光の当たる場所で
「あ」
雨だ。
起き抜けにカーテンを開けて気がついた。どうりで静かなわけだ、いつもなら何か騒がしいのに。
ひんやりとしたガラスにはいく粒か水滴がついている。それはそれでキレイだけれど、やっぱりないほうがいい。雨が降っていても何となく明るいのだけが救いだ。
そのままボーっとしていたかったけれど、さすがに足が冷えてしまう。まだまだ春の陽気には程遠い。
脱ぎっぱなしの毛糸の靴下は、どういうわけかベッドの下に入り込んでいる。脱いだときはちゃんとはきやすいところに置いたつもりなのに……眠気に負けかけている自分は当てにならない。
時間の流れの速さは変わらない。それなのに、緩やかだとか感じるのはどうしてなんだろう。
伸びをして、首を回して、することがなくなってベッドに座る。間違いなく現実なんだけど、こうまで静かだとどこか別の世界にいるような気分だ。雨の音はBGMにもならないくらい微かで……。
でも、目を開ければ間違いなく自分の部屋。枕元には携帯と読みかけの本が転がっているし、机の上は勉強していないのに問題集や教科書が開きっぱなし。
「あーあ……」
意味もなく手を後ろにつくと、ひんやりとした携帯電話が指先に触れた。目をやってみて気づく。着信だ。
こんな時間に……って一瞬思ったけれどすぐに取り消した。もう昼近くだ。雨の日は時間がわかりにくい。
「もしもし?」
電話の相手はわかっている。こういう機能はつくづく便利だと思う。あんまり活用していないものもあるけれど。
「ああ、おれ」
ディスプレイに表示されたのと一致する声が聞こえた。でも、やっぱりこんな風に話すと変な感じだ。
「うん、何?」
意味はないけれど姿勢を直した。スプリングが軋む。
「大学受かった報告を、一応」
「ふーん……おめでとう」
そういえば今日が発表日なんだ。私の日にち感覚はどこへ行っていたんだろう……。
「おう。で、今から高校行くんだけど、お前も来るか?」
「何で私が」
いろんなざわめきが伝わってくることから考えると、奴はまだ大学にいるらしい。外の世界っていうのはおかしな表現なんだろうけど、まさにそんな気分。
「このあと雨があがったら暖かくなるらしいぞ」
声につられて、窓の外を見遣った。確かに、どことなく春っぽい感じがしないでもない。何となく。
「行こうかな、に傾いてるだろ」
「……そんなことないわよ」
行動が読まれるのにいい気はしない。今さらだなんてことは置いておいて。
「どうだか。……屋上は気持ちいいだろうな」
「性悪!」
普通に外に出るのと屋上にいるのとでは心地よさが全然違う。頭の中に浮かぶ景色は鮮やかで、やっぱり好き。
「久しぶりに聞いたな、それ」
「お望みなら何回でも言ってやるわよ!」
続けて言おうとしたのに冴島が唐突に笑い出したから、私は口を閉じた。
「……何よ?」
奴の今の表情は想像できる。
「いや別に。俺の高校生活の3分の1くらいは杉田葵だったなーと思って」
「意味不明よ、何それ」
奴はまだ笑っているらしい。外の喧騒よりは心地よく響いているけれど、さぞかし周りに変な目で見られているだろう。それとも、みんなそんな感じなんだろうか?
「いろいろ合わせてみたら、そんなくらいだろ、たぶん」
ベッドから立ち上がってみる。毛糸の靴下を履いた足は無敵だ。
「……そうかもね。よくわからないけど」
でも、頭はまだ寝ぼけているのかもしれない。それがわかったのか、奴はあのバカにしたような笑い方を一瞬だけした。
「まあ、な。で、どうする? 来るか?」
どうしようか、なんて考える時点で心はもう決まっているようなものだ。結局、冴島の言ったとおりなのがあれだけど、仕方ない。
「行く」
ごくごく自然に言葉が転げ落ちた。それと同時に、早く行きたいっていう気持ちに急かされる。こういうのは、心理学で解明してくれるんだろうか。
電話を切って、閉じて、ベッドの上に放り投げた。クローゼットを開けて服を選ぶ。さすがに制服は……もうないか。
少しだけうきうきしながら屋上を思い描けば、自ずと奴の姿もそこにある。それがとっくの昔に当たり前のことになっていた。……もしかしたら、私の高校生活の思い出のほとんどが屋上ってことは……。
あの扉の鍵を握り締めた。
「あ」
ガラスの向こう側、立ち並ぶ家々の上。さっきまで降っていた雨が止んで、雲の隙間から光が差し込んでいる。
それを見て、何だか無性に心が弾んだ。




