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第17話:忘却の賢者と四重並列(クアドラ・キャスト)

王立学園での生活が始まって二日目の朝。

 第一クラスの教室は、昨日のヴォルガン先生による苛烈な実技演習の余韻で、重苦しい空気に包まれていた。

 特にアルドの**暗黒物質ダークマター**に手も足も出なかった新入生たちは、自分のスキルへの絶対的な自信を揺るがされ、どこか焦燥した面持ちで席についている。

 そんな中、教壇に現れたのは、ひょろりと背の高い、神経質そうな壮年の男だった。

 彼は大きな魔導書を脇に抱え、煤けたローブの裾を揺らしながら、眠そうな目で一同を見渡した。

「……今日からこのクラスの魔導理論を担当する、ヘミングだ。諸君らが昨日までどのような『奇跡』を振るってきたかは興味がない。ここでは、その奇跡の裏側にあることわりを学んでもらう」

 ヘミング先生はチョークを手に取ると、黒板に巨大な円を描いた。

「この国において、力とは王から授かった『スキル』を指す。だが、スキルはあくまで『結果』を先取りするショートカットに過ぎん。魔法とは本来、自らの意志で現象を組み上げる緻密な積み木細工のようなものだ」

 その言葉に、新入生のゼクス・ボルトが怪訝そうに眉を寄せた。

「積み木……? 先生、わざわざそんな面倒なことをしなくても、俺たちは念じるだけで火も雷も出せる。学ぶ必要があるのか?」

 クラスの面々も、ゼクスの疑問に同調するように顔を見合わせる。この国のエリートたちにとって、魔法は「習うもの」ではなく「持っているもの」だったからだ。

「……いい質問だ、ボルト君」

 ヘミング先生は薄く笑い、チョークを置いた。

「では、諸君らが信奉するスキルの限界と、魔法の深淵を見せてあげよう。私のスキルは**『多重演算マルチ・プロセス』**。魔法の構築に特化したこの力があれば、同時発動など造作もない」

 先生が静かに指を鳴らす。

 次の瞬間、教室内の温度が劇的に変化した。

 先生の右側に赤々と燃える**【火球ファイア】が浮かび、左側には透き通った水の盾【水壁ウォーター・ウォール】が展開される。さらに頭上には鋭い【土槍アース・パイク】が並び、足元には周囲を切り裂かんとする【突風ガスト】**が渦巻いた。

「「「…………っ!?」」」

 教室内が静まり返る。

 属性の異なる四つの事象を、詠唱も予備動作もなく、完璧な制御下で同時に維持している。第一クラスの精鋭たちですら、二つの事象を並列させるのが限界と言われる中での、圧倒的な四重並列クアドラ・キャスト

「これが、理を積み上げた先の景色だ。スキルが単一の奇跡なら、魔法は複合された芸術。……さて、この四つを維持したまま、私は諸君らに講義を続ける。これができる者がいるなら、私の授業を免除しよう」

 誰も口を開けない。アルドさえも、ヘミング先生の精密すぎる魔力運用を、射抜くような視線で見つめていた。

■ 持たざる者の選択

 講義が始まると、俺は夢中でノートを取った。

 ヘミング先生が語る理論は、俺のような魔力の少ない人間にとって、唯一の希望に見えたからだ。

「……魔力とは水だ。大きなバケツを持つ者は、ただぶちまけるだけで敵を倒せる。だが、小さなコップしか持たぬ者は、その一滴を針のように研ぎ澄まし、敵の急所へ正確に流し込まねばならん」

 先生の言葉が、俺の胸に突き刺さる。

 俺の魔力量は、このクラスで間違いなく最下位だ。大きな炎を出す「供給量」がそもそも足りない。

 だが、ヘミング先生の四重並列を見て、俺は一つの仮説を立てた。

(先生はスキルで脳を分けている。……でも、もし俺が『反復』で、一つの構築を呼吸と同じレベルまで無意識化できたら?)

 昼休み。俺は一人、演習場の隅で検証を開始した。

 指先に、マッチの火ほどの小さな火を灯す。

 一、二、三……。

 

 通常、魔法を発動させる間は、脳のリソースの多くがその「維持」に割かれる。

 俺はそれを、**反復継続リピート**によってオートメーション化することに挑んだ。

 十回、百回、千回。

 魔力を熱に変える回路を固定し、意識を介さずに火を燃やし続ける。

 やがて、変化が訪れた。

 俺の脳が「火を灯している」という事実を、背景の景色と同じように無視し始めたのだ。脳の空き容量が、劇的に増えた瞬間だった。

■ 針の先で渦巻く「複合」

「……できた」

 俺は「火」を無意識下で維持したまま、もう一つのタスクを起動した。

 火の周囲に、小さな風の術式を重ねる。

 火に酸素を送り、熱を一点に凝縮させるための「回転」。

 チリチリと、指先の小さな火種が、青白い一点の光へと収束していく。

 威力は上がっていない。相変わらず指先を熱くする程度の火だ。

 だが、その構造は、熱力学と流体力学が精密に合致した、極めて純度の高い「複合魔法」だった。

「……何、それ。すごく綺麗な音がする」

 背後から、リナ・フォルトゥナが声をかけてきた。

 彼女はヘミング先生の授業以来、自分の**清流アクア・ストリーム**という力を持て余していることに気づいたようだった。

「リナ。これ、ヘミング先生が言っていた『理』だよ。……君の魔力で、この回転の術理を回せたら、昨日みたいに闇に飲まれることはなくなるかもしれない」

「回転……。私、やってみたい。ヒルス君、その『図面』、私に教えて!」

 俺の「反復」で磨いた精密な設計図を、リナの豊かな魔力が受け取ろうとしている。

 その光景を、教壇を去ったはずのヘミング先生が遠くから見つめていた。

「……四重並列を力技ではなく、徹底的な『慣れ』で再現しようとしているのか。……フン、とんでもない変態が紛れ込んでいたものだ」

 ヘミング先生は自嘲気味に呟き、四つの魔法を消して歩き去った。

 俺の魔力は少ない。

 だが、この『反復』で脳に刻む数式は、誰よりも多く、誰よりも深く、幾重にも重なっていく。

 いつか、その精密な針がアルドの闇を貫く日を信じて。

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