第3話 ノーブルグレン家のお祝い
三歳の「天啓の儀」を終えたその日の夜。
辺境の村にある我が家――ノーブルグレン邸では、盛大な祝宴が開かれていた。
「さあ、ヒルス・ノーブルグレンに乾杯だ! 我が家に新たな王の加護が授けられたことを祝して!」
父、ダニエルが「王の樽」から注いだ黄金色の酒を掲げる。
食卓には、母マーサが用意した豪華な料理が並んでいた。
王から分け与えられる食材は、最初から最高の状態だ。
適当に焼くだけで、日本の一流シェフが作るような完璧な味になる。
俺は出された肉を一口、口に運んだ。
(……美味い。美味すぎるな、これ)
文句のつけようがない味。
だが、噛みしめるほどに、前世の記憶が胸を締め付ける。
日本の安アパートで食べた、少し焦げた野菜炒め。
残業帰りに寄った、愛想の悪い親父が作る濃い味のラーメン。
見た目は不格好で、味も完璧じゃなかった。
だけど、そこには誰かの「必死さ」や「生活の匂い」という温かみがあった。
この完璧な肉からは、そんな温度を一切感じない。
まるで精密に作られた「標本」を食べているような、無機質な美味さだった。
「ヒルス、おめでとう。何というスキルだったかしら? 『反復継続』? きっと、毎日を健やかに繰り返すための、王様からの優しい贈り物なのね」
母さんが俺の頬にキスをする。彼女の瞳には一点の曇りもない。
傍らでは、叔父のバッカスが既に出来上がった様子で笑っていた。
「がっはは! 『反復継続』か! まさにお前、ノーブルグレンの血筋だな。俺たちみたいに、毎日同じ酒を飲んで、同じ笑い話を繰り返せってことだ。素晴らしいじゃないか!」
叔母のセーラも、同じような顔で頷いている。
変化を嫌い、今日という幸福を永遠にループさせる。それがこの国の「正解」なのだ。
「おーい、ヒルス……おめでとう!」
窓の外から、明るい声がした。
隣の家に住む少女、リナが身を乗り出して手を振っている。
「あ、リナ。お前も儀式、終わったんだろ?」
「うん! 私ね、『清流』のスキルをもらったの。指先からお水が出るんだよ。お父さんもお母さんも、これで喉が渇かなくて済むって、すっごく喜んでるの!」
リナは屈託のない、眩しい笑顔で答えた。
彼女はまだ、この世界を心から信じ、愛している。
この「完璧な楽園」に疑問を抱く理由なんて、彼女には一つもなかった。
「そうか。……良かったな」
「ねえヒルス、せっかくだから見せてよ。ヒルスのスキル!」
リナの無邪気な瞳に促され、俺は庭先に落ちていた小さな石を拾い上げた。
そして、その石を空に向かって放り投げ、キャッチする。
ただそれだけの動作を、俺は一言も発さずに十回、二十回と繰り返した。
「……ヒルス? なにしてるの?」
最初は不思議そうに笑っていたリナの顔から、少しずつ笑顔が消えていく。
三十回、五十回。
俺の動作は、『反復継続』のスキルのせいで、機械のように寸分の狂いもなくなり始めた。
周囲の喧騒が消えたような錯覚に陥る。
俺の瞳には、喜びも、王への感謝もない。
ただ、自分の意志で「何かを積み上げたい」という、乾いた執念だけが宿っていた。
「あ……なんだか、見てるだけで疲れちゃうよ。ねえヒルス、もう止めてよ」
リナが、落ち着かない様子で自分の腕をさすった。
彼女はこの時、生まれて初めて「心地よくない何か」に触れたのかもしれない。
俺という異物が、彼女の完璧な日常に、わずかな波風を立て始めたのだ。
「ごめん。……でも俺、このスキルを『何もしないため』には使いたくないんだ」
「……?」
リナはまだ、俺の言葉の意味を理解できていなかった。
それでも、彼女は俺の真剣な横顔をじっと見つめ、何かに迷うように小さく呟いた。
「ヒルスのしてること、変だよ。……でも、なんだか、ずっと見てると胸がドキドキする」
家の中では、ダニエル父さんたちが「二千年続く王の治世」を讃える歌を歌い続けている。
完璧に美味いが冷たい料理と、不自然に明るい歌声。
その中で、俺とリナだけが、世界の端っこで少しだけ違う風に吹かれていた。




