ違った女のノースリーブの服の袖ぐりから、おっぱいの端がちらりと見えただけでも、僕にとっては最高のラッキーデーなんだ。それだけで一日機嫌よく仕事ができるんだ。パンチラはね、もう、神の領域だよ。文句なしに活力を与えてくれる。角度や見え方によって微妙に趣が変わるあたりがね、たまらないんだよ。ましてパンティの端から……!」
僕は、その後数分間にわたり、自分が魅力的だと感じる女体の状況を事細かに説明した。しゃべっているうちに夢中になってしまったので、言わなくてもいい事まで言ってしまったかもしれない。
「……とにかく、女の体を見ることは、僕たちモテない男にとってすばらしい活力源なんだ。業務効率を向上させ、職場の人間関係を円滑にするんだ。触りたい、犯りたいと言ってるわけじゃない……見るだけ、それだけでいいんだよ。そんなのささやかな欲望だと思わないかい? のぞいたって別に減るわけじゃないんだからさ」
僕のちょっとした演説が終わると、署長があきれた目で僕をみつめていた。――僕がソファに腰かけて長話の体制に入っても「帰れ」と言わないところを見ると、それほど忙しくはないんだろうが。
「……きみのその頭脳がなければ、即座に免職にしてるところだ」
「なんだよ。僕を変態みたいに言わないでくれよ。これは世間のモテない男の標準的な心理状態さ。僕だけが特におかしいわけじゃない」
「金は持ってるんだろう。ハールーン街にでも行って発散してきたらどうだ」
「冗談だろう? 僕の年齢であんな所をうろついてたら、あっという間に補導されるよ。それこそ恥さらしじゃないか。……あんたには、わからないんだ。モテない男のつらさが」
署長は肩をすくめ、
「ぼくも女にはモテない」
と、あっさり言ってのけた。悔しさやコンプレックスをにじませることもなく、あっさりと。
僕は疑いの視線を返した。
「見えすいた謙遜は嫌味だよ?」
「世間じゃぼくは殺人鬼だと思われてるし、署内では、ぼくと外出するとお礼参りの犯罪者の襲撃に巻き込まれると噂が立ってる。まあ、どちらもそれほど間違っちゃいないが。女なんか寄りつくもんか」
「ああ……なんだか……すごく納得したよ。うん」
「女に相手にされないことは犯罪行為の免罪符にはならない。きみも、これからは自重しろ。今度同じような問題を起こしたら、西区の四十七分署あたりの防犯課に転属させる。あそこなら忙しすぎて、余計な事を考える暇がなくなるだろう。運が悪ければ……そのへんのチンピラに○●○を×※×※されて二度と女に興味が持てなくなるかもな」
教養のある人間なら口にすべきでない強烈な俗語が、署長の口から飛び出してきた。僕は思わず情景を想像してしまい、うなだれて黙った。この人ときどき、スラム街育ちの地金が出るよなー。僕の前だけなんだろうか。
そのとき、デスクトップからブザーが鳴り、署長秘書のモーリーンおばさんの顔が画面に大写しになった。女らしさのかけらもないひっつめ髪。眼鏡の奥で威圧的に光る鋭い目。常に不機嫌に歪んだ口元。あいかわらず怖い顔だ。
「署長。連邦人権調査委員会のミス・フンゲルトハイマーから至急の面会要求です。星系間定期連絡船が思いがけず早く到着したので、明朝のアポイントメントを今夜に早めてほしいそうです。彼女は連邦政府の正式な調査執行書を所持しているので、彼女の要求が最優先されます。今夜二○三○時から予定されていた公安委員長とのミーティングは来週の内省日に延期してもらいました。ミス・フンゲルトハイマーは約十分後に到着します」
迫力のある早口を聞いてみると、まるで母親に叱られているみたいな気分になる。
モーリーンおばさんは、画面にさらに顔を近づけてきた。
「いいですか、署長。《中央》を敵に回したら、いくらあなたでもただでは済みませんから。く・れ・ぐ・れ・も下手に出るのを忘れないようにしてくださいねっ!」
怖い。怖すぎるよ。「鬼ババア」という言葉がぴったりの形相だ。僕に人事権限があったら、ぜったいにこんな女は秘書にしない。
幸いなことに、おばさんの顔はすぐに画面から消え、代わりに調査執行書の写しとミス・フンゲルトハイマーなる女のプロフィールが表示された。興味をひかれた僕は立ち上がり、よく見るためにデスクに近づいた。
「ふーん。これから女が訪ねてくるのかー。……え、何だよ、これ。めちゃくちゃ美人じゃないか、この女。いいなー。羨ましい~~」
ジュディス・フンゲルトハイマー。十九歳。
この年齢で銀河連邦政府の調査員を務めているんだから、彼女も『早期成熟者』の一人なんだろうが、写真を見るかぎり、とても切れ者のエリートには見えない。ゆるやかにウェーブする褐色の髪が丸顔を縁取っている。大きな黒目がちの瞳は優しくて、素直そうだ。鼻も口も小さい。額がちょっと広めなので、年齢より幼い印象を与える。
守ってやりたくなる。そんなタイプの女だった。
デスクトップを睨みつける署長の凶悪な表情を見ると、守ってやりたい気分でないことは一目瞭然だった。
「厄介だな。事故を装って、しばらく入院してもらうか」
さすがの僕も仰天した。
「なに言ってるんだよ! 法律を守ろうよ! さっきあんたも僕にそう言ったばかりじゃないか!」
銀河連邦の中央政府は、連邦に加盟する各星系国家の自治を尊重しつつも、連邦全体の秩序を維持するため常に目を光らせている。逸脱行為があれば、それを正すために実力行使を行うことも珍しくない。
連邦人権調査委員会は、中央政府で最も規模が大きく、最も精力的に活動している委員会のひとつだ。銀河連邦圏内で著しい人権侵害行為があれば、調査員を派遣して調査を行い、必要に応じて是正措置を取る。これまで多数の人権侵害を摘発し、何十万人もの虐げられた人々を救っている。
人権侵害を行っていると認定すれば、国家元首さえ放逐し処分する。それが《中央》の人権調査委員会だ。
モーリーンおばさんの言う通り、敵に回して良い相手ではない。
「この調査員は、市警に調査協力を依頼するために来るわけじゃない。ぼく自身が調査対象なんだ。クテシフォン弁護士連合会がぼくの行動を、著しい人権侵害だと調査委員会に訴え出たらしい」
「ああ……そりゃあ、そうだろうねー。あれだけ殺してりゃあね。『パールシー・タイムズ』紙に毎日載ってるあんたの殺害数カウント、すごい数字だもん」
「人権調査委員は、星系国家の主権を上回る強大な権力を持っている。人権侵害を認定されたら、ぼくは最低でも署長の職を失う。場合によっては、それを超える超法規的な処分を受けるかもしれない」
「それはお気の毒。だけど、自業自得とも言うよねー」
「回避するためには、調査員の口をふさぐか……なんとかうまくごまかし切るしかない」
「その『口をふさぐ』っての、やめにしない? 忘れてるみたいだけど、あんたはいちおう法律を執行する側の人間なんだからさ」
それに、いい女を殺すのは宇宙の損失だろう?
僕がその言葉を口にする前に、署長は難しい顔になって腕組みをし、
「仕方ない。今回は合法的に行動するか」
とつぶやいた。
そんな有様じゃ、人権調査委員会が調査に来るのも当然だよね。
「……博士。ひとつ訊きたいんだが。『下手に出る』って、いったいどうすればいいんだ?」
――署長は天才だが時々どうしようもなくアホだ。人間として必要な、基本的な何かが欠落している。
僕は胸を張って答えた。
「そんなこと、僕が知ってるはずないだろ!」
**********
連邦人権調査委員会のフンゲルトハイマー調査員は、予定の時刻より少し早めにやって来た。
僕は署長室の控室で、物陰に隠れて(正確に言うと、秘書のデスクの陰にしゃがみ込んで)、彼女の到着を待っていた。せっかくいい女がやって来るんだから、見逃すという選択肢はない。
待っていたのは正解だった。
彼女を見たとたん、僕の脳内で何発もの花火が打ち上がった。
顔の可愛さは写真で見た通り――いや、写真から想像していた以上だ。整った顔に浮かぶ、はにかんだような表情がたまらない。とても年上とは思えない。けれども特筆すべきは、そのボディだ。暴力的なまでに、でかい乳! きゅっとくびれたウエスト! 短めのスカートから伸びる、滑らかな曲線を描くすらりと細い脚! 地味なデザインのスーツが派手なプロポーションを包みきれず、ところどころ妙な感じに皺が寄ったり生地が引っ張られたりしているので、エロ度が倍増している。
僕は目まいを覚えた。あまりの刺激に鼻血が出そうだ。
「あのぉ……先ほどご連絡した人権調査委員のフンゲルトハイマーですけど。カイトウ署長にご面会を……」
彼女は、でかいおっぱいに似合わない細い声で、モーリーンおばさんに話しかけた。
秘書はうなずき、デスクトップを操作した。署長室の扉が開いて、署長が出てきた。
「パールシー王国へようこそ、ミス・フンゲルトハイマー。長旅でお疲れになったでしょう?」
礼儀正しく挨拶して、署長が女に微笑みかける。
ちょっと見たことがないほどの満面の笑顔だ。たぶん『下手に出る』を『にこやかに振る舞う』ことだと解釈したんだろう。
本性を知ってる僕の目から見ると、逆に恐ろしさしか感じられない笑顔だったが、美少年のさわやかな笑みは破壊力満点だった。ミス・フンゲルトハイマーの頬が真っ赤に染まった。
「あのっ、いえっ、疲れてるなんて、ぜんぜんそんなことはありませんわ。こちらこそ申し訳ありません、急に押しかけてしまって……」
もじもじしながら、うつむく。まったくエリートらしからぬ態度だ。
彼女が署長室へ消えていくのを、僕はもやもやした気分で見送った。
連邦政府所属の調査員にしては、ずいぶん世間知らずでうぶな感じの女だな。署長がにこやかな振舞いを保ち続けられれば、あんな女、たやすくごまかせるだろう。ちょっと笑顔を向けられただけであんなに真っ赤になってたし、きっと男に免疫のない女なんだ。あーあ、けっきょく世の中、美形が得をするようにできてるんだよなー。