#記念日にショートショートをNo.67『愛よりも深く、恋よりもささやかに』(Deeper than LOVE,fainter than love.)
2022/12/31(土)大晦日 公開
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なし
旅に出たくなって、電車に乗った。行き先も決めていない、ただ、電車であれば、あまりお金を掛けずにどこか遠くへ行けると思って。電車の揺れに、電車の行くままに身を任せる。車窓の外は、すでに日が落ち、真っ暗だった。大晦日だからか、真夜中の旅車には、共に乗り合わせている人などおらず、ただ私を運ぶ旅車の音だけが、狭く薄暗い空間に響いていた。世界の情報を遮断したくて、何者にも止められない世界に飛び出してみたくて、目を閉じる。日と日の境い目の、何にもない一瞬の時間の世界へ、連れて行ってもらいたくて。見たことのない夢が、私を、どこかへ連れ去ってくれるように。
心地良い甘い匂いがした。おぼろげに、少し黄ばんだ紙と、紙に鏤められたいくつもの文字が見えた。自分の斜め前で、白い長細い指先が、軽やかに頁をめくった。その視線が文字を追う毎に吐息が漏れていたのか、目の前の頬が微動し、顔が動いて、真っ黒なつぶらな瞳が私を見た。
「起きた?」
「…あ……うん……」
発せられた言葉に顔を起こし、頷く。
「…ご…ごめんね、肩借りちゃったみたいで……」
身体を起こすと、その本の持ち主をはっきりと見ることが出来た。サラサラの前髪と、長い睫毛が縁取る真っ黒なつぶらな瞳、そしてまるで異国の絵画で見るような、陶器のように白い肌。暗い中でそこだけ月明かりに照らされたように、その白い肌は透き通り、月光を宿していた。と、月明かりが夜列車につややかな風を呼んだのか、電車にヒュゥーッと冷的な風が吹き込む。その冷ややかさに漠然と恐怖を感じ、思わず彼の腕に縋り付く。
「大丈夫だよ」
少し掠れた声が、耳を通り、ふっ、と身体を暖めた。目を弓形に細めた彼が、安心させるように私を見、私の腕に触れた。
「終点に着いたから、これから車庫に運ぶために、きっとそろそろ車掌さんが見回りに来ると思う。」
彼の言葉で空気に蛍光灯が灯ったのか、声の背景で、2,3個離れた車両の連結部分のドアが開く音と、誰かが歩いて来る音が微かに聞こえた。
彼にも音が聞こえたのだろう。
「降りようか。」
と腰を浮かせた。
「嫌っ」
驚いたように彼が私を見る。咄嗟に、彼の腕を掴んでいた。
「…どうしたの?」
電車を降りてしまえば、何かが終わってしまう気がしていた。縋りの糸のない孤独な場所に、一人取り残されてしまう気がしていた。
「➖端の車両まで、移動しよう。」
俯いたまま黙っている私に、彼が誰ともなしに呟くように言った。はっきりと差し出されたわけでもない彼の腕が、どこか他人との関わりを求めているように感じられて、穴を埋めるように腕を絡める。
並んで、歩き出す。一歩ずつ、ゆっくりと。
「…どうして、電車にいたの?」
「君があまりにも気持ち良さそうに眠っていたから、起こさなかったんだよ。」
「そっか……でも、帰らなくてよかったの?」
「だって、君一人残して帰るわけにはいかないだろう?」
彼が微笑む。
「そっか……ごめんね。」
「別に。僕が一緒にいたかっただけだから。」
2人、歩きながら言葉を話す。端の車両まで来てしまうと、彼は金属の仕切りから少しスペースを開けた位置に腰を下ろし、その空いたスペースをトントンと指でつついた。
「あっ…ありがとう……」
彼の隣りに丸めるようにして身体を下ろす。私が座りやすいように少し広めにスペースを取っておいてくれていたのだろう、彼が私の方に身体を寄せるようにスペースを詰めた。触れるか触れ切らないかの、微妙な距離。彼をすぐそこまで感じ、ドキン、と心臓が跳ねた。と、彼が私に、イヤホンの片っぽを差し出した。
「聴く?」
「えっ…うん……」
震える指で、イヤホンを撮む。差し出されたイヤホンを右耳に挿す。小刻みなビートの後に、軽やかなメロディーが耳に流れた。彼の左耳と、私の右耳に音楽が流れる。繋がれたイヤホンに、心なしかトクトクと心臓が音を立てていた。彼の横顔を盗み見る。サラサラの前髪と、長い睫毛が縁取る真っ黒なつぶらな瞳、そしてまるで異国の絵画で見るような、陶器のように白い肌。青白き月に照らされ、その白い肌は透き通り、ただ見つめているだけで美しかった。ただ見つめているだけで、うっとりとしてしまう自分がいた。
ふと、微かに視線が絡んだ気がした。束の間、視線が清かに絡む。彼が、私の左耳に触れた。そして、唇が重なった。口付けは、あまりにも軽やかだった。柔らかいというよりも、風に口付けをしているような、そんな感じがした。心地良さが、自然に目蓋を下ろしていた。その感触だけで、彼を感じられた。数秒後、ややあって、そよ風が吹くように、唇が離れていった。数秒足らずの口付けが、まるで妖精がパウダーを振り撒いて行ったように、幻のように感じられた。そっと目を開く。真正面から見る彼は、やはり美しかった。途端に、羞恥心が睫毛に紅色の粉を降らせた。僅かに顔を下に向ける。自分の指先が恋の訪れを感じていた。身体の縁が熱を帯びていた。
「僕の名前は、水来風透。」
「水来…くん……」
「君の名前は?」
「泉来…泉来心雪……」
「綺麗な名前だね」
「あ、ありがとう……」
微睡みのような特別な時間が後ろに過ぎ去って行くにつれ、夜の寒さが肌に沁みていることに気が付いた。膝の上で手をキュッと握りしめる。と、私の手を彼の手がやさしく包み込んだ。細い指、透けるように白い肌。寄り添いが形になって行くにつれ、罪悪感と高揚感が心をせめぎ合った。きっとこれは、持ってはいけない感情だった。この旅車が終着駅につけば、きっと彼とはもう二度と出逢うことはないだろう。この旅車が夢の旅を終えてしまえば、きっとこの時間も終わってしまう。恋よりも深く、愛よりも深く、されど愛よりもささやかで、恋よりもささやかな。恋愛とは似て非なるような、そんな特別な感情が、いまここにあった。
「君が、好きだ。」
手を繋いだまま、身を寄せ合ったまま、彼が呟いた。
「なぜなのか、分からないけれど。僕の心臓で、君を愛しているんだ。恋愛とは違う形で、でも恋愛のような軽やかさで。たとえこの先僕に恋愛としての恋人が出来たとしても、たとえその恋人を僕が愛していたとしても、僕は君を愛している。特別な形での〝好き〟をいま、感じているんだ。」
彼の言葉と自分の思いが重なる。不思議な感覚が、そこにあった。
「私も…同じ気持ち。」
「私も…あなたが好き。」
ぽつぽつと呟く。まるで、雨が窓に雨粒を落とすように。まるで、雨が窓で息をするように。
「私も、なぜなのかは分からないけれど。恋とは違う、愛とも違う、でもあなたが好き。」
雨のように。電車を背景にして。
「これは恋愛じゃない。スリルにもならない。好きだけど、恋だけど、恋じゃないの。愛だけど、愛じゃないの。」
「私はあなたを恋人に出来ない。普通の恋愛も出来ない。でも、あなたが好き。あなたを愛してる。あなたに触れていたい。」
彼の唇の表面に指を添える。
「たまの休日に、こんな風に、いつもと同じように、会いたい。毎日じゃなくていい、2週間に3度くらいでいい。」
「たまに会って、デートだってしてみたい。たまに会って、手を繋ぎたい。たまにでいいから、いつものように恋人みたいに触れていたい。」
そんなこと、叶わないなんてことは、分かりきっているのに。
「だから、いま、あなたを、最初で最後、愛したい。」
気付くと、彼の指先が私の髪の間に入り、私の髪を撫でていた。彼は、私の髪を撫でながら、私の言葉を聞いていた。
「➖うん。いいよ。」
そして、まるでそれが世界の挨拶であるかのように、そっとキスをする。
「今度、夏祭りに行こう。」
「うん。」
「君と一緒に、花火が見たい。」
約束すらしていないのに、黄緑色に輝く草葉が風に揺れる原っぱで、2人は出逢った。
まるで、そこからデートが始まるかのように。
河川敷をお互いに浴衣を着て歩き、お互いを認識し、ひととき歩を止め➖
これは恋じゃない。愛でもない。恋ほど重くないし、愛ほど軽くもない。でも確かに恋のように、愛のように、愛よりも深く、恋よりもささやかに、2人はお互いに恋し、お互いを愛していた。
眩い花が開く漆黒の夜空の下で、4人の真ん中で、2人はほんの一瞬だけ指を絡め、そして反対方向に歩き出した。
【登場人物】
○泉来 心雪(せら しゆき/Shiyuki Sera)
●水来 風透(みずき ふうと/Fuuto Mizuki)
【バックグラウンドイメージ】
○シンガーソングライター 竹澤 汀 さん
【補足】
①タイトル候補について
○『仕切り越しの距離』
○『雨色に染まる』
○『触れる』
○『金属と雨、漏れ聴こえるイヤホン』
○『雨と華』
○『雨花火』
○『雨に滲む』
○『雨に開く』
○『雨と電車と恋と花火』
○『雨と電車と花火と銃弾』
○『電車と金属とあの人と私』
○『雨と電車とイヤホンと花火』
○『雨と電車と金属とイヤホン』
○『電車と金属とイヤホンと雨』
○『恋よりも深く、愛よりもささやかに』
○『夜の旅車』
②仮キャッチコピー・仮冒頭について
○《ー雨の日だけ、あなたに出会う。》
○《ー雨が降ると、あなたに出会う。》
○《ー雨の日には、あなたに出会う。》
○《ー雨降る日には、あなたに出会う。》
【原案誕生時期】
2022年7月頃