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妹が運命の人にされましたが、本当の手紙の主は私です

作者: 平瀬ほづみ
掲載日:2026/02/20

「オーギュスト、そろそろ真面目に結婚相手を探しなさい」


 クラウゼン公爵家の立派な食堂の入口にて。

 寝不足の目に朝日が沁みるため半目になっていたオーギュストと顔を合わせるなり、いきなりそう切り出してきたのは母・マルガレーテである。


「は?」

「昨日、お兄様のところに行ってきたのだけれど、王太子夫妻に子どもができたらしいのよ。まだ公になっていないけれど、来年には孫が生まれるとお兄様に自慢されて腹が立ったの」

「……なぜ?」

「うらやましいじゃない。孫! わたくしも孫がほしいわ。我がクラウゼン家のためにも孫は必要よ」

「……孫……」

「なのにオーギュスト、あなたときたら社交もさぼって仕事ばかり。そんなだから嫁が見つからないのです。顔はお父様に似て美形なんだから舞踏会で微笑めばコロリと落ちるご令嬢の一人や二人はいるでしょうに」


 ふんすと鼻を鳴らす母をオーギュストは半目のまま見つめた。

 銀髪に青い瞳は北方出身だという曾祖母由来で、整った顔立ちは確かに父譲りである。が、仕事が忙しいのも早世した父のせいでもある。


 父はこの国の宰相で、オーギュストもいずれその立場につくことを期待されており、父の仕事を手伝っていた。しかしその父が一年ほど前に突然倒れてこの世を去った。オーギュストは二十五歳で公爵位と、やりかけの膨大な業務を受け継いだ。


 周囲に振り分けてもすべてについてなんとなくでも知っているのはオーギュストしかおらず、結果としてオーギュストはすべての業務の中継役となって仕事に忙殺されているのである。

 今までも社交どころではなかったが、現在もそれどころではないのだ。


「私は嫁探しどころではないので、母上に一任します。健康で性格が明るくて我が家にふさわしい家柄のご令嬢でしたら高望みはしませんので」

「何をいうの、人生の伴侶は深い愛情で結ばれるべきよ」


 母がぐりぐりとオーギュストの額を人差し指で押す。

 国王の妹で、父に一目惚れし猛烈にアタックを繰り返して父はもちろん周囲も黙らせ王家から降嫁してきた母は、恋愛至上主義だった。


「この夏、あなたのための嫁探し舞踏会を開くわ。その場で花嫁を見つけるのよ」

「はあ?」

「これは命令です。いいわね?」


 そして今でも王女様気質が抜けていない。行動が突飛かつ人の話を聞かないのだ。

 オーギュストに面倒ごとが増えた瞬間だった。


***


 エルンベルク伯爵家には双子の姉妹がいる。

 姉のメルアはまっすぐな黒髪に真っ赤な瞳。

 妹のルイーゼは豊かに波打つ金髪に青く澄んだ瞳。

 同じ両親から同じ日に生まれたのに二人の外見は正反対。そしてメルアは褐色の髪に瞳を持つ両親のどちらにも似ていなかった。

 そして大きくなるにつれ、メルアは伝承に出てくる魔女そっくりになっていく。人に見られて悪評を立てられてはルイーゼの将来にも響く。

 両親は「メルア」は病弱で外に出ることが難しいということにし、外に出ることを禁じた。


 ――けれど、ルイーゼの世話係としてなら、外出できるのよね~。


 長めの分厚い前髪の陰に瞳の色を隠し、地味な姿でひっそりとたたずめば、誰も顔なんて覗き込んでこない。顔立ちはルイーゼと同じだが、目立たない努力をすれば目立たないのである。

 メルアは華やかな舞踏会の会場の片隅で、貴公子と踊るルイーゼを見ていた。

 ルイーゼの美貌は幼い頃から有名で、社交界にデビューするなりダンスの申し込みが殺到するほど。

 昨今の情勢に取り残されたエルンベルク家は財政状況が傾きつつあり、家を維持するためには有力な貴族との結婚が不可欠であった。ルイーゼの美貌はエルンベルク家を救う最後の切り札なのだ。けれど。

 ダンスを終えたルイーゼが貴公子の一人に送られて戻ってくる。


「それでは、また」

「ありがとうございます」


 ルイーゼの手に口付けし、爽やかに挨拶をする貴公子に、ルイーゼは華やかに笑みを浮かべて見送る。

 そして彼が立ち去るや否や、くるりと振り向いた。


「メルア、ここから連れ出して」

「かしこまりました、ルイーゼお嬢様」

「もう、メルアったら」


 付添のメイドらしい言葉で返せば、ルイーゼが困ったように笑う。


「お母様はどこかしら。もう帰りたいわ」


 二人で連れ立って舞踏室を出て、廊下を歩く。


「よそのマダムたちとおしゃべりしているのだと思う。疲れた?」

「くたくたよ。知らない男の人に触られるおそろしさを分けてあげたいわ、メルアにも」


 廊下にいる人に聞こえないよう、ルイーゼが小声で囁く。

 ドレスからむき出しの腕には確かに鳥肌。


「でも上手に踊れていたわよ。エルンベルク伯爵令嬢っぽくてよかったわ」

「そう? メルアと笑い方や話し方を特訓した甲斐があったわ」


 ルイーゼの言葉にメルアは微笑んだ。

 エルンベルク伯爵令嬢ルイーゼは、美しく気品あふれる社交界の花。そう言われているが、それは演技だ。本当のルイーゼは内気で知らない人と話すのが苦手だ。

 そして外に出ることを禁じられているメルアは外の世界に興味津々で、物おじしない性格。

 ルイーゼの令嬢としての姿は、メルアとの特訓で作り上げられたものだった。


 両親は「二人の性格が反対ならよかったのに」と嘆いていたが、仲のいい双子の姉妹は「本当は二人で一人前なんだからしかたがないわ」と開き直っている。

 家の状況からルイーゼが条件のいい男性に嫁ぐ未来からは逃げられない。

 だからルイーゼはメルアを嫁ぎ先に連れていくつもりだった。

 困った時はお互いに助け合う。それが双子の不文律。生まれてから十八年、二人はそうやって支え合いながら生きてきた。


 自分が妹の影としてしか生きられないことを時々悲しく思うものの、内気で人見知りなルイーゼを一人にしておけないからこれでよかったのだと思う。メルアは自分の人生を受け入れていた。ほかに生きる道がないのだもの、しかたがない。

 真っ黒な髪の毛はともかく、血の色をした瞳は言い伝えられている魔女にそっくりだ。耳がとんがっていて、口の中に牙があれば完璧だ。でもメルアの耳は丸くて牙はない。私は人間だ。


***


 王都の図書館はメルアが単独で訪問できる、唯一の場所といっていい。

 外出にも交友にも制限がかかっているメルアにとって、本からの学びは最高の娯楽である。図書館通いは最大の楽しみだった。

 ルイーゼのお使いにきたフリをして本を借り、人のいない場所で読む。


 この国の人々は基本的に褐色の髪と目をしている。北方の民が金髪や銀髪に青色っぽい瞳をしているから、そういう色の人もたまにいる。けれど真っ黒でまっすぐな髪の毛の人はあまりいないし、赤い目となるとメルアは自分しか知らない。――魔女もいたか。でもあれは伝説の存在だから。


 けれど、けれどである。ここよりずーっと東、最果ての場所には黒髪の人々が住んでいるという。さらに最果ての海の向こう側には「太陽の昇る国」があるそうだ。

 数百年前の探検家が最果ての国で聞いた「太陽の昇る国」の話。それを書き留めた見聞録がある。少女の頃、興味の向くまま歴史の本を読んでいた時に見つけ、雷が落ちたような衝撃を受けた。


 探検家は結局、「太陽の昇る国」まではたどり着けなかったらしい。その国は長らく外の国との交流を断っており、秘密のベールの向こう側にいたのだが、最近になってその国が外の国との交流を始めたため、ちらほらと話題に出るようになった。


 見たこともない建物に服装、食べ物。まったく異なる文化、言語。けれどその国は高度に発達しており、誰でも学校へ行き、身分の差に関係なく読み書きも計算もできる。だから国中の人が当たり前のように字を読み、手紙を書くのだと。そして当然のようにたくさんの書物があるのだと。

 行ってみたい。想像もできない遠い異国に。

 読んでみたい。まだ見たことのない物語を。


 けれどそれは無理な話。メルアはルイーゼの影だから、ルイーゼをおいて一人で遠くには行けない。

 メルアにできることは図書館で「太陽の昇る国」にまつわる本を読み、想像することだけだ。

 メルアは興味のあるものにのめり込むタイプだった。

「太陽の昇る国」と出会って十年、手あたり次第に関連本を読んだだけでは物足りず、メルアは「太陽の昇る国」の文字の勉強まで始めた。今は多少は読み書きができるようになった。会話はできない。話し相手がいないから。


***


 ルイーゼが舞踏会疲れで起き上がれず、両親がどの家の令息と結婚すればエルンベルク家が安泰になるか楽しげに話し合っていたある夏の日の午後、メルアは一人で図書館に出かけた。もちろんエルンベルク家のメイドとして、である。

 今日はどの本を読もうかと本棚を見ながら歩いていたら、メルアの愛する「太陽の昇る国」関連の本がわずかに飛び出しているのを見つけた。

 珍しい、自分以外の人がこの本に触れることがあるのか。

 メルアは不思議に思いながら本を引っ張り出す。

 分厚い本からは何枚かのメモ用紙が飛び出していた。


 ――誰かが何かを調べて……忘れて行ったのかしら。


 興味を惹かれてメルアはメモ用紙が挟んであるページを開いた。

 そこには一枚の紙と、メモ用紙。

 一枚の紙に書かれているのは「太陽の昇る国」で使われている言葉だった。

 その文字が目に飛び込んできた瞬間、メルアの心臓が飛び上がった。

 本物だったからだ。紙に書かれている文字が。本に印刷されている写し書きではない。「太陽の昇る国」で作られた本物。

 誰かが書いた手紙のような。メモ用紙はこの内容を解読しようとして、諦めている節がある。

 何も知らない人間がなんとかできる言語ではないのだ。だって全然違う文化圏の言葉だから。

 メルアだってなんでも読めるわけではない。この国の言葉はとても複雑だから。

 でも、これは読めそう。


 メルアは本を手に閲覧用の机に座ると、じっと文書を見つめ、しばらくして持参した巾着の中から携帯用のペンとインクを取り出してメモ用紙に走り書きをした。

 間違っているかもしれないけれど、と但し書きをつけて、インクが乾くのを待ってから本に戻す。

 そして本を本棚に戻し、図書館を立ち去った。


 いつの間にか太陽は傾き、空には金色の雲がたなびいていた。もう少しすれば赤く染まるだろう。

 ずいぶん長く解読に熱中してしまったらしい。でも、なかなか楽しい時間だった。

 メルアは気付かなかった。入れ違いに図書館を訪れた背の高い銀髪の男性が慌てたようにまさにその本棚を目指し、目当ての本を見つけて引き出していたことを。

 本に挟まれたメモ用紙に気付き、驚いていたことを。


***


 メルアが再び図書館を訪れたのは、それから数日後のことであった。


 ――あのメモはどうなったかしら。


 異国の言葉の解読に挑戦した人は、メルアの残したメッセージに気付いただろうか。それとも忘れてしまっただろうか。忘れていたら回収しようかな、と思いながら本棚をめぐり目当ての本を見つける。

 本を開いてびっくりする。文書もメモも抜き取られ、代わりに異なる紙が挟まれていたからだ。二つ折りの便箋である。

 メルアは便箋を取り出すと開いて目を落とした。

 達筆な筆跡は力強く、男性のものと思われた。


『あなたの解読に感謝する。翻訳が正しいことを証明できないのが残念だが』


 確かにその通り!

 メルアは小さく笑って、本を手に机に向かった。携帯用のインクとペンを取り出して、その便箋の余白に返事を書き込む。


『正しいかどうかはホーエン伯爵の夫人におうかがいしてみれば? ただし会えるのならね』


 ホーエン伯爵は偏屈で知られる老人だ。その後妻としてやってきたのが「太陽の昇る国」の出身だと言われている。しかし、ホーエン伯爵は何十年も社交界と距離をおいており、異国人の後妻を迎えたというのは噂に過ぎない。

 インクが乾くのを待ってからメルアは便箋を元通りに折って、本の間に戻した。

 その本を本棚に返して、その場を去る。

 誰かの役に立てたような、立てていないような。

 屋敷の外の人と個人的に会話を交わしたのは(筆談だけれど)初めてだった。

 なんだかちょっと楽しい。


***


 数日後、再びの図書館にて。

 メルアは本棚にまたしても手紙を見つけた。新しい便箋に、ホーエン伯爵の夫人が「太陽の昇る国」出身だとは知らなかった。連絡をしてみる、という簡素なメッセージ。

 有名な話だと思っていたが、それはメルアが「太陽の昇る国」に興味があるからであって、案外知られていないものなのかもしれない。

 とはいえ、噂の域を出ないのだが、まあいいや。

『お役に立てて何よりです』

 メルアも簡素な返事を書き込んで再び便箋を本の間に戻す。

 私達は何をしているのかしら?

 なんだかおかしくなる。奇妙な文通相手にメルアは親しみを覚え始めていた。


***


 ようやくの思いで手に入れた大切な文書を図書館に忘れた。見知らぬ外国語で書かれていたため、図書館で解読の手がかりがつかめるかと思ったのだが、徒労に終わったのだ。それにがっくりきて何もかも忘れてしまったのは、仕事で疲れすぎていたせいか。最近、頭がまわらない自覚がある。

 オーギュストは自分のやらかしたミスに気が付いてあわてて図書館に戻り、文書を置き忘れた周辺を探る。

 ようやく「本の間に挟んだかも」と思い出せたのは、あらかた机周辺を捜しまわってからだった。


 記憶を頼りに本棚を探し、目当ての本を見つける。

 本にはちゃんと文書が挟まっていた。よかった、紛失していなかった。

 挟んだものをすべて取り出して確認すると、ふわりと清涼感のあるにおいが漂ってきた。なんだろう?

 そしてオーギュストが解読しようとしていろいろと走り書きをしたメモの端っこに、美しい文字が並んでいた。

 文書を解読したもののようだ。ただし、解読者本人も正しいかどうかわからない、と記している。


 ――たいして意味のある文書ではない可能性が高いんだな……?


 しかし書いてある内容が正しいのであれば、知りたいことはじゅうぶん知れた。


 ――誰だろう?


 この国の大半の人間が知らないような遠い異国からもたらされた文書を解読できるなんて、マニアックにもほどがある。嘘をつかれた可能性だって高い。

 オーギュストは、文書とメモを手にすると、本を本棚に戻した。そして文書とメモをファイルに挟む。

 その解読に対し返事を書いたのは、まあ、出来心だ。


 そしてその返事に返事があったことに驚いた。

 オーギュストが知りたいと思っていたこともちゃんと書かれていた。

 この国で正しくあの国の言葉を翻訳できる人物を探していたのだ。けれど、自分のまわりの人間は誰も知らないという。

 困っていたから、彼女からもたらされた情報は本当にありがたかった。

 返事が書かれた便箋からは、あの独特の清涼感があるにおいがする。インクのにおいだと気付いたのは少したってからだ。


 少し毒舌が入った短いメッセージは、公爵という地位らしくもなく簡素なものを好むオーギュストの心をつかんだ。図書館は上流階級しか利用できない。美しい文字から女性だろう。それも教養のある。

 会ってみたい。話してみたい。気が合いそうだ。

 でも、そんなことを書いたら文通の相手からは二度と返事が来ないような気がする。


***


 図書館に行くたびに新しい手紙が刺さっている。

「太陽の昇る国」について詳しく知りたいと聞かれれば、参考になりそうな本のタイトルを書き込んだ。

 読んでみたけど難しすぎたという感想には、同感ですと返した。

 最果ての東の国とは違う国なんだろうかという質問には、違う国ですよ、と答えた。よく似ているけれど、違う国なのだ。メルアにとって、彫刻と絵画くらい違う。最果ての東の国は彫刻で、立体的な形をしている。「太陽の昇る国」は絵画。一面からしかうかがい知ることができない。

 ……みたいなことを書いてみたら、「よくわかないたとえだ」と返ってきた。

 素直でよろしい。


「メルアは最近なんだか楽しそうね?」


 ルイーゼに指摘され、メルアは驚いた。普段通りにしているつもりだったのに。


「どうしてバレたって? だって、私とメルアは双子、それも二人で一人前なのよ? わかるに決まっているわ」


 何も言わないうちにルイーゼにそう返されて、メルアは目を真ん丸に開いた。


「でも私はルイーゼのことなんて何もわからないわよ」

「それはね。私は退屈しているからよ。楽しいことなんてなに一つないもの。もし私が素敵なものを見つけてワクワクしていたら、メルアにもすぐにわかると思うわ」


 今夜も舞踏会なんて勘弁してー、とルイーゼが呻く。

 内気で人見知りなルイーゼにとって、「エルンベルク伯爵令嬢」でいるのは大変らしい。


***


「クラウゼン公爵家で大規模な舞踏会が開かれるそうよ。クラウゼン公爵オーギュスト様が花嫁を探すのですって。それで、王都中の令嬢のもとに招待状が届いているらしいわ」


 ある日、届いた舞踏会への招待状を身ながらルイーゼが語る。


「クラウゼン公爵といったら、お母様が国王陛下の妹君よ。今年で二十六歳! 今まで一度も舞踏会にいらっしゃらなかったからすでにどなたかと内々にお話が進んでいるのかと思ったけれど、違ったのね。これはチャンスだわ、ルイーゼ!」


 母が目を輝かせる。ルイーゼの顔が引きつる。


「無理だと思うわ、お母様」

「あなたの美貌ならクラウゼン公爵も落とせるわ。自信を持ちなさい! クラウゼン家と親戚になれれば我が家も安泰だわ」


 母が去ったあと、ルイーゼは泣きそうな顔でメルアを振り向いた。


「大丈夫よ。私もついていくから」


 何もできないことを歯がゆく思いながらルイーゼを励ますと、ルイーゼは硬い表情のまま頷いた。


***


 手紙の人は忙しくなったらしい。新しい手紙が刺さることはなくなった。

 このまま縁が切れてしまうのは寂しいが、相手が誰なのかもわからないのだからどうしようもない。メルアは最後に自分から「あなたに幸せが訪れますように」と、手紙の締め文として一般的な文章をしたためた便箋を挟んだ。本当の気持ちだ。届いてほしい。


***


 一か月後、クラウゼン公爵家でオーギュストの花嫁を探す舞踏会が開かれた。

 宮廷舞踏会に匹敵する規模で、招待された令嬢の数もかなりのものだ。


「王国中の令嬢に招待状を出したのかしら」


 ルイーゼの嫁ぎ先探しのため場数を踏んでいる母ですら呆れるほど。内気で人見知りのルイーゼなど血の気をなくして倒れそうだ。


「大丈夫、がんばって」


 ルイーゼを励まして送り出す。母は友達を見つけて去っていった。いつものように部屋の片隅に待機するが、人が多すぎてルイーゼの頑張りは確認できない。

 真夏ということもあり、人の多さで空気がよどむ。かなりの間、片隅に立っていたが、ルイーゼが帰ってくる気配もない。

 だんだん気持ちが悪くなってきたメルアはそっと大広間を抜け出した。

 開放されている庭園の片隅で少しばかり休憩しよう。そう思って歩いている時だった。何かにつまずいて盛大に転ぶ。


「うぐっ」

「いったあ……!」


 すぐそばで自分以外の声があがったことに驚き、その次に、自分が誰かの上に倒れ込んでいることに気が付いて驚く。


「ごめんなさい! というか、なぜ……」


 夜の庭園の片隅に男性が倒れており、その長い脚が通路に投げ出されていてメルアがつまずいたらしい。あわてて男性の上からどく。

 男性は黒い夜会服だった。庭園はところどころに松明がともっているだけでほとんどが闇に沈んでいるから、人が倒れていることに気付かなかった。

 だいたい、夜の庭園に人が倒れているなんて思わないではないか!


「君は……そのにおい……」

「におい?」

「ああ、いや、なんでもない。すまない、人を……そうだな、クラウゼン家の執事を呼んできてくれないだろうか。ただ大事にはしたくないので、ほかの人には知られないように、そっとだが……」


 半身を起こして訴える男性の髪の毛は、月明かりに照らされて銀色に輝く。顔はよくわからない。本人が目を押さえているため、顔の大半が隠れているから。よく見れば夜会服の肘と膝が破れ、土がついている。この近くで盛大に転び、そのままの姿勢でいたようだ。


「わかりましたわ。……目をどうかされたのですか?」

「急に見えなくなったんだ。何があったんだろう。疲れすぎだろうか。だんだんと視界がかすんで、気持ちが悪くなってきたから、外の空気でも吸おうと」


 男性が盛大に溜め息をつく。その吐息に金木犀に似た甘いにおいが混じっていることに気付く。


「トーレの毒かもしれません」

「トーレ?」

「一時的に視力が失われるのです。少し休めばよくなります。トーレの花の蜜にはそういう成分が含まれているのですけれど、異国にしか咲かない花で、この国では入手が難しいのですが」

「なぜそんなことを知っている」


 顔を手で覆ったまま彼が聞く。


「本に書いてありました。具合が悪くなる前に甘いものを口にされませんでしたか」

「ああ、さる方に珍しい酒が手に入ったとすすめられて……彼もいっしょに飲んだからまったく警戒しなかった……」

「グラスに塗られてたのかもしれませんね。死に至る薬ではないのです。都合よく目が見えなくなるから悪事に使われやすいのですが、効果は長続きしません。三十分もしないうちに回復するはずですよ。ほら、少し、見えるようになってきているのでは?」


 それはあてずっぽうだったが、青年は手をどけて、その手をまじまじと見つめた。

 整った顔の男性だった。舞踏会の場数を踏んでいるメルアも見たことがない人物だ。誰だろう。


「ああ、本当だ。ぼんやり見えてきた。だんだん見えなくなってきた時はものすごく焦って、あわてて逃げ出してきたのだが。たいしたことはなかったんだな。大騒ぎして情けない」

「でもよからぬことを考えなければこんなものは使いません。逃げ出して正解です」

「君は、優しいな。そして物知りだ」

「優しくはありませんし、頭でっかちなだけです。図書館通いが趣味なので」

「図書館。どんな本を読む? いや、毒物に詳しいようだから」

「毒に詳しいわけではなくて、そういう記述がある物語を読んだことがあって。その植物が実在するのか調べたから知っているだけです。毒のスペシャリストではありませんよ」

「向学心が強いんだな。声からして若そうなのに、……君は変わっている」


 この人、目が見えていないから私を令嬢の誰かと勘違いしているらしい。

 ご令嬢なら図書館通いはしないだろう。お茶会と舞踏会と観劇と散歩とお買い物と……まあ、そんな感じ。


「……そういうふうにしか生きられないのです」


 令嬢らしく当たり障りなく答えるべき場面なのに、口をついて出たのは本心だった。なぜだろう。誰かに「私」の存在を知ってほしかった? 見た目と体質のせいで表に出られない娘がいることを? そんな自己主張をこの人に対して行ってどうするの。独りよがりにもほどがある。


「助けを呼んできますね。あなたはここにいて」


 メルアはそう言うと立ち上がり、大広間へと向かった。

 大広間に入ると泣きそうな顔でルイーゼがメルアを探していた。いきさつを話し、ルイーゼに公爵家の執事を探してもらう。メルアは目立ってはいけないから。

 しばらくして、主催のクラウゼン公爵が体調不良になったことで舞踏会そのものがお開きになった。

 花嫁探しの舞踏会が中断されたことで多くの令嬢たちが不満顔になっていたし、姉妹の母親も同様だったが、ルイーゼもメルアもほっとしていた。何しろ人が多すぎて空気が悪かったので。


 この出来事は翌日には王都の社交界に広まったが、エルンベルク家にはそれどころではない激震が走った。

 なんと、クラウゼン公爵オーギュストからルイーゼに婚約の打診が入ったのである。

 夜の庭園に倒れていたのは、なんと、オーギュストだったらしい。

 オーギュストいわく、あの夜自分を助けてくれたご令嬢こそ運命の人だったのだとか。


***


「オーギュスト様は私とメルアを勘違いしているのよ。だって、私とメルアは同じ声だもの。倒れていたオーギュスト様を最初に見つけたのはメルアよ! お断りすべきだわ!」


 オーギュストが帰った途端、ルイーゼは父に噛みついた。


「だからなんだ。おまえとメルアは双子、つまりどっちだって同じだろうが」

「違うわ。他人よ。ぜんぜん違う。メルアは賢くて勇敢だけれど、私はもの知らずで臆病者よ。オーギュスト様の運命の人はメルアだし、将来宰相になる方の妻にふさわしいのもメルアだわ!」

「視力が戻った時にそばにいたのはルイーゼ、おまえだろう。オーギュスト様はおまえに惚れたんだ」


 父は縁談を進める気満々だ。母に泣きついても同じ答えだった。


「どうしよう、メルア! 私じゃないのに」


 真っ青な顔でルイーゼがメルアに相談する。


「大丈夫よ、ルイーゼ。私たち、二人で一人前だもの、私がそばにいて困ったら助けてあげるから」


 何をどう助ければいいのかわからないが、おろおろしやすいルイーゼにはこの言葉が一番効く。


「本当? でも」


 ルイーゼは納得していないようだ。

 本当はメルアも少し納得がいかない。オーギュストが気に入ったのは自分のほうかもしれないから。とはいえ、現実的にメルアは「ない」。見た目が魔女そっくりなメルアが公爵夫人になれるはずないのだ。社交界での知名度もない。舞踏会でのダンスの経験もない。お茶会も、おしゃべりしながらの散歩も。自分にあるのはでっかちな頭だけである。


***


 すぐにでも婚約を結びたい父をいなして「とりあえず、結婚を前提にお付き合いしましょう。婚約はおりを見て」という方向に持ち込めたのは、内向的なルイーゼにしては大健闘といえた。

 そうしてオーギュストとルイーゼの交際が始まった。

 貴族同士、婚約を交わす前とあって清いお付き合いなのは当然である。ルイーゼの付添人としてメルアが常にそばに控える。


 オーギュストは大変に好感の持てる人物だった。

 父の跡を継ぎ、家のことはもちろん、王宮補佐官としての仕事を行っている。かなりの激務らしいことは言葉の端々から感じ取れた。舞踏会の顛末は、彼の妻の座がほしい人物がトーレの花の蜜を飲ませて何かよくないことを考えてのことだったらしい。その人物もさっさと特定できたようで、お粗末な頭の持ち主があぶりだせてよかった、とオーギュストはなかなか辛辣だった。


 オーギュストはルイーゼを物知りな人物として話を振ってくる。あの夜の会話なら、そう判断されても仕方がないかもしれない。けれどルイーゼ本人は博識ではない。令嬢業に忙しい彼女は、一般知識しか持ち合わせていない。

 話についていけなくなるたび、ルイーゼはメルアに助けを求めた。

 オーギュストの話をわかりやすく説明すれば、ルイーゼは「ああ」とようやく頷く。嘘を言っていないことの確認のためにオーギュストを見やれば、青い瞳がメルアを見つめる。

 この人と正面から話せたらいいのに。けれどそれはできない。


「博識な付添人だ」


 オーギュストに褒められても素直に喜べないのは、彼が見ているのはルイーゼだからだ。

 ある日、王都の公園の遊歩道で、オーギュストが外国の文書を翻訳するのに苦労した話をしてくれた。

 歩きながら話すのは、この国の上流階級ではよくあるデートスタイルだ。

 翻訳できそうな人にも心当たりがなく、解読の手がかりを求めて図書館に駆け込んだけれど、どうしようもなく。投げやりになりその文書を挟んだまま図書館から帰宅したことを思い出したのは翌日で、慌てて文書を取りに戻れば翻訳と思われる一文が書いてあったとか。


 メルアの文通相手はオーギュストだったのか!


 なんという運命のいたずらだろう。

 会ってみたい、話してみたいと思っていた人は妹に興味を抱いている。

 そして、メルアは「あれは私よ」と言い出せない立場にいる。


「近々、その国と交渉しようかという話が出ているものの、その国のことは本当に何もわからない。すべて伝聞だ。だからその国の内部の動きを知りたくて、最果ての東の国まで行く商人になんでもいいからその国の中の情報を持ち帰ってくれと頼んだところ、よこされたのがあの紙切れ一枚だった」


 何が書いてあるのかわからないから人に見せるわけにもいかず困っていた、と彼が呟いた。

 まあ確かに。あれはあの国の商人が配っていた限定品セールのチラシだった。

 ルイーゼから質問を受ける関係上、メルアはルイーゼのすぐ後ろを歩いている。二人の会話が聞こえる位置だ。


「親切な方がいらっしゃってよかったですね」


 感心するルイーゼの背後でその時のことを思い出して笑いかけ、メルアはあわてて顔を引き締めた。何も知らないメルアがここで笑ってはおかしいからだ。


 目の色を見せないように俯いているメルアは気が付かなかった。

 オーギュストが険しい表情を浮かべ、ルイーゼを通り越してメルアを見つめていることを。


「では、また」


 その日の終わり、オーギュストがルイーゼの手を取って口づける。


「あなたも、いつもありがとう」


 オーギュストはメルアにも同じように手を取って口付けた。

 心臓がひとつ大きく跳ねる。

 誰かに令嬢として扱われたのは初めてだ。いつも地味な見た目のメイド姿だから誰もメルア「も」伯爵令嬢だとは思っていない。


「素敵な方だわ。博識で礼儀もわきまえていて」


 オーギュストと別れたあとルイーゼに感想を述べれば、


「あれはすべてメルアに捧げられるべき誠実さよ。私にではないと思う」


 ルイーゼは深く溜息をついた。


***


 オーギュストは不思議に思っていた。

 トーレの花の蜜にやられて倒れたとき、そばにいたのは間違いなく文通の相手だ。

 手紙から漂うあの清涼感あるインクのにおいが、介抱してくれた彼女から漂ってきた。服の袖口に染み込んでいるのでなければ、彼女の指先に染みついているのだろう。

 それにあの時の理路整然とした話し方。豊富な知識。文通相手らしい、と思った。

 そしてインクのにおいだ。

 あのにおいを持つ人が何人もいるとは思えない。


 彼女が助けを呼びに行き、戻ってきたころにはだいぶ視力も回復していた。

 あの場に倒れていることを知っているのは彼女のほかにいないし、声は確かに彼女のものだった。だからオーギュストは、文通相手こそエルンベルク伯爵令嬢ルイーゼだと思い、彼女に求婚を打診したのだが、なんだか様子がおかしい。


 ルイーゼからは打てば響くような返事がこないのだ。オーギュストの話に「素晴らしいですね」「すごいわ」「尊敬します」あたりの、令嬢定型文が戻ってくるだけなのである。

 そしてわからないことがあると、背後に控えている地味なかっこうのメイドに解説を頼むのだ。彼女のほうがよほどものを知っている。


 そして気が付いた。この国では珍しい黒髪のメイドは、目にかかるほど長い前髪をしており、いつも俯いて顔がよく見えないけれど、声がルイーゼにそっくりだということに。二人の会話だけを聞いていると、どっちがどっちなのかわからなくなるほどである。ただ口調や話す内容が異なるので、区別はつくのだが。

 よくよく見ればメイドは若く、そして整った顔立ちをしている。

 野暮ったいかっこうをしていなければ、ルイーゼに負けないほど美しく輝くのではないか?


 舞踏会の夜、転んだオーギュストにつまずいてオーギュストに倒れ込んできたのは、本当にルイーゼだったのか?

 ルイーゼは舞踏会の花だ。一人で夜の庭園を歩くはずがない。

 そして付き添いのメイドは、ただのメイドとは思えないほどルイーゼと親しい。

 舞踏会にも付き添っていてもおかしくない。付添人なら一人で庭園にいても、おかしくない。


 そう気が付いたら確かめずにはいられなかった。

 別れ際にルイーゼとメイド、それぞれの手をとって口づける。淑女に対する礼のひとつだ。珍しい動作ではない。

 ルイーゼからは甘い香水のにおいがした。

 そして付き添いのメイドからは、清涼感があるインクのにおいがした。


 ――どういうことだ……?


 これは、調べる価値がありそうだ。


***


 時は過ぎる。夏が終わり、秋が深まっていく。

 オーギュストとルイーゼの交際は続いているが、二人の仲が深まっていくようには見えなかった。一方のメルアはルイーゼと真逆で、どんどんオーギュストに魅了されていった。

 物知りで、国のために身を粉にして働いているオーギュスト。

 彼の誠実さ、知識の広さは尊敬に値する。

 彼と直接話して、いろんな話を聞かせてほしい。メルアの知っている話も教えたい。でもできない。自分はルイーゼの付添人。ただの影。表に出てはいけない存在。


 二人の仲は進展しないが、このままではよくないということで、両親の口から具体的に婚約の話が出始めた。ルイーゼに拒否権はない。ルイーゼはオーギュストと結婚するだろう。そうなったら私は?

 もともと誰と結婚することになっても、ルイーゼはメルアを嫁ぎ先に連れていくつもりでいた。ルイーゼの精神安定のためにメルアが必要だからだ。

 オーギュストとルイーゼの新居にも連れていかれるの?

 ルイーゼから夫としてのオーギュストにまつわる相談事をされるの?

 それはいやだ。さすがに耐えられない。けれど、ルイーゼに拒否権がないように、メルアにも拒否権がない。私達は二人で一人前。二人そろってようやく「普通」なのだ。


***


 紅葉が美しい季節、クラウゼン家から茶会の招待状が届いた。珍しく、一家全員招待されている。

 ホーエン伯爵夫人がルイーゼに会いたがっている、とのことだった。


「聞いたことがない人ね。そのうえ、ルイーゼだけではなく私たち全員とはどういうことかしら?」


 招待状を見た母が不思議がり、父も同様。ルイーゼは怯えた顔になった。


「私、何かしたかしら。こわいわ。ホーエン伯爵夫人なんて聞いたこともない」


 ホーエン伯爵は偏屈な老人で、現在の夫人は後妻に迎えた若い外国人女性だ。名をユリエという。

 メルアが知る限り、唯一の「太陽の昇る国」出身者だけれど、うわさでしか聞いたことがなかった。実在したのね。


***


 茶会にはメルアもついていったが、エルンベルク家の人間としてみなされていないので別室待機になった。


 ――ホーエン伯爵夫人、お会いしてみたかったわ。


 見事に紅葉した庭園が見える部屋で一人ぼんやりしていたら、屋敷のメイドがお茶を持ってきた。

 緑色に濁ったお茶に、白くて丸っこいお菓子だ。

 緑色のお茶は爽やかないいにおいがした。口に含んでみたら意外と苦く、メルアは白いお菓子を口に入れた。こちらはびっくりするくらい甘く、味わったことがない風味がした。苦いお茶にこの甘いお菓子はよく合う。


「太陽の昇る国」のお茶とお菓子なんだろうな、と思いながらお茶を味わいつつ、紅葉を眺める。ホーエン伯爵夫人の気遣いだろう。たぶんお茶はこの国では手に入らないものだから、嫁ぐ際に故郷から持ってきたものではないだろうか? お菓子は故郷のものに似たものを作った気がする。


 故郷から遠く離れるとはどんな気分だろう。

 表に出ることができない自分にはよくわからない感覚だ。

 私は一生、ルイーゼの影でいなくてはならない。

 ただ、髪が黒くて目が赤いだけで。……まあ、目の赤い人間には出会ったことがないから、自分が普通の人間かどうかは自信がない。耳が丸くて牙がないだけで、魔女ではないと言い切れない。

 もし髪の毛がルイーゼと同じ金色なら。

 瞳が青色なら。

 私も日の当たる場所に立っていた?

 オーギュストは私を見てくれた?

 そんなことを考えていたら、ぽたぽたと涙がこぼれてきた。

 泣きたいわけではないのに、涙が止まらない。

 なぜ。


 別にルイーゼの影として生きるのが嫌なわけじゃない。ルイーゼが嫌いなわけじゃない。頭ではわかっているのだ。けれど、やはりただ誰かに見つけてほしかった。話を聞いてほしかった。その人がオーギュストであればいいなんて夢をみてしまったからいけないのだ。

 夢は夢。

 遠くにあって「きれいだな」と眺めるくらいでなければ自分がつらいだけ。


 コンコンコンと、ドアがノックされる。

 メルアはあわてて涙をふくと返事をした。


「……泣くほど緑茶が苦かったですか?」


 入ってきたのはオーギュストその人だった。メルアはあわてて俯き、「そんなことは」と言いかけ、

「そうですね、驚きました」と言い直した。


「メルア嬢。まずはあなたにお詫びを」

「メ……詫び……?」


 名前を呼ばれ、俯いたままメルアは怪訝そうに呟いた。

 誰が彼に私の名前を教えたの?


「私は舞踏会の夜に運命の人と出会いました。いえ、それより少し前にもう出会っていたのですが、どこの誰かわからず困っていたのですよ。私へのアドバイスが的確で、ちょっと毒舌で。本当に困っていたから、あの手紙には助けられた」


 その話は前にも聞いた。


「そして舞踏会の夜、トーレの花の蜜で一時的に視力を失い、庭園でひっくり返っていた私を助けてくれたのは、図書館で手紙のやり取りをしたご令嬢でした。これは間違いない」

「どうしてわかるのですか?」


 名乗ってなどいないのに。


「インクのにおいですね。独特の、さわやかなにおいがしました。手紙からも、庭園でひっくり返っていた私を助けてくれたご令嬢からも」


 確かにインクは「太陽の昇る国」でも使われているという、最果ての東の国で作られたものを使っている。原料が違うからにおいも違うのだが、手紙はともかく、自分からもにおうものだろうか? もしかして服にインクがついている?


「あなたはいつもそのインクを使っているから、気付いていないのかもしれませんね。……で、視力が戻った時にそばにいたのはルイーゼ嬢だったわけですが、あなたたちの声はよく似ていた。双子だったんですね」

「なぜそれを」

「先ほどすべてルイーゼ嬢から聞きました。ええ、あなたのご両親と私の母の前ですべて、真相が明らかになりましたよ」


 真相というほどのものではないですが、とオーギュストが付け足す。

 聞けば、オーギュストは「同じ声だったので」ルイーゼをメルアだと思い込んで「運命の人だ」と盛り上がり、ルイーゼに婚約を申し込んだ。

 そしていざルイーゼと交際を始めたら、なんだか様子がおかしい。話がかみ合わない。かみ合いそうなのは背後にいる付添人のメイドだ。よくよく観察すればメイドは若い娘で、妙にルイーゼが頼りにしているのも不思議だ。普通、令嬢と使用人の間にはきっちり線が引かれていて、親しく接することはしないものである。

 自分は人違いをしているのかもしれない。

 では図書館の令嬢は誰なのか。ルイーゼの近くにいる人物には違いない。そんなの一人しかいない。

 そこでオーギュストはルイーゼだけでなくメルアの手もとって口づけし、インクのにおいがするかどうか確かめたのだという。


「確かににおいましたね。手紙と同じインクのにおいでした」


 オーギュストの言葉に「これは服にインクがついている!」と確信したメルアである。お仕着せは黒っぽいのでインクがついているかわからなかった。ちゃんと洗わなければ……。


「だから調べました」


 ルイーゼのまわりを。

 そうして浮かび上がってきたのがメルア。ルイーゼの双子の姉。だが体が弱く小さい時からその姿を見た人間がほとんどいない。自宅療養中だと言われているので医者に話を聞いてまわったが、エルンベルク家のご令嬢を診察しているという医者は見つからなかった。死んだという話も聞かない。メルアはどこに行ったんだ?


 今日の茶会ではメルアについて聞くはずだったのだが、ホーエン伯爵夫人の話に「太陽の昇る国」に詳しいはずのルイーゼがまったく答えられない。運命の女性は、あの手紙の主。「太陽の昇る国」に詳しいはずなのだ。


 追及していったらあっさりと「あれは私ではない」とルイーゼがみんなの前で告白し、「私は最初からメルアがオーギュスト様の運命の人だと気が付いていた」「でもメルアは表に出られないから」「この婚約はなかったことに」と泣きだしてしまったのだという。

 なぜメルアが外に出られないのかと問いただせば、伯爵夫妻がメルアの目の色を白状した。

 その程度で、と、オーギュストは怒りに震えたという。

 その程度でメルアが隠されなければならないのか? と。


 知らない間にルイーゼが自爆していたとは知らなかった。詰められて、耐えられなくなったのだろう。気の弱い妹のやりそうなことだ。


「そ、それで、婚約は」


 結んでいないのだから解消も何もないのだが、婚約する方向で話が進んでいた。こわごわ聞くと、オーギュストがにっこりと笑った。


「運命の人が見つかったので、その人と婚約するまでです。さあ、メルア嬢」


 手を差し出されて、目が点になる。


「ま、待ってください。目の色を聞いたでしょ? 私の目の色は赤いのです」


 メルアはあわてて前髪をかきあげ、目の色を晒した。


「そうですね、赤いですね。これは珍しい」

「気持ち悪いでしょう!?」

「いえ別に。きれいな色ですよ」

「魔女と同じ色ですよ!?」

「私は魔女を見たことがありませんので」

「でも」

「私が見た目で人を判断する人間なら、こうしてあなたを迎えにきたりはしませんよ」


 オーギュストの言葉に、メルアの瞳からぽろりと再び涙がこぼれた。

 ああ、私は誰かにこうして見つけてほしかったのだ。

 外の誰かに見つけてほしかった。

 その人がオーギュストで、とても嬉しい。


「それにあなたは最後の手紙に『あなたに幸せが訪れますように』と記していた。私は幸せにならないといけないのです。さあ行きましょう」


 最後の手紙はオーギュストにちゃんと届いていたのだ。

 ためらったのは一瞬。

 メルアはオーギュストの手を取った。

 握り返してきたその手は、温かかった。

 諦めていた。誰かに見つけられ、名前を呼ばれ、愛される人生なんて。

 図書館の片隅で綴ったあの一行が、まさか自分を日向へと連れ出すことになるなんて、思いもしなかったけれど。


「はい、オーギュスト様」


 自分自身の意志で、メルアはオーギュストの隣へと歩き出した。

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