第六話 永遠の別れ
俺が財宝の山から飛び出した瞬間、洞窟内の全ての視線が俺に集中した。
騎士たちの顔に浮かんだのは、驚愕と、そしてすぐに下卑た貪欲な喜びに変わる表情だった。
「なっ……子供だと!?」
「聞いてないぞ! 風竜は番つがいだったのか!」
「好都合だ! 親子まとめて狩れば報酬は倍になるぞ!」
だが、そんな汚らわしい声は、俺の耳には届いていなかった。
俺の瞳に映っているのは、禁忌の魔道具に蝕まれ、苦悶の声を上げる母さんの姿だけ。そして、その元凶である、あの忌々しい騎士団長。
『やめろおおおおおおっ!!』
怒りのままに放った俺のウィンドブレスは、騎士団長目掛けて一直線に飛翔した。
しかし、騎士団長は歴戦の勇士だった。彼は俺の出現に一瞬驚きながらも、冷静に盾を構える。ブレスは盾に当たり、カァン!と甲高い音を立てて弾かれた。
俺の未熟なブレスでは、彼の防御を貫くことはできなかったのだ。
「小賢しい小僧が!」
騎士団長は俺を睨みつけると、近くの部下に指示を飛ばした。
「お前たち、あの小竜を押さえろ! いいか、殺すなよ! 生け捕りにすればさらに価値が上がる!」
その言葉に、生き残っていた数人の騎士がニヤリと笑いながら、剣の腹を叩いて威嚇しつつ、俺を取り囲む。
俺は彼らを睨みつけ、威嚇の咆哮を上げた。しかし、成竜になりきっていない俺の威嚇など、彼らには何の脅威にも映らなかっただろう。
『ヴァイス! 来てはだめ……!』
苦痛に喘ぎながらも、母竜の悲痛なテレパシーが頭に響く。
ごめんなさい、母さん。でも、俺はもう見ていられなかった。
俺は囲んでくる騎士たちに向かって突進した。牙を剥き、爪を振るう。
しかし、俺の動きは怒りと焦りで完全に精彩を欠いていた。歴戦の騎士たちは、俺の攻撃を巧みにかわし、いなし、逆に剣の柄や盾で俺の身体を打ち据えてくる。
ガツン、ガツンと鈍い痛みが走り、俺はたまらず後退した。
強い。今の俺の実力では、彼ら数人を相手にするだけで精一杯だった。
その、俺が足止めされている、わずかな時間。
それが、母さんにとっての最後の好機となった。
禁忌の魔道具に生命力を奪われ、もはや立っているのもやっとなはずの母さんが、最後の力を振り絞ったのだ。
『我が子に……手を、出すなアアアアアアアッ!!』
それは、魂そのものを燃やすかのような、凄絶な咆哮だった。
母さんの全身から純白の魔力が嵐のように噴き上がる。その魔力は光の檻を内側から圧迫し、ミシミシと軋ませ、ついに限界を超えて粉々に砕け散らせた。
拘束から解放された母さんは、もはや騎士団長など見ていなかった。
その青色の瞳は、ただ俺だけを、ヴァイスだけを優しく見つめていた。
そして、母さんは動いた。
俺を取り囲む騎士たちに向かって、最後のブレスを放ったのだ。
それは、もはや風ではなかった。
残された生命力そのものを破壊のエネルギーへと変換したかのような、純粋な光の奔流。
騎士たちは反応する暇もなくその光に飲み込まれ、悲鳴を上げる間もなく光の粒子となって消滅した。
ブレスを放った反動で、母さんの巨体が大きくぐらりと傾ぐ。
背中に張り付いた魔道具が、最後の輝きを放ち、そして役目を終えて砕け散った。
しかし、もう遅い。母さんの生命力は、ほとんど残されていなかった。
月光のように美しかった純白の鱗は色褪せ、見る影もなく炭のように黒ずんでいる。
『母さん!!』
俺は駆け寄り、その巨大な身体にすがりついた。
ドクン……ドクン……と聞こえていた力強い心音が、今はか細く、途切れ途切れになっている。
『ヴァイス……』
母さんの声が、テレパシーで弱々しく響く。
「ごめんなさい……ごめんなさい……俺が飛び出したから……」
涙が溢れて止まらなかった。俺のせいだ。俺が未熟で、愚かだったから、母さんをこんな目に遭わせてしまった。
『いいえ……あなたは間違っていない……。私を……守ろうとしてくれた……それだけで、十分……』
母さんはゆっくりと首を持ち上げ、その巨大な頭を俺の身体に優しく擦り付けた。
それは、俺が生まれた日に、初めて感じた温もりと同じだった。
『よく、聞きなさい……ヴァイス。もう……時間は、ありません……』
母さんは、最後の力を振り絞って、洞窟の壁の一部を尻尾で打ち砕いた。
そこには、外へと続く、もう一つの小さな隠し通路があった。俺の今の身体がギリギリ通れるくらいの大きさだ。
『ここから……お逃げなさい…遠くへ……。人間が、決して来ない……世界の果てへ…』
『嫌だ! 母さんと一緒じゃなきゃ嫌だ!』
俺は駄々をこねる子供のように叫んだ。置いていくなんてできない。
『……聞き分けのない子……。ですが……それくらい元気があって……よかった……』
母さんは、ふっと優しく笑う気配を見せた。
そして、最後の慈愛を込めて、俺の身体を前足でそっと押した。
逆らえない力だった。俺の身体はなすすべもなく、その抜け道へと押し込まれる。
『生きなさい……ヴァイス。私の誇り…’’風と共に’’……』
それが、俺が聞いた母さんの最後の言葉だった。
抜け道の向こうで母さんの巨体が、ゆっくりと横たわる気配がした。
そして、か細かった心音が、完全に途絶えた。
あああああああああああああああ。
声にならない絶叫が、俺の胸の中でこだました。
振り返りたい。岩を壊してでも、母さんの元へ戻りたい。
しかし、母さんの最後の願いが、俺の足を前へと動かした。
「生きろ」と言われた。
命を懸けて守られたこの命、無駄にするわけにはいかない。
俺は、生きなければならない。
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、俺は闇のトンネルを、ただひたすらに走り続けた。
背後から、生き残った騎士たちの怒号が聞こえる気がしたが、もうどうでもよかった。
狭いトンネルを抜けた先は、崖の裏側だった。
冷たい夜風が、涙で濡れた頬を打つ。
俺は振り返ることなく、傷ついた身体に鞭打って翼を広げ、夜の闇へと飛び立った。
愛する母と、温かい巣。
俺の世界のすべてだったものを、一夜にして失った。
胸に残るのは、空っぽの喪失感と、そして――
人間への燃えるような憎しみ。
風竜ヴァイスの、長く、孤独な復讐の旅が、この瞬間から始まった。




