表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/74

第66話:どっちつかず④

 ヴィクトールはワイングラスを軽く回しながら、静かに語り始めた。


「フィクスを初めて見たのは、俺が目覚めた時期だった。……あいつがまだ、今よりずっと若かった頃の話だ」


 ユウマとエルは息をのんだ。ヴィクトールの言葉には、どこか懐かしさとわずかな哀愁が滲んでいた。


「目覚めたばかりの俺は……そうだな。正直、すべてに絶望していた」


 ヴィクトールは窓の外を眺め、夜の街の明かりをぼんやりと見つめる。


「目が覚めた時、世界はすっかり変わっていた。かつての仲間もいなければ、俺たちが築こうとした社会もどこにもない。ただ、人々は緑のマナを持つ俺を見てひれ伏し、敬った。それが……たまらなく、惨めだった」


 その時のことを思い出したのか、ヴィクトールは小さくため息をついた。


「そんな中で、俺は街や貧民街を歩き回った。ただ、自分が生きていた証を探すみたいにな……。そこで出会ったのがフィクスだった」


「フィクスが……?」


「そうだ。当時のフィクスは、まるで今のユウマみたいだったよ」


 ヴィクトールはユウマに視線を向け、ふっと微笑む。


「貧民街で仲間たちを鼓舞し、反乱を起こそうとしていた。理想を掲げて……今の社会をひっくり返そうとしていたんだ」


 その言葉にユウマは驚いた。今のフィクスからは想像もできない姿だった。


「俺はそんな彼を、ただ遠くで傍観者として見ていた。今の俺みたいにな」


 ヴィクトールは自嘲気味に笑い、ワインをひと口飲んだ。


「フィクスは熱かった。俺のように、長い年月を経て冷めてしまう前の人間だった。だが……世の中は甘くない」


 ヴィクトールの口調が、少しだけ重くなる。


「数か月後、貧民街で大規模な火災があった。おそらく……いや、間違いなく、あの反乱を抑え込むための弾圧だったんだろうな」


 ユウマとエルは黙って話を聞き続けた。


「翌日、貧民街の焼け跡を歩いた。焦げた匂いと、黒くなった瓦礫が散らばる中……俺は、そこに倒れ込んでいるフィクスを見つけた」


「……!」


 ヴィクトールはゆっくりと、右目のあたりを指でなぞるような仕草をした。


「右目を焼かれてな。全身ボロボロだった。あの時のフィクスは、今のお前と同じように……いや、お前以上に、何もかもを失っていた」


 ユウマの背筋が寒くなった。


「理想を追い求めた結果、何も得られず、むしろすべてを奪われた。そんな状態で、フィクスはうずくまっていた」


 その時のことを思い出すように、ヴィクトールはしばらく黙り込む。


「……俺は何も言えなかったよ。あの時の俺は、まだ自分の中に残る感情に気づいてすらいなかった。ただ、そこにいた青年があまりにもかつての自分と重なって、言葉をかけられなかったんだ」


 ヴィクトールの言葉には、今もなおフィクスに対する複雑な感情が残っているように感じた。


「それから……フィクスは変わった。今のユウマたちが知るフィクスになった。理想を語らず、現実を受け入れ、ただ自分と周りの人間だけを守るために生きるようになった」


 ユウマはただ、言葉を失っていた。


 あのフィクスが、かつては理想を掲げていた。


 だが、それを打ち砕かれ、今のような人間になった。


 そのことが、ユウマの胸を強く締め付ける。


「……今日はこれくらいにしよう」


 ヴィクトールは静かにグラスを置き、ユウマを見た。


「すぐに答えを出せとは言わない。だが……前向きに考えて欲しい。俺は君を頼りにしている」


 ユウマはしばらく考え込んだ末に、小さく頷いた。


「……わかった」


 エルは不安そうにユウマを見つめていたが、何も言わなかった。


 その後、その場は解散になりヴィクトールは二人を玄関まで見送ると、最後にユウマの肩に手を置いた。


「お前は……まだ迷っているな」


「……ああ」


 ユウマは正直に答えた。


「わからないんだ。ヴィクトールの理想も、フィクスの現実も……どちらが正しいのか」


「それでいい。たくさん迷って、考えるんだ。そして……自分で決めるんだ」


 ヴィクトールは穏やかに微笑んだ。


「いつか……どんな結果であれ君が出す答えを、俺は楽しみにしているよ」


 ユウマはその言葉を噛み締めながら、エルと共に帰路についた。




 その夜――


 ヴィクトールは自室に戻ると、ゆっくりと寝室へ向かった。


 そこには、一人の老婆が眠っていた。


 顔はしわだらけで、髪も白く、まるで今にも息を引き取りそうな儚さがあった。


 だが、その表情はどこか穏やかだった。


「……今日は、昔のことをたくさん話せたよ」


 ヴィクトールはそう言いながら、老婆の手をそっと握る。


「お父さん……」


 か細い声で、老婆はヴィクトールをそう呼んだ。


 ヴィクトールは静かに微笑み、彼女の手に自らのマナをゆっくりと流し込む。


 マナを譲渡する条件は、愛し合った者同士でなければならない。


 それをユウマとエルに話さなかったのは、まだ知らなくていいことだからだ。


「もう少し……もう少しだけ、一緒にいよう」


 ヴィクトールの言葉に、老婆は涙を浮かべながら微笑んだ。


 ヴィクトールはただ、その手を握り続ける。


 静かな夜が、二人を包んでいた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ