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第2話 天啓の儀

ヒルスとしてこの世界に産み落とされてから、三年の月日が流れた。

 前世、日本で「田村宏」として生きていた頃の記憶は、皮肉にも鮮明さを増している。

 満員電車に揺られ、理不尽な上司に頭を下げ、必死に食い扶持を稼いでいたあの泥臭い日々。

 それに比べて、この「エステラ・エデン」での生活は、あまりにも……あまりにも「白すぎる」。

「ヒルス、今日は『天啓の儀』よ。そんなに難しい顔をしないで、笑ってちょうだい」

 母親に手を引かれ、村の中央にある白亜の神殿へと向かう。

 今日は三歳になった子供たちが天から人生の役割――スキルを授かる日だ。

 広場には、同い年の子供たちが集まっていた。みんな、自分の未来に一ミリの不安も抱いていない。そんな「根拠のない安心感」が、俺にはずっと気味が悪かった。

「……次、ヒルス」

 神官に呼ばれ、俺は祭壇の前に立った。

 祈りを捧げるポーズを取りながら、俺は内心で冷めていた。あの生まれた日に現れた黒髪の王は、俺を「魔力の薄い、脆いもの」と評した。その男が管理するシステムから、何が与えられるというのか。

 祭壇に触れた瞬間、脳内に無機質な声が響く。

『――個体名:ヒルス。天啓を授与します』

 網膜に焼き付くような光。浮かび上がったのは、地味極まりない文字列だった。

【獲得スキル】:『反復継続』

【効果】:同一の動作を繰り返す際、肉体疲労をわずかに軽減し、動作精度を維持する。

「……なんだよ、これ」

 思わず、前世の口調が漏れた。

 周りでは「聖騎士の才能だ!」「攻撃魔法が出た!」と歓喜の渦が起きている。それに比べて俺のは、まるでおまけのような能力だ。

「ヒルス、何だったの?」

 心配そうに覗き込む母親に、俺は正直にスキルを教えた。

 母さんは一瞬きょとんとしたが、すぐに聖母のような微笑みを浮かべた。

「いいのよ、ヒルス。この国には王様がいるもの。あなたが何もしなくても、王様がちゃんと幸せにしてくださるわ。……あ、見て、危ない!」

 母さんが声を上げた先。

 神殿の二階にあるテラスの補修をしていた老人が、足場を踏み外し、頭から地面へ叩きつけられた。

 高さは五メートル以上。下は硬い石畳だ。

 日本人の俺の感覚が、悲鳴を上げる。

 グチャッという嫌な音がするはずだ、すぐに救急車を、いや、ここにはないから止血を――。

「……痛たた。やれやれ、腰を打ったかな」

 だが、老人は何事もなかったかのように、ゆっくりと立ち上がった。

 頭からは血の一滴すら流れていない。それどころか、服の汚れを払って笑っている。

「おお、さすが王様の加護だ。死の淵すら遠ざけてくださる」

「本当ね、王様のおかげで今日も平和だわ」

 周囲の人々も、駆け寄るどころか、その場で王への感謝の祈りを捧げ始めた。

 

 その光景を見た瞬間、俺の背筋に氷を突っ込まれたような戦慄が走った。

 

(……なんだよ、これ。……狂ってるだろ)

 事故が起きた。人が死にかけている。

 それなのに、誰も心配していない。誰も驚いていない。

 そこにあるのは「王が守ってくれるから、どうせ大丈夫だ」という、思考を放棄した狂気的な信頼だ。

 怪我をしないから、用心もしない。

 死なないから、今を懸命に生きる必要もない。

 

 前世の俺がいた世界は、必死に頑張っても報われない、地獄のような場所だった。

 だけど、この場所はもっと残酷だ。

 ここは「生きた人間」の住む場所じゃない。

 王オメガという孤独な怪物が、過去の亡霊を飼いならすための、巨大な「標本箱」なんだ。

「……ヒルス? どうしたの、震えて……」

 母さんの優しい手が俺の肩に触れる。

 その温もりさえも、今は自分を家畜にしようとする「罠」に感じられた。

(……嫌だ。俺は、生きていたい)

 死を遠ざけるのが幸福なら、俺はそんなものはいらない。

 痛みを感じ、変化を恐れ、それでも明日へ足掻く。

 それが、人間(田村宏)の証明だったはずだ。

 俺は母さんの手を振り払うようにして、一人、村の外れへと駆け出した。

 手にしたのは、落ちていたただの木の枝。

 天啓のスキル『反復継続』。

 王がくれた「安らかな停滞」の中で、俺はこれだけを使い、この世界の理を削り取ってやる。

 一回、二回。

 呼吸を整え、枝を振る。

 三歳児の頼りない腕に、確かな疲労と痛みが走る。

 

「……ああ、最高だ。痛えよ」

 俺は笑いながら、三回目の素振りを繰り出した。

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