後ろの扉が開くとき
そろそろ暗くなり始めた廊下を走る。
ついこの間まで賑やかだった放課後の校舎内は、文化祭が終わってから普段の静けさを取り戻している。それが、私には心地よい。
だけど、そうのんびりもしていられなかった。図書室がしまってしまう前に、借りた本を返さなくちゃいけない。
……別に一日くらい返却が遅れたってどうってことないのはわかっているんだけど、いくらなんでも屋上に置きっぱなしっていうのはまずいだろう。
意識して足音を鳴らさないようにする生徒会室前を、今日はそのまま通り過ぎた。誰もいないみたいで、電気もついていなかったから。
スカートの中では、屋上の鍵が私の足音に合わせてチャラチャラと音を立てている。
階段を駆け上がった。
最近は、私も冴島も屋上に出たら必ず鍵をかけるようになった。それはもちろん、あの賑やかな人たちが来ないようにするためだ。
文化祭で忙しいせいか、彼らはほとんど来たりしなかったけれど、それでも、たまに扉をガチャガチャ言わせたりはしていた。そのたびに、私と奴はひやっとして、ほっとした。
「あれ?」
すっかり 習慣になった鍵あけ。鍵穴に差し込んでひねる。
いつもなら何となく手ごたえがあるのに、今はない。これはそう、屋上の鍵が開いているってことだ。
あの冴島が……これは決していい意味じゃない……閉め忘れた?
怪しく思いながらも、とりあえず重い扉を開けてみる。
人影があった。
だけどそれは、奴じゃなかった。
「あ、杉田先輩」
こっちに気づいて振り向いたのは、そう。たぶん一番会いたくない人だ。文化祭でやっぱり忙しかったらしい、生徒会長。
……最悪。何よりもまず、そう思った。
*
「ところで冴島は?」
こういう聞き方をするのは不本意なんだけど、この際仕方がない。だって、屋上の鍵を持っているのは奴と私だけなのに、会長が一人でここにいるなんてどう考えてもおかしいんだから。
「冴島先輩なら、図書室に行きましたよ」
「ふーん……そう……」
取りに来た本は、もしかしたら冴島がついでに返しに行ってくれたのかもしれない。少なくとも、屋上にはないみたいだ。
ここに長居をする必要はない。
「じゃあ、私は帰ることにするわ」
何回言葉を交わしても苦手な彼にとりあえずの笑顔を向けて、踵を返しかけた。
そこで、呼び止められた。
「……冴島先輩とは、付き合ってるんですか」
今までにも何度か聞かれたことがあるその問いかけ。私の答えはいつも同じだ。
「付き合ってない」
「じゃあ、何で二人だけで屋上にいるんですか」
間髪入れずに次の問い。これは初めて聞かれた。……困る。
「杉田先輩?」
答えに窮する私に、会長は一歩近づいてきた。なぜか追い詰められた獲物の気分になる。
……もしかして冴島よりたちが悪いんじゃ……。そんな考えが頭をよぎった。
また一歩近づいてきた会長は、邪気のない笑みを浮かべている。それがまた、恐ろしい。
「えーっと……」
何か答えなくちゃいけない。そうは思う。でも、言葉が出てこない。
当たり前だ。人に話せるような理由なんてないんだから。
後ろの扉が音をたてて開かれた。
「何やってんだ?」
このときばかりは、奴がいい人に見えた。それはもちろん、錯覚だ。
会長の笑顔が、ぱっと冴島のほうに向けられた。
「冴島先輩、ちょうどよかった。どうして先輩たちは、付き合ってないのに二人でここにいるんですか」
ひきつった表情で逃げ腰の私を見て、たぶん状況がわかったんだろう。
奴は、会長を、鼻で笑った。……今まで隠し通してきた、素の冴島健史だ。
「お前には関係ないと思うけど。それとも何か。お前ストーカーか?」
呆然とする会長には目もくれない。奴は私のほうを向いた。
「本、返しといたから」
「あ、うん。それはどうも」
少しの沈黙のあと、結局名前を覚えられていない会長は去っていった。
残されたのは私と冴島。冷たくなった風には耐えられなかったけれど。
扉を閉める直前にちらっと見えた空は、別の色に染まっていた。
<シリーズ6 うしろのしょうめん 完>




