若き諸侯たち
この数週間というもの、アイシャはほぼ毎日のように多くの時間を諸侯との会見に割いてきた。
王の婚礼のために王宮に集った彼らは、この機に互いに社交に励んでもいるとのことで、領地に発つ日取りも人によって異なるのだ。
領地が近い者同士で、治水の相談などをすることもあるだろうし、遠い場合は、それはそれで産物の交易について交渉したい場合もあるだろう。単純に都の賑わいを楽しんだり、いささか後ろ暗い一画にお忍びで遊んだりする者もいるのかもしれない。
(あるいは──密談をしている者も?)
前のこの時期にはちらりとも思い浮かんでいなかった疑いに囚われて、アイシャは笑顔を保つのに少々苦労している。
アルジュンに跪いておきながら、肚の中では反逆を企んでいるかもしれない。
アイシャを美しいとか愛らしいとか称えながら、無知を嘲っているかもしれない。
王太后トリシュナの壮健を寿ぎながら、早く墓室に入れば良いと願っているかもしれない。
上辺の笑顔や言葉や恭しさだけでは人の心など知れないのだ、と──承知しているだけでも、いくらかは有利に立ち回るための手札になっていると良いのだけれど。
この先の十年についての知識を持っているアイシャにとっては、後にアルジュンに背く者たちが今、どのような顔で闊歩しているかを見るのは大いに学びとなった。
(人の内心は、見た目からは分からない。決して、簡単に信じてはいけない。油断してもいけない……!)
そしてその学びは、アイシャの剣にも盾にもなるはずだった。
年若い王妃は、見た目通りに可愛らしく無邪気で愚かで浅はかだと、多くの者が侮ってくれているはず。アルジュンに甘え、トリシュナには監督される小娘が、密かに諸侯を品定めしようと目を光らせているとは思うまい。
「アイシャ。連日付き合わせてしまって、すまないな。疲れてはいないか?」
「付き合わせる、だなんて。王妃として必要なことですもの。何より、アルジュン様とご一緒できるのですから、私は喜んでおります」
「そうか。嬉しいことを言ってくれる」
何しろ、夫でさえも妻の本心のすべてを知らないのだから。
微笑んで──そして、長い指でアイシャの髪を取って梳いてくれるアルジュンに凭れると、後ろめたさがちくちくと胸を刺す。この御方が信じてくれているほど、彼女の心は清らかではない。
アルジュンが望んだように、改革に同調してくれる可能性がある諸侯と接触するための口実として、同席しているのではない。トリシュナは、王を守り支えるために油断できない諸侯の対応について教えるつもりでいてくれているようだけれど、それもすべてではない。
(私でないと、できないことがある。この先誰が背くかは、アルジュン様もお母様もご存知ない。私が、証拠を見つけないと……!)
もっと強かに抜け目なく、狡猾にならなければ。そう念じて、アイシャは今日も笑顔を纏って嘘を操る。
「今日は、王太后様はご不調です。お会いできなくて残念、とのご伝言をお預かりしています」
「それは一大事。我が領の薬草を取り寄せましょうか」
「ご心配には及びませんわ。この暑さでお疲れなのでしょう」
トリシュナが姿を見せないのは、彼女なりの意思表示だろう。息子を惑わす不忠者には会いたくない、という。
今日、アルジュンとアイシャの前に集ったのは、スーリヤ国の数多の諸侯の中でも年若い者たちだ。
つまりは、それだけ因習にとらわれず、年配の先達に従うことを良しとしない──アルジュンの考える改革に同意してくれる可能性がある者たち、ということにもなる。トリシュナにしてみれば、王に取り入りたい一心で軽々しく追従しかねない、と見えるのだろう。
(だから、お義母様は隔意を示しておくことになさったのね)
義母の振る舞いは、確かに大いにアイシャの参考になる。
若輩者たちに対しては伝言で済ませるいっぽうで、トリシュナは、国の重鎮たる老臣たちのことは丁重にもてなしていたから。
恐らくは、夫の後を追わずに生き長らえていることを陰で嗤われているのを承知で、王は彼らを尊重しているのだ、という体裁を保った。それは、とても賢く勇気ある振る舞いだと思う。
(でも、お義母様。下手に出たところで、つけ上がらせるだけかもしれないでしょう?)
アイシャは、この先の十年で何が起きるかを知ってしまっている。思い返すと、我ながら呆れるほどに暢気で無知に、無為に過ごした十年ではあったけれど、それでも忘れられない出来事は幾つもあった。
「──とはいえ、王太后様は王妃様を信頼していらっしゃるご様子。陛下もご安心なされたことでしょう」
「そうだな。初めから母娘であったかのようで、私こそ身の置き場がないくらいだ」
「またご冗談を」
アルジュンと笑い合うのは、チトラクートの太守ニシャント。彼は、八年後に病に斃れる。まだ若く、健康なはずだったのにほんの数か月寝ついただけで。そんなことがあったから、アイシャはアルジュンが不予を訴えた時も、若者にも容赦しない恐ろしい病気があるものだと信じ込んでしまったのだ。
「王太后様に献上しようと絹を持って参っていたのですが。王妃様からお渡しいただけますでしょうか」
「ええ、喜んで」
寡婦といえども着飾っても良い──まして、夫君に殉じて墓室に入る必要はない、と仄めかしたのはのエルールの大侯カイラシュ。五年も経たないうちに戦場に散ることなど想像もつかない爽やかな笑顔だ。
彼を討ったのは、王に背いた別の有力な諸侯だった。トリシュナが懐柔しようと努めていた者でもあって、だからこそアイシャは義母の教えを完全に踏襲するわけには行かないと思っている。
(未来は変わり得る──だから、一概に敵と決めつけるのも良くないのでしょうけれど)
王の派閥を固める。つけいる隙をなくす。それによって旗幟を変える者が出れば、たとえ叛乱を回避できずとも違う結果を導き出せるかもしれない。
「時に、王妃様」
「……何でしょうか、お従兄様」
だから、この場にいる者たちこそ丁重に扱わなければならない。そして、多少なりともこの先の知識があるアイシャとしては、何としても守りたいと思う。
でも。そうと分かっていてもなお、その男に対する時、アイシャの声も表情も強張らずにはいられなかった。辛うじて笑顔を保ったつもりではあったけれど、果たして夫たちは不審に思わなかっただろうか。
「妹の姿が見えないようですが、何かお怒りを買うようなことでもしたのでしょうか」
だって、にこやかに問うてきたその男は、ラームガルの領主シャマール。ダミニの、母を同じくする兄。十年後も壮健で、アイシャは夫の遺児を安心して託すことができると考えていた。
でも、今となってはどうだろう。どうして、この男とダミニだけが生き残ったのだろう。──あるいは、勝ち残った、とも言えるのかもしれないけれど。
間が空いてすみません。今後は週一ていどを目標に更新していきたいです。




