第五話 巣の攻防
「突入せよ!」
騎士団長の怒号が、洞窟の張り詰めた冷たい空気を震わせた。
その号令に応じ、松明を掲げた三十名ほどの騎士たちが、重厚な盾を構え、剣を抜き放ちながら一斉になだれ込んでくる。
彼らの鎧がぶつかり合う金属音と足音が、不快な不協和音となって静寂な洞窟内に響き渡った。
俺は財宝の山の陰、暗闇の中から息を殺してその光景を見つめていた。
心臓が早鐘のように鳴り響き、全身の血が逆流するような感覚に襲われる。恐怖で手足が石のように重く、動かない。
今の俺には、母さんに言われた通り、気配を消して震えていることしかできなかった。
土足で踏み込んできた騎士たちの前に、闇の中から巨大な影がぬっと姿を現す。
母さんだ。
月光そのものを結晶化させたような純白の鱗、そして暗闇に燦然と輝く黄金の瞳。
その神々しくも圧倒的な存在感を前に、勢い込んでいた騎士たちの足がぴたりと止まった。
先頭にいた数人は、あまりの威圧感に腰を抜かし、無様に尻餅をついている。松明に照らされた彼らの顔には、獲物を見つけた興奮など微塵もなく、絶対的な「死」を目前にした生物特有の、原初的な恐怖だけが浮かんでいた。
「ひ、怯むな!相手はただの獣だ!魔法障壁を展開しろ!弓兵、援護射撃だ!」
騎士団長らしき男が、恐怖を振り払うかのように声を裏返して叫ぶ。
その叱咤に我を取り戻したのか、後方から数人の魔導士らしきローブ姿の男たちが進み出て、杖を構えた。
早口の詠唱と共に、彼らの前方に半透明の青白い光の壁、魔法障壁が出現する。同時に、後方に控えていた弓兵たちが一斉に矢を放った。
ヒュンヒュンヒュンッ!
鋭い風切り音と共に、鋼鉄のやじりを持つ十数本の矢が、母さんの巨体めがけて殺到する。
しかし、その矢が母さんの白銀の肌に届くことはなかった。
母さんは鼻先で、フン、と短く息を吐いただけ。
たったそれだけで、母さんの周囲に不可視の風の渦が生まれ、矢はまるで見えない巨人の手で払われたかのようにあらぬ方向へと弾き飛ばされ、虚しく岩壁に突き刺さった。
「なっ……!?」
騎士たちが驚愕に目を見開き、動きを止めたその一瞬。
母さんの、静かなる反撃が始まった。
ゴオオオオオオオオッ!!
それは、俺が訓練で見たウィンドブレスとは次元が違う、まさしく局地的な「嵐」そのものだった。
轟音と共に放たれた暴風の塊は、魔導士たちが展開した魔法障壁に正面から激突する。
数人の魔導士が全魔力を込めたはずの光の壁は、一瞬で蜘蛛の巣のような亀裂に覆われ、次の瞬間、薄いガラス細工のように粉々に砕け散った。
障壁を紙切れのように突き破った暴風は、威力を失うことなく騎士団の前衛を飲み込む。
鋼鉄の鎧など、ドラゴンの息吹の前では何の意味もなさなかった。
数人の騎士が悲鳴を上げる間もなく、木の葉のように宙を舞い、数十メートル後方の洞窟の壁に叩きつけられて動かなくなった。
「うわああああ!」
「だ、ダメだ!魔法が効かないぞ!強すぎる!」
整然としていた隊列は一瞬で崩壊し、洞窟内は阿鼻叫喚の坩堝と化した。
しかし、母竜の攻撃はそこで終わらない。
長くしなやかな尻尾が、鞭のようにしなり、床を薙ぎ払う。逃げ惑う騎士たちが、まるでボウリングのピンのように次々と薙ぎ倒されていく。
その動きは、巨体からは想像もつかないほど精密で、無駄がなく、そして残酷なまでに洗練されていた。
俺は、その光景をただ呆然と見ていることしかできなかった。
母さんは、強い。圧倒的に強い。
人間など、まるで相手になっていない。アリが巨象に挑んでいるようなものだ。
この戦いはすぐに終わる。
愚かな侵入者たちは追い払われ、また静かな夜が戻ってくる。
そう、俺は信じていた
「散開しろ!ヤツの動きを止めろ!竜用の拘束魔道具を使え!」
騎士団長の裂帛の叫びが響く。
その声に、恐怖で浮足立っていた騎士たちの動きが一変した。
彼らは蜘蛛の子を散らすように母さんから距離を取り、円を描くように取り囲む陣形を再構築する。そして、数人が背負っていた巨大な筒状の魔道具を、一斉に構えた。
ズシュッ! ズシュッ!
乾いた発射音と共に、その筒から光る鎖のついた太い金属の杭くいが何本も射出された。
母さんはそれを翼で弾き返そうと身を翻すが、杭は空中で意思を持った蛇のように軌道を変え、巧みに母さんの巨体を避け、周囲の地面や岩壁に深々と突き刺さった。
ガシャン! ガシャン!
杭が配置につくと同時に、杭と杭の間に高出力の魔力の光線が走り、幾何学模様を描く強固な「光の檻」となって母さんを閉じ込めた。
「グルルル……ッ!」
母さんが苛立ちの唸り声を上げ、光の檻に体当たりする。
しかし、檻はびくともしない。それどころか、接触した瞬間に激しい火花を散らし、魔力の電撃が母さんの身体を焼いた。
焦げた鱗の嫌な匂いが、風に乗って俺の鼻をつく。
「よし、動きを封じたぞ! 今だ、総攻撃をかけろ!」
好機と見た騎士たちが、獲物に群がる蟻のように再び母さんへと殺到する。
剣が、槍が、攻撃魔法が、檻の中の動けない母さんへと雨あられと降り注いだ。
母さんの鋼よりも硬い白銀の鱗は、そのほとんどを無効化し弾き返すが、中には強力な貫通魔法や、魔力を付与された特殊な武器もあるのだろう。
少しずつ、しかし確実に母さんの美しい純白の鱗に傷がつき、そこから赤い血が流れ始めた。
(やめてくれ……)
俺は心の中で悲鳴を上げた。
母さんが傷つけられている。俺を、この巣を守るために。
飛び出したい。俺も戦いたい。あいつらを吹き飛ばしてやりたい。
だが、母さんの「絶対に出てきてはいけない」という言葉が、呪縛のように俺の足をその場に縫い付けていた。
俺が飛び出せば、母さんの覚悟が無駄になる。まだまともに戦えない俺は、足手まといにしかならない。人質にされれば、母さんはさらに追い詰められる。
わかっている。頭では痛いほどわかっているのに、身体の震えが止まらない。
戦況は拮抗していた。
母さんは檻の中からでも、ブレスや尻尾による衝撃波で反撃し、不用意に近づく騎士たちを次々と戦闘不能にしていく。
しかし、光の檻に阻まれて決定打を与えることができず、逆に遠距離からの攻撃でじわじわとダメージを蓄積させていた。
騎士団も半数以上が倒れ、満身創痍だった。
それでも、騎士団長を中心に、彼らは決して退こうとはしなかった。富と名声への執念か、あるいは仲間を殺された怒りか。その瞳は、狂気じみた異様な光を宿していた。
「……くそッ、なんて生命力だ。もう、これを使うしかないか」
騎士団長が、何かを決意したように忌々しげに呟いた。
彼は懐から、禍々しい紫色の光を放つ、歪な形状の宝玉を取り出した。それが出現した瞬間、周囲の空気が淀んだように感じられた。
「団長、それは……!『禁忌の魔玉』では!?それを使えば、この一帯のマナまで汚染されます!」
部下の一人が狼狽したように叫ぶ。
「構わん!このままでは全滅だ!竜の首を持ち帰れねば、我々に未来はない!」
騎士団長はそう叫ぶと、躊躇なく宝玉を母竜に向かって投げつけた。
宝玉は重力を無視したような不気味な軌道で放物線を描き、光の檻をすり抜けて、母竜の背中に吸い付くように張り付いた。
その瞬間。
「グ……アアアアアアアアアアアアアッッ!!」
母さんが、これまで聞いたこともないような絶叫を上げた。
それは痛みというより、魂そのものを削られるような悲痛な叫びだった。
宝玉から、おびただしい数の黒い茨のようなオーラが噴き出し、母さんの全身に絡みついていく。それは、母さんの生命力そのものを貪むさぼり食い、吸い取っているかのように見えた。
月のように美しかった純白の鱗が、急速に輝きと色を失い、どす黒く変色していく。
まずい。
あれは、本当にまずいものだ。
俺の本能が、サイレンのように最大の警鐘を鳴らしていた。
あれを剥がさなければ、母さんが死んでしまう。
その考えが頭をよぎった瞬間、俺の中で理性をつなぎ止めていた何かが、ぷつりと切れた。
母さんとの約束? 足手まといになる?
そんなことは、どうでもよかった。
ただ、母さんを失いたくない。その一心だけが、俺の身体を突き動かした。
「やめろおおおおおおおおっ!!」
俺は財宝の山から飛び出し、人間だった頃の叫び声と、竜としての怒りの咆哮が混じり合った絶叫を上げた。
そして、まだ未熟で不完全な、けれど殺意と怒りに満ちたブレスを、元凶である騎士団長に向かって全力で放った。




