Netzach:覚醒、飛行魔法と猫の視線
「はぁ…はぁ……く、うぅ…」
現代の日本において、人間の気配を感じない場所は殆ど無いといっても過言はないだろう。
しかしてこの場所は、あまりにも人間の気配というものはなく、代わりに少女の苦しむ咽び声のみが響いている。
「う…くぁ…………あぁぁあ!!あ、うぐぅぅ…っ!!?」
「やめろ…」
喘ぎ苦しむ少女、ジュリアの傍らに…黒い天使が立ち、見ていられずに目をそらし叫ぶ。
「やめろ…もう止めろ、00(アインソフ)ぅ!!!!!!」
しかしそれは少女ジュリアの苦しみを助長させるのみにしかとどまらない
朧気なな思考と、只一つの単語から溢れる感情の波の摩擦
それが苦痛となりジュリアを苦しめているのである。
「…中途半端に思考権を返した結果だ、お前の提案ではないか…」
あまりにその男の存在感は人間とはかけ離れていた、しかしそれは確実に人間で
しかし天使でさえ顔を背けるジュリアの現状を冷酷に見つめ、ただ其処に立っている。
「やめて…こんな気じゃなかった…だからジュリアを…助けてくれ…」
「…いいのかね?ここで思考権を私に返還するということは…またあの町の者をブランク化する為に
意味を奪って廻ってもらうこととなるが…?」
黒い天使、メタトロンは俯いて翅を屈辱に震わせる。
もはやのたうつ体力も無くしたジュリを挟んで、メタトロンに向かい合うように立つその男は
悪趣味としか言いようがなかった。
しかし彼女達はその男に従うほか選択肢を持っていなかった。
―――こんな事なら、あの男の言う通り『あれ』の研究なんて辞めておけば…っ!!!―――
悔し涙を流すメタトロンにさえ、魔術師は冷たく見下ろす。
そして魔術師は冷酷に、ジュリアから再び思考を奪おうと無感動に手を振り上げた。
ジュリア・F・ヘンデルの襲来から数週間が経ち、マルコは今日もまた朝早くから魔法の訓練に明け暮れていた。
あの事件以降、マルコもまた魔法をよく知りたいと思うようになった。
唯与えられた能力としてではなく、ブランクとジュリアを救う方法として魔法を使おうと努力し始めたのである。
「魔法というものは、要は権限だ
異相にある大いなる円環の操作を天使によって運命受けられた存在が魔法使いだ
だからこそ、マルコの想像することは創造することに等しくその想像を現実にする権限がある
つまり、自分の想像の幅を広げることがそのまま魔法使いとしての強さになる
……理解してるか?」
「は…半分くらい…」
「まぁ、小学三年生だもの。
誰かさんみたいにずっとそのまんまななんちゃって名探偵じゃないんだから。」
エリヤの言葉に蓮は少しばかりむぅと唸るが、気を取り直して説明を続ける。
非観測空間の結界によって、人間の侵入を防がれた公園の中
すでに変身を終えたマルコは蓮の講義を受けて頭から煙を吹き出しそうになっていた。
「王国は流れで構成される物質界を操る魔法
つまり『流れ』をテーマに想像すればいい、ちょうど何時ぞやの飛行魔法みたいなものだ」
「・・・・・・」
マルコは言われるままに、ドラウプニルの輪を目の前の木に向かって出現させる。
そして飛行した時と同じように風の流れをつかんで、一点に貯める。
そして少しだけ風穴を開け、一気に放出した。
……ドゴン!!
……木に拳大の風穴が空き、ほんの少し
まるで世界がそれを理解することを遅れてしまっていたかのように間をおいて、風穴のあいた木はバキバキと音を立てながら倒れた。
「……えぇと、加減も考えようか」
「う、うん…!」
マルコがブランクの気配を感じて周囲を見廻す。
先日の襲撃以来、マルコに感覚の鋭さが増したような気がするのは蓮の気のせいだろうか
「どうやら考えている暇は余りないようだな」
蓮はちらりとマルコの方を見やる。
こくりと頷くと、マルコは目をつぶってドラウプニルに意識を集中させる。
――――こうしている間にも、ジュリアちゃんも…あの子の天使も、苦しんでる…きっと泣いてる…危ないことだってしてる
だから…そんな理不尽を止めて見せる、私の幻想で…奇跡を起こして見せる!!
力を貸して、ドラウプニル!!――――
「…王国の魔法よ、顕現せし王の奇跡よ
私はここに新たな則を唱える者、新たな理を添える者
故に私は望む…この手に奇跡を、闇を払う魔法を!!
フェオ・ウル・ウィン・アンスール!!」
マルコが唱えると、ドラウプニルは呼応するように黄金色の光でマルコを包む。
それは、新しい形だった。
マルコの実に纏われるのは、皮の鎧のようなものに加え風を現すような流れるような羽衣と、無限に増え魔法を伝達する特性を持つドラウプニルの環
それらが組み合わさって、マルコの進化したイメージがその身を包んでいく。
エリヤは黄金の剣に変身してマルコの背中の鞘に収まった。
「…王国の魔法使い、これが私の奇跡…!!」
それは、前の服装よりも若干ヒラヒラしていて身軽さを想わせる衣裳だった。
そう、空を駆ける天女のように。
変身が終わると、マルコは地を蹴ってふわりと宙に浮き上がる。
「相変わらず発想は優秀だ、それで良いんだよマルコ」
魔法による装甲と王国の魔法を伝える無限のドラウプニルの環こそが、マルコの極的な装備である。
それにより風と結界を無駄なく操り、無駄な装置=環を抜く事に成功したのである。
「それじゃあ、行ってきます!!」
轟!!という音と共にマルコは空高く飛んでいった。
「理論上は認識阻害の魔法もできるか…」
残された蓮は軽くため息をつきながら、公園を見渡す。
「こっちも、いざという時の為に用心はしておくか」
一方で青銅欄上空を疾走するマルコの目には既に5つの白い影が映っていた。
「…居たっ、あそこだ!!」
マルコが視認した先には、空間を白くくりぬいたようなブランクが五体
いずれも翼のようなものを生やし、それぞれが違うルーン文字を表面に刻み込まれている。
『またルーン付きのブランク、待ち伏せね。確実にマルコを潰そうとしてるわよ?』
「でも、やるしかないよ!」
マルコは空中で静止して天に手を掲げる。
「探して、ジュリアちゃんを!!」
マルコが叫ぶと掌の先にドラウプニルの環が出現し、またたく間に周囲一帯を覆う程広がっていく。
環に入った物体の形から存在を辿る、広範囲の探索魔法である。
しかし探索範囲にはジュリアと思しき影も形もない。
「…今回は居ないみたい…?」
マルコが首を傾げると、エリヤがうぅむと唸る。
『ひょっとしたら…』
「どうしたのエリヤ?……ひゃぁ!!?」
マルコがエリヤに考えを聞く前に、ブランクがマルコに接近して剛腕を振るう。
その腕は影もないため立体的に把握するのは難しいが、シルエットとして剣の形をしていた。
間一髪…しかし、前のような偶然の反射ではなく確固たる意志による回避。
マルコは正面を見据えて、ドラウプニルを付けた腕に意識を送る。
「勝てない相手じゃ、ない!!」
ガチン!!という音と共に、剣のブランクに拘束具のような環が嵌められその身を拘束する。
続いてハンマーのような腕と蛇のような腕をしたブランクが襲いかかるが
「エリヤ、ごめんね!!」
『よいしょお!!!』
マルコは即座にエリヤの剣を引き抜いて攻撃を同時に防ぐ。
『あたしは片割れにして最後の剣よ、この程度の攻撃耐えきってみせるわ!!』
ふんっと鼻息を荒くするような声がするが、剣である為それを判別するのは難しい。
「それから…やあぁーーっ!!」
マルコは魔法使いとして底上げされた運動能力でエリヤを振るい、ブランクの腕のルーンを切り落とす。
ブランクの腕は切り離されず、ルーン文字のみが分離したのである。
「思った通り、この魔術はエリヤで切れる…でも、ごめんね」
少なからず痛みはあったのだろう、理性泣き雄たけびを上げながらブランクはルーンを切り落とされた腕を押さえ悶え苦しんでいる。
『マルコ、あと三体!!』
エリヤの言葉と共に、残り三体のブランクが陣形を組んで飛翔しマルコを取り囲む。
しかしマルコはその僅かな隙に、三方のブランクに向けドラウプニルの環を二重に向けていた。
片や空気の押し出し、片や空気流の阻害、そしてマルコは阻害の環の効果にごく小さい穴をあけた。
『エアー、バレット!!』
バシュ!!バシュ!!バシュ!!
と、ブランク達の頭部らしき部分に拳大で高圧の空気弾が炸裂する。
「エリヤ、今の何?」
『技名は叫んでこそでしょ?』
なまじ人間の姿を留めていたからだろう、急激に頭を揺さぶられたブランクたちはくらりと空中でよろめき
マルコはその隙を逃さなかった。
ガチン
五体のブランク達に、それぞれドラウプニルの環が固定して狙いを定める。
「巡って、奇跡の世界!!」
マルコが魔法の名を付け呼んだ事に歓喜するように、ドラウプニルを介して膨大な魔力が異相からこの世界に顕現する。
それは拘束されたブランクを貫いてから異相へと戻り、再び別の環から顕現して痛みに苦しむ二体のブランクを貫きまた異相へ…
そして流れは三又に分かれ、三つの環から同時に放たれた魔力流が残り三体のブランクを貫いた!!
ブランクは貫かれた衝撃に雄たけびを上げるが、そこに苦しみはないのは解る。
魔術師に意味をえぐり取られたその傷を、魔力が見る見るうちに癒していくのである。
『フィニッシュ!!』
「やあああぁぁぁぁぁあああああああっ!!!」
そしてマルコの剣が、ブランクの体を…否、魔術師の呪いを断ち切った。
「…にゃぁ…」
それを地上、ビルの屋上から観察する者が居た。
正確には『者』と言うより『猫』、漆黒の毛並みを持った猫である。
その傍らには銀の毛並みを持った猫、しかしこちらには明らかに猫とはいえない特徴を兼ね備えていた。
羽である、銀の毛並みを破るように黒い羽を生やした猫が、黒猫の傍らでやはりマルコ達を眺めていた。
「何をしている王国の魔法使い…それは、魔力をただ集めさせるためだけの供給機、その一分隊に過ぎないのに…」
羽を生やした銀の猫は、いつぞや聞いたような声で喋る。
それは、メタトロンの声…その猫こそが、姿を変えたメタトロン本人なのである…そして、傍らの黒猫もまた…。
「早く、早く私達の事に気付いてくれ…これ以上ジュリに、罪を負わせないでくれ…」
メタトロンは…天使は苦痛に満ちた表情をしながら俯き、空を駆ける魔法使いに願う。
それは、何よりその持った力によって人間とは違ったを歩まされ続け
挙句は今この時、思考も何もかもを奪われただ操り人形と化してしまった哀れな己の相棒を思っての事。
「早く来てくれ…ジュリを、倒せるところにまで…っ!!」
天使のこぼした泪の音は、吹きすさぶ風の音に虚しくかき消された。
明は、開いた玄関に居るその存在感に微笑みかけた。
その男は何処から見てもごく普通の青年だった
しかしそれはその男が魔術師である事を隠すカモフラージュが非常に上手いというだけの事である。
彼を知るものならば、誰もがその巧妙な魔術世界の渡り方を…隠匿されるべき世界の歩み方を褒め称える事だろう。
何故なら男は、明に次いで魔術世界の在り方を理解せざるを得ない…そんな人物なのだから。
「いらっしゃい…歓迎するわよ、現代最高位の魔術師さん…ね?」
男は…どこか外見に合わない教師じみた表情で、懐かしむように明の言葉に応えた。
「久しぶりかね、明」
異相(魔術世界全般)
この世界は単純に一つではない。
別次元の方向にずれた『もうひとつの世界』が重なって存在しており
そこにこの世界の物体が放出した魔力が流れ着くとされている。
あらゆる魔法が、あらゆる魔術が、あらゆる幻想存在が
この異相からこの世界に干渉して生み出されるのである。