「バットが振れない…」プロ注目の才能が怪我で壊れ、一度は野球が怖くなった僕が、高校野球最後の夏に、応援歌に導かれ、起死回生の一発を放ち、未来を切り開いた話
「佐々木くんに変わりまして、背番号3、中嶋くん!」
アナウンスが球場に響き渡ると同時に、僕の登場を待ち望んでいたかのように、この日一番の地鳴りのような大歓声が鳴り響いた。
名門野球部に入部したその日から、僕は「プロ注目の逸材」として、瞬く間にレギュラーの座を掴んだ。
2年生になってからは不動の4番として、数えきれないほどのホームランでチームを窮地から救い出してきた。
だが、そんな順風満帆な野球人生が、突然、音を立てて崩れ去った。
あれは2年生の秋の試合のこと。相手が投げた140キロを超える剛速球を避けようとして、思いっきりグラウンドに足を取られ、激しく転倒した拍子に足を挫いてしまったのだ。
球場を埋め尽くす歓声は、一瞬にして凍りつくような悲鳴へと変わった。
思っていたよりも怪我はひどく、完治には1年半を要すると告げられた。そこまで待っていたら試合に出られない。僕は担当の医師に何度も頼み込み、半年後には代打なら良いとの許可を得た。
そこからが地獄のような日々の始まりだった。
リハビリは当初の予定よりもはるかに詰め込まれており、骨の髄まで響くような激痛が全身を襲うことも珍しくなかった。
それでも、毎日欠かさずお見舞いに来てくれる野球部員の顔を思い出すと、「絶対に、もう一度バッターボックスに立ってやるんだ」という強い思いが込み上げてきた。
どんなに体が鉛のように重くても、心が憂鬱に沈んでも、僕はひたすらリハビリに打ち込んだ。
3年生になり、ようやく野球部のユニフォームに袖を通した。その瞬間、「ああ、やっと戻ってこられたんだな」と、深く実感した。
しかし、戻らなかったものもあった。怪我をする前は、僕の打席を見るためにプロのスカウトたちがたびたび足を運んでくれていたのに、今では誰も来なくなっていた。怪我をした自分を恨むと同時に、「絶対に、見返してやる」と固く心に誓った。
素振りをすると、最初はバットがまるで意志を持っているかのように僕の体を振り回し、感覚が鈍っていた。それでも毎日振り続けるうちに、少しずつ、あの頃の感覚が蘇ってきた。
そして迎えた春の予選。僕は代打で出場するチャンスを得た。
久しぶりに浴びる大歓声に背中を押され、僕は打席へと足を踏み入れた。「ここで決める」。心にそう誓い、初球のストレートに狙いを定めたが、バットはぴくりとも動かない。
いや、「振らなかった」のではない。「振れなかった」のだ。
結果は、呆気ない三球三振。僕の打席で、春の予選はあっけなく幕を閉じた。
僕は、野球をすること自体が、もう怖くなっているようだった。
チームメイトからは心配と励ましの声が、監督からは「まだ無理をするな」という優しい言葉がかけられた。
悔しさがこみ上げ、その夜は布団の中で息を殺し、ただただ涙を流し続けた。
それから毎日のように打撃練習を重ねたが、バットはなぜか重く、どうしても振れない。「なぜだ、なぜなんだ。プロからも注目されていた僕なのに」
あの怪我がなかったら、今頃どうなっていたのだろうか? そんな自問自答と、出口の見えない葛藤の中で日々はだらだらと過ぎていった。
そして、負けたら引退という、最後の甲子園を賭けた夏の大会が始まった。
チームは快進撃を続け、順調に勝ち上がっていき、ついに決勝へと駒を進めた。決勝の相手は、夏の甲子園3連覇中の絶対王者、大勢桐蔭。
試合は息詰まるような投手戦となった。7回まで1対1と均衡が保たれていたが、8回表、痛恨のエラーで1点を奪われ、ついに勝ち越されてしまう。
そして迎えた9回裏、ツーアウト。ランナーなし。絶望的な状況の中、丸が13球にも及ぶ粘りを見せ、フォアボールで出塁した。
そして打順は投手の佐々木に回る。その時、夏の予選が始まってから初めて、僕の名前がコールされた。
「佐々木くんに変わりまして、中嶋くん!」
僕が打てなかったら、みんなの高校野球人生が終わる。いつもの打席とは違う、足元から這い上がるような震えが襲ってきた。初球はど真ん中のストレート。僕は見送った。
バットが振れない。どうしても、振れないんだ。
なんとかしたい。僕が、このチームを勝たせないといけないのに。色々な思いが、洪水のように頭の中に流れ込んでくる。その時、球場に僕の応援歌が響き渡った。
「最高の笑顔 見せてくれ中嶋 明るく逞しく 導けよ永遠に」
大好きな阿部慎之助選手の応援歌だ。そういえば、僕が野球を始めたきっかけは、阿部さんのサヨナラホームランを見たあの瞬間だったなと、ふと思い出した。
僕って、なんでこんなに悩んでいたんだろう?
あの時みたいに、ただ、思いっきり振り抜けばいいじゃないか。
大きく曲がったカーブがミットに収まる寸前、僕は躊躇なくバットを思いっきり引っ張った。
打球は乾いた音を立て、白く美しい放物線を描きながら、バックスクリーンへと吸い込まれていった。
無我夢中でダイヤモンドを一周した。ホームベースでチームメイトにもみくちゃにされてからのことは、あまり覚えていない。
プロ野球選手になった僕は、今でも、あの夏の感動を胸にこう言い続ける。
「最高でーす!」