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4 それが来ることはわかっていた

 迎賓館の部屋は、必要以上に整っている。調度品も、壁の色も、置かれた花瓶の位置すらも。

 それは、滞在する者のために全ての個性を消したような空間。


 その部屋のなか、コンラートは窓辺に立ち、外を眺める。

 眼下に広がる王宮は、すでに日常を取り戻していた。その底に、夜会後の余韻を気だるげに漂わせたまま。


 一台の馬車が門を出ていく。

 その側面に掲げられた紋章は、リリエンブリュック侯爵家のもの。

 その光景から目を逸らし、コンラートは窓を背にして緩慢に椅子に腰掛けた。

 手元の書簡は、すでに役目を終えている。

 封を切り、読み、畳み、椅子の横にある小さな机の上に置くと、もう一度手に取ることはなかった。

 書簡の内容は想定していたとおりのものだった。

 むしろ、想定以上に誠実だったと思う。

 それでも、何もなかった顔でいるのは思ったより骨が折れた。

 迎賓館という場所は、感情を整理する時間を与えてくれない。

 次の訪問、次の会談、次の話題。

 彼の公子としての立場は、常に「次」を求められる。

 だから、こうしてひとりでいられる時間は、思いのほか貴重だった。

 それがたとえ、胸を切るような痛みと共にあったとしても。

 

 扉を叩く音がして、彼の時間は終わりを告げた。

 だけど、コンラートは口の端をわずかに上げる。

 来るとしたら、もうじきだろうとどこかで分かっていた。


 彼が王宮で過ごす時間を考えれば、あのことが耳に入らないはずもない。

 それに、きっと彼にもあの馬車が見えただろうから。


 コンラートは立ち上がらない。

 椅子に座ったまま、声だけを向けた。


「どうぞ」

  

 扉が開き、現れたのは予想どおりの人物だった。


「やあ、クラウス」

 

 意外と遅かったね、その言葉は口から出てくる前に飲み込んだ。

 彼はこの国の若い貴族の中でも、一二を争うほど忙しい。

 それでもやってきた。それほど、これは彼にとって重いことだから。

 それを証明するかのように、クラウスの息は少しだけ上がり、いつも毛先まで完璧に整えられている髪は、ひとすじ額にかかっていた。

 そのことに満足して、コンラートはゆっくりと立ち上がる。

 鬱陶しそうに髪をかきあげる友人の元へと歩み寄り、にこと笑った。

 そこにあるのは、てらいのない笑顔。

 ――ただし、それは何も知らない人が見たら、の場合。


「卒業以来かな。夜会では話せなかったしね。……きみは王女殿下にかかりっきりだったから」


 彼の立場なら、同盟国の王女に気を遣うのは当然。

 だけど、その当然こそが今の状況を招いたのだと言外に滲ませて。

 案の定、クラウスは片方だけ眉を持ち上げた。


「……ああ」


 でも、クラウスはそれだけ吐いて、黙る。

 コンラートは、彼をちらりと見てうっすらと笑った。

 ゆったりと元の椅子に腰掛けると、立ちつくす友人に手のひらで向かいの場所を勧める。

 一瞬ためらったものの、クラウスは勧められるまま椅子に座った。

 コンラートは、あえて余裕ぶって椅子に深く背を預ける。


「それで、今日はどうしたんだい? お忙しい次期宰相殿が、そんなに慌てて」


 またからかったつもりの言葉にも、クラウスはもう反応すらしなかった。彼はただ目を伏せて指先を組むと、顔を上げずに言う。


「……噂を聞いたんだ。その、きみの……」

「噂? さて、どれのことかな」


 コンラートは、クラウスの声を追うように答え、いかにも困ったというように肩をすくめてみせる。


「私のことだけでもかなりあるだろう? 本当のことも、そうでないことも。驚いたよ、そう長く王都にいるわけでもないのに。貴族は噂が好きだといっても、これほどとはね」


 そして、そのまま黙ってみた。

 それほど長い時間ではなかったはずだけれど、クラウスにはそうでもなかったらしい。彼の組んだ指先にはぎこちない力が入り、ゆるめることすらできずにいる。

 見たことのない彼の様子に内心苦笑して、コンラートは、さも今思いついたかのように、「ああ」と手を打った。


「……もしかして、私がリリエンブリュック嬢に結婚を申し込んだ、という噂かな」

 

 びくり、と目の前の肩が揺れた。思っていた以上に。

 コンラートは少しだけ申し訳ない気持ちになりながら、でも、彼がいちばん望んでいないであろう答えをあえて口にした。


「それなら、本当だよ」


 クラウスは顔を上げなかった。

 そしてひとこと「そうか」とだけ言った。その指は、すでに血の気を失いかけている。


「でも、その噂がどうして気になったんだい?」


 今度こそ、その口は何も返してこなかった。

 コンラートの目の前にいるのは、この国で最も将来を約束された男。

 そんな彼の沈黙はあまりにも長く、重くて。

 すでにわかっていることを、あえて言葉にさせようとする。それは、とても残酷な行為だとあらためて知った。

 それは自らの行動の結果なのに、急に襲ってきた息苦しさにコンラートは彼から目を外す。

 その拍子に、椅子の肘掛けに置いていた指先が机の上にあったものを弾いた。厚手の紙が擦れる乾いた音に、クラウスの目がはじめて泳ぐ。

 流れた彼の視線の先にあったのは、あの書簡だった。

 読み終えたままそこに置かれていた、濃い赤の封蝋。あの家の紋章。

 隠すつもりはなかった。見せるつもりもなかった。

 ただ、そのままにしていただけの。


「……なぜ」


 クラウスがやっと口を開いた。

 その目は、瞬きすらせずに赤い封蝋に固定されたまま。


「彼女に?」


 感情を削ぎ落としたような声が、短く問う。

 コンラートはすぐには答えず、しばらく封蝋に目を向け、そのまま見つめる。横顔にクラウスの視線の重さを感じながら。


「なぜ、か……」


 自分のなかにあるそれを確かめるように、つぶやく。

 そして、指先でその丸い形をゆっくりとなぞると、ようやく視線を上げて友人を真正面に見た。

 

「……理由が欲しいなら、いくらでも並べられる。でも、話していて心地よかった。……それだけで、私には十分だったんだ」


 それはコンラートの本心。もう、彼女には届くことのない、心からの。


 彼の黄金色の瞳とぴたりと合ったクラウスのそれは、もう隠しきれないほどに揺らいでいた。

 同じように揺らぐ口元が開かれて、何かを言いかけ――

 それを食い止めるかのように、遠くから王宮の鐘の音が届いた。

 クラウスは、ハッとしたように窓の外を見る。

 それは、この国の時間が彼を呼び戻す音。


「……もう、行かなければ」


 そう言った彼の顔は、次期宰相と呼ばれるにふさわしいものに戻っていた。

 ただ、その手が強く握りしめられていることを除けば。


「ああ。……話せてよかったよ」


 コンラートの声にうなずくと、クラウスはゆっくりと立ち上がる。そのまま振り返ることなく扉を開け、出ていった。


 コンラートは腰掛けたまま、天井を仰ぐ。

 そして、深い深いため息をひとつ。

  

「ちょっと、いじめすぎたかな」


 そう呟くと、コンラートは両手高く上げて、凝り固まった体をほぐすように伸ばした。

 その口元に苦く笑みを浮かべながら。


 でも、あれくらいで折れるようなら、この国なんて背負えない。

 ……そして、彼女のことだって。


「まあ……友人を祝う役目に回るのも、悪くはないかな」


 どこからも答えのない独り言を残して、コンラートは椅子から立ち上がる。

 衣装棚から大きな革鞄を取り出すと、その蓋を開いた。

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