第55話:村八分⑨
村を離れてからの道のりは、俺にとって果てしなく長いものに感じられた。
シグルドの運転する車に揺られながら、俺は何度もあの村で見た光景を思い出してしまう。
黒いマナを持つ人間を"悪魔"と呼び、生きたまま粉砕機にかける村人たち。
そして、その犠牲の上で育った作物を、自分とエルが口にしてしまったという事実。
喉の奥から込み上げる吐き気を必死に押し殺しながら、ただひたすら車の振動に身を任せた。
そんな俺の横で、エルは静かに眠っていた。
(……せめて、こいつだけは何も知らずにいてほしい)
そう願いながら、俺はエルの髪を優しく撫でる。
貧民街に到着すると、すぐに囚われていた人々の介抱が始まった。
「おい、こっちの奴、かなり衰弱してるぞ!」
「こいつは傷がひどい。薬と水を持ってこい!」
アークとザークが捕まっていた人々を手際よく支え、貧民街の住人たちも協力して動き出す。
おそらく彼らはここで暮らすことになるか、フィクスの下で働くことになるのだろう。
そんな様子を眺めながら、俺とシグルドはフィクスの前に座った。
フィクスは薄く笑いながら、俺たちの報告を聞いていた。
「……まぁ、そんな感じになってる気はしてたが、想像以上だな」
フィクスは感心するように笑いながらグラスを傾ける。
その態度に、俺は思わず拳を握りしめる。
「……笑いごとじゃねぇだろ」
「もちろん、笑いごとじゃねぇよ。ただ、どこも変わらねぇなって思っただけさ」
フィクスは肩をすくめると、シグルドを見やる。
「お前はどう思った?」
「俺? そりゃもう――やっと帰ってこれたって気分だねぇ!」
シグルドはカラカラと笑いながら、酒を一気に飲み干す。
(……こいつ、本当にあんな目にあったのか?)
そう疑いたくなるほどに、シグルドは平然としていた。
そんな俺の心情を察したのか、フィクスは軽く息を吐きながら言った。
「ま、後処理はこっちでやっとくから、お前らは今日は帰れ」
「……いいのか?」
「お前、もう限界だろ」
フィクスの言葉に、俺は言い返すことができなかった。
正直、これ以上村のことを考える余裕なんてなかった。
俺はエルを連れて、自分の家へと帰ることにした。
家に帰った後、俺は布団の中で震えていた。
村で見た光景が、頭から離れない。
あの男が、生きたまま粉砕機にかけられる瞬間。
血が飛び散り、肉が削がれ、骨が砕ける音。
それを"祭り"として喜ぶ村人たちの狂気。
「……っ」
思い出すたびに、吐き気と寒気が襲ってくる。
俺は布団を頭まで引っ張り、震える体を必死に押さえ込んだ。
その時、ふと布団が捲られた。
「ユウマ」
エルが俺をじっと見つめていた。
「……どうした?」
「ユウマが震えてる」
エルは俺の腕をそっと掴む。
「……平気だ」
「平気じゃない」
エルは強く言いながら、俺の手を引いた。
「エル?」
「ユウマ、こっち」
エルは自分の布団を指差した。
「え、おい、ちょ――」
「ユウマは、何があったか言わない」
エルは俺を見つめながら、静かに続ける。
「村で、私に何も見せないようにしてくれた」
「……」
「だからって、ユウマが一人で抱え込むのは嫌」
エルは俺の手を引き寄せ、強く抱きしめた。
「だから、一人で寝ないで」
俺は抵抗しようとした。
だが、エルの体温がじわりと伝わってきた瞬間、緊張の糸が切れた。
「……わかった」
俺はエルの隣に入り、目を閉じた。
エルはぎゅっと俺の背中にしがみつきながら、小さく呟いた。
「ユウマ、ごめんね」
俺はそれに何も答えず、ただ静かに眠りに落ちた。
それから数日が経った。
エルは以前と変わらず、俺のそばにいてくれる。
シグルドはフィクスの元で適当に働きながら、相変わらずだらしない生活を送っているらしい。
そして俺は――村のことを考えないようにしていた。
そんなある日、フィクスから念話が届いた。
《村の後始末がついた》
俺はその言葉の意味を考えたくなかった。
でも、一つだけ確信できることがあった。
――あの村は、もう"村"ではなくなっているのだろう。
俺は深く息を吐き、フィクスの念話を静かに閉じた。