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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

境界

対称

作者: 萌千兎さら
掲載日:2025/11/03

玲衣(れい)は初めて訪れる(つむぎ)の家を見て、唖然とした。

金持ちって本当だったんだな……。


高さのある白い外壁に囲まれた、洒落た邸宅。

玄関は手入れの行き届いた草花で彩られ、柵付きの車庫には高級車が二台。

まるで別世界だ。


玲衣は白い壁を背に、しゃがみ込む。

アパートの契約を済ませ、先に入居していた玲衣が紬の引っ越しを手伝いに来ていた。

とはいえ、紬はほぼ身ひとつで来るつもりのようで、すぐに終えるからと言って、家の中へ入っていった。


本当にこれから、紬と一緒に暮らせるんだな……。


一目惚れから約二年。

ここまでの道のりを思い返すと胸がじんわり熱くなる。


ふと、玲衣は家に近づく人影に気付く。

長身でがっしりした体つきの若い男。


玲衣は反射的に立ち上がる。


男は怪訝な顔で玲衣を見ながら、紬の家の前で足を止めた。

――まさか……。


男がズボンのポケットから鍵を取り出し、門の取手に手を掛ける。


「あ、あの!」

玲衣は咄嗟に声を掛けた。


男は動きを止め、ゆっくりと玲衣を見据える。


「えっと……紬のお兄さん、ですか?」


「……そうですけど」

その瞬間、考えるよりも先に体が動いてしまった。

気が付いたら紬の兄貴の顔面に拳を叩きつけていた。


男は屈みながら頬を押さえ、玲衣を睨みつける。


やばっ……。

玲衣は殴った右手を後ろに隠す。

不審者として通報されてもおかしくない。


「お前……玲衣って奴か」


何でそんなすぐわかるんだよ……。

玲衣は目を泳がせ、言葉を探す。


男は口元の血を拭うと立ち上がり、落ち着いた様子で歩み寄る。

「いいよ、紬がいつも世話になってるみたいじゃないか」

驚くほど穏やかな声。

「これくらい何ともないさ」


予想外の対応に思わず後退りする。

「俺も紬の兄として、君とは仲良く出来たらいいと思ってたんだ」


「俺は優一郎。コレ、交換しようか?」

優一郎はスマホを取り出し、顔の前で軽く振って見せた。


「……は?」


――それから、俺と優一郎は何故かチャットアプリの連絡先を交換して……


そして今、俺はそいつとファミレスで向かい合っている。


店内は妙に明るく感じた。

窓際の席のガラスには、外の街灯がぼんやり映っている。

玲衣はメニューを手にしていたが、まるで頭に入ってこない。


優一郎は向かいの席に腰を下ろし、ゆったりと背もたれに体を預けていた。


「悪いな、急に誘って」

優一郎がそう言いながら、水の入ったグラスに口を付ける。


「いえ……別に」

玲衣はわざと無表情で答える。

この場の空気に呑まれたら負ける気がする。


「そう。……じゃあ気楽に話そうか」

優一郎は微笑む。

その笑みは、妙に完成されていて、どこか人間らしくない。


「紬、元気か?」


「……え?」


「いや、ちょっと気になってさ。あいつ、家出てから連絡取れなくなってたから。ま、君と一緒に住んでるなら安心だけど」


軽く言いながら、優一郎はテーブルの上で手を組んだ。

玲衣の中に、言葉にできない重苦しさが広がる。


――何なんだ、こいつ。


「……紬のこと、心配なんですね」

そう返すと、優一郎は一瞬だけ目を細め、笑う。


「心配……なのかな。興味、って言った方が近いかも」


「……興味?」


「うん。あいつ、昔から変わってたろ。俺たちにないものを持ってた」

ゆっくりと顔を上げ、まっすぐに玲衣を見る。

「君も、そう思わない?」


玲衣は黙ってグラスに口を付ける。

冷たい水が喉を滑っていくのに、口の渇きは収まらない。


「……そう、なのかも…」


「だよな」

優一郎は満足そうに頷き、メニューを閉じた。

「ハンバーグ、頼もうぜ。ああ、安心しろよ。今日は俺の奢り」

「あ、ドリンクバーも付ける?」


蛇が体を這うような本能的な嫌悪感……。


「俺さ」

優一郎のフォークが皿に触れる音がした。

「最近、ちょっと恋愛で悩んでてさ」


玲衣は目を瞬かせる。

この男の纏う空気にそぐわない言葉だった。


「相手は年下。真面目で、ちょっと弱いとこがある。でも、そういうとこが可愛いんだよな。守ってやりたくなる、っていうの?」


玲衣の心臓がわずかに跳ねる。

どこか、聞き覚えのある言い回し。


「……その人のこと、大事なんですか?」

「さぁ?」

優一郎はナイフでハンバーグを半分に切った。

肉汁が滲んで、皿の中で音を立てる。


「俺、昔からさ、弱いものを見てると、どうにかしてやりたくなるんだよな。支配する、いや、救ってやるっていうのかな」


「…………」


「君もそうだろ?」

その言葉が、テーブル越しに投げつけられた。

玲衣の声が詰まる。


「……何の、話ですか」

「そのままの意味だよ」

優一郎は柔らかく笑う。

「紬を守るだなんて言ってたけど、ほんとは違うだろ?あれ、自分を守ってるだけだ。可哀想なやつを隣に置いておけば、自分がマシに見えるから」


玲衣は震える指でグラスを持ち上げた。

手のひらの熱で、氷が擦れる音がした。


「違う……俺は、そんな――」

「じゃあ聞くけど」

優一郎が身を乗り出す。声は低く、耳の奥に直接触れるみたいだった。

「紬を見てるとき、お前、どんな気持ちになる?」


玲衣の視界が一瞬で狭まる。

外の街灯が滲み、店内のざわめきが遠ざかる。


「なぁ。泣いてる紬を抱きしめたいって思うのはさ、同情か、欲か、どっち?」


喉の奥に、冷たいものが突き刺さる。

優一郎は笑わない。ただ、興味深そうに見ている。

まるで標本を観察するような目。


「……やめろ」


「やめろ?何を」

優一郎は首を傾げる。

「お前さ、声が紬に似てるんだよな」


その言葉の意味を理解する前に、背筋を何かが這い上がってくる。


――こいつ、本当に全部知ってる。


足の指先まで凍るような感覚。


テーブルの上の、手を付けられないままのハンバーグが冷めていく。

玲衣の指は、無意識に膝の上で丸まっていた。


優一郎は、ふと思い出したように言う。

「そういえば、あの動画。――見た?」


玲衣は顔を上げる。

「……動画?」


「知らないはずないだろ」

そう言いながら、優一郎はスマホを取り出す。

画面を開く指の動きが、妙にゆっくりだ。


「やめろよ」

玲衣は即座に声を荒げた。

「何のつもりだよ」


「つもり?」

優一郎は微笑む。

「ただ確認してるだけだろ。君はあいつの全部を受け入れる覚悟があるのかって」


テーブルにスマホを置き、指で画面をトントンと叩く。


玲衣は唇を噛み、目を逸らす。

優一郎は、わざと軽い声で続けた。


「紬は、自分が汚れてるって思ってる。でも俺から言わせれば、そういうのが似合う顔だよ。あのまま、泣きながら生きてるのがちょうどいい」


「黙れよ……」

玲衣の拳が震える。

声が掠れて、呼吸が乱れる。


「なぁ、玲衣」

優一郎は静かに名前を呼ぶ。


「お前さ、ホモなんだろ?」


玲衣の全身が跳ねた。

血の気が引いていく音がする。


「別に責めてない。興味あるだけだよ」

優一郎は肘をつき、頬杖をついた。

「男を好きになるって、どんな感じ?例えば、あいつみたいな顔にキスしたいとか?それとも、あいつが泣いてるとヤりたくなるとか?」


「やめろって言ってんだろ!」

玲衣がテーブルを叩き、立ち上がりかけた瞬間、優一郎は手を伸ばし、テーブル越しに玲衣の手首を掴んだ。


冷たい手。


「ほら、今の顔。やっぱり、そうなんだな」

優一郎の声は静かだった。

まるで、確信を得た科学者のように、興味深そうな目で玲衣を見上げている。


「……紬に、触れたことある?」


玲衣は息を飲む。


「ねぇ、どっちが怖い?」

優一郎は淡々と問う。

「男を好きな自分のこと?それとも、可哀想な紬に性欲をぶつけたくなること?」


玲衣の中で、何かが崩れかける音がした。

視界が歪み、涙がにじむ。

呼吸がうまくできない。


「……違う、俺は……」


「何が違うの?」

優一郎はテーブルの上に肘をつき、わずかに笑った。

「守るって言葉、便利だよな。欲望も罪悪感も全部隠せる。君もそうやって、自分を守ってるだけだ」


「……うるさい……っ」

言葉が喉の奥で潰れて、涙がテーブルに落ちる。


優一郎はそれを見て、微かに眉をひそめた。

まるで、想定より壊れやすい実験道具を扱うように。


「泣くなよ。俺は悪いことは言ってない」


優一郎はまるでため息を吐くように言う。


玲衣はテーブルに視線を落としたまま、握り締めた拳を見つめていた。


「……お前に、何が分かるんだよ」

震える声。でも、確かに反発の意思を帯びていた。


優一郎は肩をすくめる。

「分かるさ。俺は、あいつを昔から知ってる」


「違う!」

玲衣は思わず声を荒げた。空気が一瞬だけ揺れる。


「お前は、安全な場所から、紬を下に見てるだけだ!」

玲衣は顔を上げる。涙で赤くなった目のまま、まっすぐ優一郎を見た。


「俺は、紬と同じ高さで見てる。一緒に笑って、一緒に泣いて……紬のことを、ちゃんとひとりの人として見てる!」


「お前とは違う。お前は一生、誰も愛さないし、誰にも愛されない!」


その言葉に、優一郎の口角がわずかに歪んだ。

笑っているのか、苛立っているのか、分からない。


玲衣は震える手でポケットから皺の寄った千円札を取り出すと、テーブルに叩きつけた。


椅子の脚が床を引っ掻く音が、やけに大きく響く。


店のドアを開けた瞬間、まだ冷たい外の空気が頬を刺す。玲衣は一度も振り返らず、そのまま店を後にした。


………


優一郎はしばらく黙ったまま、テーブルの上の千円札をじっと見つめていた。


「ふぅん……」


テーブルの上のスマホを手に取ると、画面に映る玲衣のアカウントを無言でブロックする。


それから、指先で自分の頬を撫でた。

あの日、殴られた箇所。


もう痛みはない。


けれど、あの瞬間だけは――確かに生きていた気がしていた。



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