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第七話 孤独な成長

 どれくらい飛んだだろうか。

母を失った悲しみと、人間への燃え盛るような憎悪だけが、限界を超えた俺の身体を突き動かしていた。

 翼が裂けるような悲鳴を上げても、空腹で意識が朦朧としても、俺は羽ばたくことを止めなかった。

ただ、遠くへ。母が指し示したように、人間の気配がしない、世界の果てを目指して。


 夜が明け、太陽が昇り、そしてまた沈んでいく。

何日も何日も、俺はあてのない飛行を続けた。

 

やがて、故郷の険しい山脈は遥か後方へと消え、眼下には緑の海原のような広大な大森林が広がっていた。ここまで来れば、もう人間の追っ手も来ないだろう。

 俺の体力と気力は、とっくに限界を超えていた。

ついに翼が言うことを聞かなくなり、俺の身体は制御を失って、きりもみ状態で森の奥深くへと墜落していった。

 意識を取り戻した時、俺は巨大な古木の根元に倒れていた。

身体のあちこちが痛み、翼は泥に汚れ、ズタズタに傷ついている。

 そして、何より心が痛かった。目を閉じれば、母さんの最後の姿が鮮明に蘇る。あの温もりも、優しい声も、もうこの世界のどこにもない。


 グルル……


腹の虫が大きく鳴り、俺は自分が強烈な飢餓状態にあることを自覚した。


生きなければならない。

母さんの最後の言葉が、脳裏で反響する。

 

そうだ、俺は生きると誓ったんだ。こんなところで、惨めに野垂れ死にするわけにはいかない。

俺はふらつく身体を引きずり、獲物を探して森を彷徨った。


 幸い、この大森林は魔物の宝庫だった。鋭敏になった嗅覚が、近くに潜む獲物の匂いを捉える。

それは、俺の身体の倍はあろうかという、巨大な「暴れキラーベア」だった。

以前の俺なら、真正面から戦うことは避けたかもしれない。

だが、今の俺の心には、悲しみが産んだ冷たい炎が宿っていた。


 恐怖はない。ただ、生きるための糧を求める、純粋で獰猛な渇望があるだけだ。

俺は風のように気配を殺し、熊の背後から一気に飛びかかった。

 驚いた熊が咆哮を上げて暴れ回るが、俺はその首筋に牙を深く食い込ませて決して離さない。

熊の鋭い爪が俺の脇腹を抉り、激痛が走る。だが、俺は構わなかった。痛みが、俺がまだ生きていることを実感させてくれる。


 死闘の末、俺はついに熊の息の根を止めた。

返り血を浴び、自らの血も流しながら、俺は貪るようにその肉を食らった。

涙が血と肉に混じって、喉の奥へと落ちていく。味がしない。ただ、空っぽの胃袋と心を満たすための、機械的な作業のようだった。


 その日から、俺の孤独なサバイバルが始まった。

この森を新たな住処と決め、傷が癒えるまで樹洞で眠り、癒えては狩りに出る。その繰り返し。

 

森の魔物たちは、俺にとって格好の訓練相手となった。


 素早い疾風狼ゲイルウルフの群れ、鋼鉄の甲羅を持つ剛亀アダマンタートル、猛毒を持つ大蜘蛛。

 様々な魔物との戦いを通して、俺は母さんから教わった基本に、自分なりの工夫を加えて実践的な戦闘技術を磨いていった。


 風を操り、自分の周囲に渦巻かせて敵の攻撃を逸らす防御法「風の鎧」。


 ブレスを一点に集中させ、レーザーのように貫通力を高める技術「収束ブレス」。


 翼に風の刃を纏わせ、すれ違いざまに敵を切り裂く格闘術「ウイング・ブレード」。


 戦って、食らって、眠る。

その単調で、しかし濃密な日々の中で、俺の身体は急速に成長を遂げていった。


 十年が経つ頃には、俺の身体はこの森のどの魔物よりも大きくなっていた。

かつて苦戦した魔物たちも、今では敵ではない。俺の存在は森の生態系の頂点に立ち、他の魔物たちは俺の気配を感じると、蜘蛛の子を散らすように逃げていくようになった。


絶対的な強者。それは絶対的な孤独の裏返しでもあった。

会話する相手はいない。心を許せる存在もいない。

 夜、眠りにつく時、決まって母さんの夢を見た。夢から覚めた朝は、いつも言いようのない寂寥感に襲われた。


 五十年が経った。

 俺の身体は、もはやあの頃の母さんに匹敵するほどの巨躯となっていた。

 全長は三十メートルを超え、翼を広げれば森の一部に巨大な影を落とす。

 純白の鱗は、さらに深みを増し、月明かりの下では真珠のように妖しく、神秘的な輝きを放っている。

 

風の魔力の操作は、完全に手足のように扱えるようになっていた。ただ念じるだけで、周囲の天候をある程度操ることさえ可能になった。

小規模な嵐を呼び、乾いた森に恵みの雨を降らせる。それは、俺にとって唯一の他者、この森という環境との関わりだったかもしれない。



 そして、百年が経った。

俺は、森の中央にある、雲を突くほど巨大な木の梢に立ち、遥か彼方を見つめていた。

 百年という悠久の歳月は、俺の心を大きく変えていた。

 人間への憎しみは消えてはいない。

だが、それはもはや燃え盛る業火ではなく、心の奥底で静かに、しかし決して消えることなく燻くすぶる熾火おきびのようになっていた。

 憎しみだけで百年を生きて、俺はいったい何を得たのだろう。


 強大な力? 絶対的な孤独?


 このまま、この森で誰にも知られず、ただ朽ちていくのだろうか。


(母さん……俺は、どうすればいい?)


 心の中で問いかける。もちろん、答えは返ってこない。

 だがその時、一陣の風が俺の頬を優しく撫でた。

 それは、まるで母さんの手が、迷える俺を慰めてくれているかのようだった。


『"風と共に"』


 母さんの最後の言葉が、鮮やかに蘇る。

そうだ。俺は風竜。一つの場所に留まり、澱よどむべき存在ではない。


 風のように、自由に世界を駆け巡るべきなのだ。

この百年間、俺は人間を避けるため、この森に閉じこもっていた。それは母さんの遺言を守るためでもあったが、同時に、再び傷つくことを恐れる俺自身の弱さの表れでもあった。


 もういいだろう。

俺は十分に、強くなった。

たとえ再び人間に遭遇しても、あの時のような無力な負け方はしない。

 そして何より、俺は知りたい。この広い世界のことを。

人間たちがどんな世界を作り、どのように生きているのかを。憎むべき相手のことを、俺は何も知らないままだ。


『……行こう』


 俺は低く呟き、翼に力を込めた。


 バサッ!!


 巨大な翼が広げられ、強烈な風圧が周囲の木々を激しく揺らす。

 百年の時を経て、俺は再び大空へと舞い上がった。

あの夜、悲しみと憎しみの中、逃げるように飛び立った空とは違う。


今、俺の心にあるのは、未来への微かな希望と、世界への渇望にも似た好奇心。


 風竜ヴァイスの本当の物語が、ここから始まる。

百年の孤独を経て巣立った白き竜は、まず自らの安住の地を探すため、そして己が何者であるかを知るため、未知の世界へとその翼を広げたのだった。




挿絵(By みてみん)


第七話まで読んでいただきありがとうございます。


本文の最後にヴァイスが翼を横に大きく広げている挿絵を載せてみました。自作のイラストなのでつたない部分ばかりですが、ヴァイスの雄大な翼のイメージが少しでも伝われば幸いです。

下手なりに一生懸命描いたので、少しでも物語のイメージを膨らませる手助けにならば嬉しいです!


これからも「書きたい・描きたい」を詰め込んで頑張ります!

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