第17話:忘却の賢者と辺境の揺りかご
王立学園での生活が始まって二日目の朝。
第一クラスの教室は、昨日のヴォルガン先生による苛烈な実技演習の余韻で、重苦しい空気に包まれていた。
ふと、窓の外を眺める。この学園は王国の中心から遠く離れた辺境に位置している。周囲にはのどかな農村や深い森が広がり、本来、この平和な国で「戦闘」など必要ないはずだった。
だが、この第一クラスだけは異常だ。まるで何かに備えるように、実技演習の頻度も強度も他のクラスとは一線を画している。
教壇に現れたのは、ひょろりと背の高い、神経質そうな壮年の男だった。
彼は大きな魔導書を脇に抱え、煤けたローブの裾を揺らしながら、眠そうな目で一同を見渡した。
「……今日からこのクラスの魔導理論を担当する、ヘミングだ。諸君らが昨日までどのような『奇跡』を振るってきたかは興味がない。ここでは、その奇跡の裏側にある理を学んでもらう」
ヘミング先生はチョークを手に取ると、黒板に巨大な円を描いた。
「この国において、力とは王から授かった『スキル』を指す。平和なこの国では、スキルの恩恵さえあれば、誰もが安泰に暮らせるからな。……だが、それはあくまでこの『辺境』での話だ」
ヘミング先生の言葉に、新入生のゼクス・ボルトが怪訝そうに眉を寄せた。
「辺境……? ここは王立の学園だろ? どこにいたって、俺たちのスキルが最強であることに変わりはないはずだ」
ヘミング先生は薄く笑い、チョークを置いた。
「世間知らずだな、ボルト君。……君たちは、王都中央都市の住人を見たことがあるかね? 城に仕える近衛騎士団や、王影を支える影の執行者たち。彼らは君らのような『スキルの雛』とは格が違う。彼らにとって、スキルは『あって当たり前』の道具に過ぎん。彼らが本当に恐ろしいのは、その道具を使いこなすための、数百年積み上げられた**『術理』**を持っているからだ」
先生が静かに指を鳴らす。
次の瞬間、教室内の温度が劇的に変化した。
先生の右側に赤々と燃える**【火球】が浮かび、左側には透き通った水の盾【水壁】が展開される。さらに頭上には鋭い【土槍】が並び、足元には周囲を切り裂かんとする【突風】**が渦巻いた。
「「「…………っ!?」」」
教室内が静まり返る。
属性の異なる四つの事象を、詠唱も予備動作もなく、完璧な制御下で同時に維持している。
「これが、私のスキル**『多重演算』によって制御された四重並列**だ。……中央の凄腕たちは、これと同等、あるいはそれ以上の精密動作を、スキルに頼らずとも『技術』として叩き込んでいる。諸君らはこの辺境のゆりかごで、ただ『強く念じれば勝てる』と教わってきたのか?」
四つの魔法を維持したまま、淡々と語るヘミング先生。その姿に、クラスの面々は初めて、自分たちが「井の中の蛙」であることを突きつけられた。
■ 持たざる者の選択と「自動化」
講義中、俺は一言も聞き漏らすまいとノートを取った。
先生が語る「術理」は、俺のような魔力の少ない人間にとって、唯一の希望に見えたからだ。
「……魔力とは水だ。大きなバケツを持つ者は、ただぶちまけるだけで敵を倒せる。だが、小さなコップしか持たぬ者は、その一滴を針のように研ぎ澄まし、敵の急所へ正確に流し込まねばならん」
(俺の魔力量じゃ、どれだけ効率化しても、大きな魔法の『形』にすることすら叶わない。……でも、もし俺が『反復』で、一つの構築を呼吸と同じレベルまで無意識化できたら?)
昼休み。俺は一人、演習場の隅で検証を開始した。
指先に、マッチの火ほどの小さな火を灯す。
一、二、三……。
俺はそれを、**反復継続**によってオートメーション化することに挑んだ。
普通なら脳が焼き切れる負荷だが、俺は数万回の反復で、脳の中に「火を燃やし続けるための回路」を深く、深く刻み込んだ。
やがて、変化が訪れた。
脳が「火を灯している」という作業を、背景の景色と同じように完全に無意識の領域に放り投げた。その瞬間――俺の意識の「空き容量」が、劇的に増えた。
■ 針の先で渦巻く「複合」
「……できた」
俺は「火」を無意識下で維持したまま、もう一つのタスクを起動した。
火の周囲に、小さな風の術式を重ねる。火に酸素を送り、熱を一点に凝縮させるための「回転」。
チリチリと、指先の小さな火種が、青白い一点の光へと収束していく。
威力は上がっていない。相変わらず指先を熱くする程度の火だ。
だが、その構造は、熱力学と流体力学が精密に合致した、極めて純度の高い「複合魔法」だった。
「……何、それ。すごく綺麗な音がする」
背後から、リナ・フォルトゥナが声をかけてきた。
彼女はヘミング先生の授業以来、自分の**清流**という力に対し、ただ力任せに出すことへの疑問を抱き始めたようだった。
「リナ。これ、ヘミング先生が言っていた『理』を応用してみたんだ。……君の巨大な魔力で、この回転の術理を回せたら、昨日みたいにアルドの闇に飲まれる前に、何かを変えられるかもしれない」
「回転……。私、やってみたい。ヒルス君、その『図面』、私に教えて!」
俺の「反復」で磨いた精密な設計図を、リナの豊かな魔力が受け取ろうとしている。
その光景を、教壇を去ったはずのヘミング先生が遠くから見つめていた。
「……四重並列を、力技ではなく徹底的な『慣れ』で再現しようとしているのか。……フン、とんでもない変態が紛れ込んでいたものだ」
ヘミング先生は自嘲気味に呟き、四つの魔法を消して歩き去った。
俺の魔力は少ない。
だが、この『反復』で脳に刻む数式は、誰よりも多く、誰よりも深く、幾重にも重なっていく。
中央の騎士たちにも、アルドの闇にも届かない。
それでも、俺は一滴の魔力を極限まで削り、研ぎ澄まし続ける。




