春待ちハーモニー
この中の何人と再会することがあるんだろうか。この中の何人が有名になるんだろうか。海外に移住したり、早々と結婚したり、大家族になったり……。見えるはずもない未来に思いを馳せる。ただつらつらと、思い浮かぶことをそのままに。
それはきっと馬鹿げたことなんだろうけど、かといって他に考えることなんて今はないんだ。
湿ったハンカチとハンドタオル、カメラのシャッター音、黒板に何かを書き残そうとしている人……誰もが口を閉ざすことなく笑顔の。ここを出たらお別れだなんて、誰も意識していない。
それでも、いつまでもこうしているわけにはいかないってことぐらい、みんな知っている。
胸につけていた花をはずして、私は廊下へと足を踏み出した。感傷的になるほどの思い出はここにはない。
浮き足立ったざわめきの中をただひたすら歩いていけば、いつのまにか人影がなくなっていく。生徒会室には明かりがついていたけれど、関係なんてなくて。
階段を上ればほら、いつもとなんら変わりない冷たい扉だ。
一瞬だけ鼓動が速くなった。この鍵を使うのも最後になるかもしれないって思うと。
「よう、遅かったな」
昨日と逆で、今日は奴が先だった。ちょっと意外な気もする。
「あんたが早いのよ」
天気予報は微妙にあたって、空は曇り。それを背にしてまっすぐたたずむ冴島の胸には、まだ花が飾られている。こういうのが似合うのも、ちょっと考え物だと思ってみたり。
定位置が妙に愛しい。腰を下ろせばなおさらに。
「……曇りかあ」
そういえば三月ってまだ寒いんだなって、毎年思う。イメージの中ではなぜか暖かくて、桜の色。現実は、つぼみがついているかどうかすら怪しい。そのせいか、手に持った花は殺風景な周囲から完璧に浮いている。
冴島が座って、大きく息を吐いたのが聞こえた。何を考えているのかなんてわかるはずがないけれど、今はもしかしたら同じ気持ちなんじゃないかと思う。終わりはいつだってあっけない。
静かな流れは止まることなくすり抜けていく。この沈黙に何の違和感も感じなくなったのは、そういえばいつからだったろう。
息を吐いた。それはたまたま、奴と同時だった。
「何だよ」
私と同じようにこっちを見た冴島が、笑う。その手には、薄いピンクの紙パック。春の色。
「別に何も」
懐かしいと思った。小さい頃によく飲んでいた覚えがある。……ストローをくわえた奴はかなり妙だけれど。
「……おいしいの、それ」
胸にある花よりも人工的なその色が、昔は大好きだったっけ。今は避けて通るのに。
「ものすごくおいしいわけじゃないけど、何か春っぽくないか?」
「ふーん」
こうしてここに座っていると、卒業証書をもらったことすら忘れそうになる。私がいて奴がいて、ざわめきが遠くに聞こえて……。聞くともなしに耳を傾けながら思う。この先、こんなふうに過ごせる場所はあるんだろうか、なんて。
濁音と共に、冴島が紙パックの中身を飲み終えたらしい。それをきっかけにして立ち上がろうかと思ったけれど、止めておいた。きっとまだ、たくさんの人が残っているだろうし。……最後だし。
さっきからずっと同じところにある雲が重い。せめて予報どおりの雨が降るまでは気にしたくないのに。
「……雨が降ったら帰るか」
「……うん」
視界の端に映るピンク。……リミットなんて、いらない。




