72話 ティリアの異変
叙爵を祝う夜会が終了すると、二人は離宮に用意された寝室へと向かう。護衛と侍女達が後に続くが、幸せの絶頂であるライルにとっては、存在しないのと同じだった。
「あ、あの……ティリア様」
部屋の前に到着すると、ライルは真剣な顔でティリアを見つめた。
「貴女を必ず幸せにします」
「ありがとう」
はにかみながらティリアは笑う。
「おやすみなさい」
「ティリア様。良い夢を」
侍女達がそれぞれドアを開け、二人は別々の部屋に入った。目が冴えたライルは、ベッドに入っても一睡も出来なかった。
△
翌朝。離宮の庭で、ライルは長時間の体力トレーニングを行っていた。その様子を遠目から見ていた5歳のシーダ姫は、ニヤリと笑ってライルの元へと走り出す。
「シーダ様!?」
「姫様!?」
突飛な行動に出るシーダ姫の後ろを、数人の侍女と護衛が慌てて追い駆けて行った。
「張り切っておるようだなライル」
「シーダ姫殿下? おはようございます」
ライルは体力トレーニングを中断して恭しく頭を下げた。
「修練も程々にしておけよ? 倒れでもしたら嫁にドヤされるぞ?」
「嫁っ!?」
もの凄い形相でシーダ姫を凝視した。願いが通じて両想いになれたとはいえ、ライルは未だに現実感が湧いていない。
「ティ、ティリア様はまだ俺の嫁ではありません!」
「はっはっは」
シーダ姫は「時間の問題だろうが」と言って笑った。
「昨日は、なかなか見事だったぞ。其方の決意は大陸中に知れ渡るだろうな」
「ティリア様に近付こうとする男達も、今後は大人しくなるでしょう」
ライルは満足気だ。
「ふむ。これが独占欲というものか。わたしにはイマイチよく分からんが」
「はい?」
シーダ姫は難しい顔をして腕を組む。
「例えばだが、ティリアを他の男に任せようとは思わんのか?」
「思いません。ティリア様を任せるに値する男など、これまで一人もおりませんでした。ですので僭越ながら、ティリア様は俺が幸せにします」
「ふむ。良い心掛けだ。ちなみに――」
ニヤニヤ笑いながらライルを言葉責めにする。
初夜の心構えは? 子供の予定人数は? ティリアのプロポーションについてどう思う?
などの際どい質問が続き、答えに窮したライルは思いっ切り疲れてしまった。人をからかって楽しむのは、転魂の魔女であるシーダ姫の性分だ。
「はははは。実に愉快だ」
「……そうですか。これ以上は、もう勘弁していただきたのですが」
散々な目に遭って、グッタリと肩を落とした。
「ところでライル。まだ修練を続けるのか?」
「いえ。そろそろ仕上げに入ろうかと思います」
そう言って探索魔法で大き目の瘴気を探る。ライルはキッと空を見上げると、
「《火錬砲!》」
放射された何本もの炎が彼方へと飛んで行った。間近で見ていた従者も含めて、全員が呆然自失の状態だ。
「いくらなんでも強力過ぎやしないか? 放射の本数も多過ぎるだろう」
「そう……ですね」
(どうなっているんだ?)
ライルは眉間にシワを寄せた。シーダ姫は以前「瘴気を得た魔物は、自身を傷付けた者と縁の深い者を襲う」とライルに警告した事がある。
その事実を告げられた時のライルは、キレて《深紅の殲滅炎》という古代上位魔法で魔物を葬った。
だが先程の魔法《火錬砲》は《深紅の殲滅炎》の下位魔法でしかない。
それにも関わらず、キレたライルが放った《深紅の殲滅炎》の威力すら軽く凌駕していたのだ。
「ライル。ティリアはどこにいる?」
「部屋で就寝中だと思いますが」
「案内しろ。至急確認したい事がある」
ライルは不安な顔で、ただならぬ雰囲気のシーダ姫を引き連れていった。
「ここです」
「ティリア。いるか?」
ドアを何度か叩くと、しばらくして何かが割れる音がした。シーダ姫は「花瓶でも落としたか?」と呟く。
「ティリア様!? 大丈夫ですかティリア様!?」
ライルが声を掛けるが返答はなく、ドアには鍵が掛かっていた。侍女の一人が急いで鍵を取りに向かうが、その時間すらもどかしい。
「このドアは少々頑丈でな。しばし待てライル」
「待てません!」
「ふむ。仕方ない。では開ける事を許そう」
「ティリア様。危険ですのでドアに近付かないようお願いします」
「危険? 開けるだけで何の危険があると――」
ドゴォッ。
ライルは風の魔法を纏った右足で、躊躇なくドアを蹴破った。
「ライル……お前」
シーダ姫は呆気に取られている。てっきり開錠の魔法を使うと思っていたからだ。しかしライルは、正常な判断が出来ない程に平常心を失っていた。
「ティリア様!」
床に倒れたティリアへと駆け寄り、身体に触れて呼吸と脈を確認していく。
「良かった」
ホッと息を吐いて慎重に抱き上げると、ティリアをベッドまで運んで下ろす。
「シーダ姫殿下。ティリア様はご無事です」
「……無事なものか」
深刻さを含んだ声で、シーダ姫は顔を青くしている。
「このままだとティリアは死ぬぞ」
「なっ!? 何を馬鹿な事を!?」
ライルはシーダ姫を睨む。
「其方にも魔力の流れを見せてやろう」
シーダ姫がライルに手をかざした。
「見ろ。そこにあるのが、ティリアが持つ魔力の器だ。世界でも屈指の大きさだ」
ライルは目を見張った。ティリアの傍に、人の背を超える巨大な器が現れたからだ。虹色を思わせる幻想的な器からは、もの凄い勢いで何かが流れ出している。
「魔力の流れは魔女にしか見えないが、一時的に見えるようにしてやった。其方の器もあるぞ。窓から見てみるがいい」
「なっ!?」
窓の外には、ティリアの器の数十倍はあろうかという巨大な器があった。
「ティリアの器は驚くべき美しさを誇る。大きさにしてもかなりのものだ……が、世界に選ばれた其方の器は、文字通りに桁が違う」
外にある器は武骨で何の変哲もない形をしているが、その大きさだけは常軌を逸していた。
「ティリアの器から流れ出る魔力を、其方の器が受け取っているのは分かるな?」
「は、はい」
蘇生魔法を使えば、その衝撃で使い手の器には穴が開いてしまう。そして一切の魔力が溜まらなくなるのだ。
だからこそティリアは魔法が使えなくなった。だがその時に何故か、ティリアの器に空いた穴は、ライルの器とバイパスされる形で繋がってしまっている。
世界の瘴気を祓う男の器と、蘇生魔法を使える女の器。どちらも世界唯一と言える程に特殊だからこそ「蘇生魔法を切っ掛けにして異常反応を示し、繋がり合ったのではないか?」と魔女達は仮説を立てていた。
「魔力の源は精神力であり体力、つまりは生命力だ。限界を越えて際限なく魔力を作り続ければ、いずれは生命力が枯渇して命を落とす」
ライルはシーダ姫の言葉を聞きながら、悲壮な顔でティリアを見つめる。
「ティリア様の魔力生成は、止められないのですか?」
「何をやるにも時間が足りん。やれるとすれば、そうだな……フロートスイッチとでも言えばいいのか。それが機能すれば止まるだろう」
「フロートスイッチ?」
「器に魔力が満ちれば、魔力生成が止まる機構だ。これは誰にでも備わっているのだが」
シーダ姫は「今のティリアの器では、一滴も魔力が溜まらないだろうな」と言って首を振った。
「ライル。其方が生成する魔力は全て、パンドラの箱に吸い上げられておる。それは知っておるな?」
ライルは頷いた。「世界の瘴気を浄化する開かずの箱」は、ライルが生成した魔力によって運用されているからだ。
「今の其方が魔法を使えるのは、ティリアから供給される魔力を使用しておるからだ。であれば今後、其方はどうすべきか分かるな?」
ライルは頷いた。世界中から瘴気を消滅させれば、役目を終えた箱はまた別の次元へと旅立つ。箱が去ってしまえば、ライルの器も魔力で満たされるようになるだろう。
ライルの器が満杯になってしまえば、溢れた分の魔力がティリアの器へ逆流して還元されるという事だ。
「急がないといけませんね」
「ああ。長くても10日……といったところだからな」
「10日!? そんなっ!?」
「勘違いするなよライル。わたしは『長くても10日』と言ったんだ。10日もつとは言っておらん」
シーダ姫は切迫した状況だと告げている。
「なぜ……こんな事に」
「感情の爆発。しいて言えば『嬉しさ』が原因なのだろうな」
「嬉しさ?」
「ああ。ティリアが以前使った蘇生魔法は、神の御業に等しい行為だ。心にとてつもない衝撃を受け、器が壊れてしまう程のな。逆に言えば、それ程の衝撃でないと器は壊れたりしない」
シーダ姫は長い金髪を撫でつける。
「つまり昨夜のティリアは神の御業に比する衝撃を受け、器に更なる問題が生じてしまったという訳だ。二度も器に衝撃を受ける稀有な者を見たのは、わたしも初めてだがな」
ライルは天井を仰ぎ見る。
「何が『必ず幸せにする』だ。死神のくせに……」
力なく両膝を着いたライルの頬を、
パァンッ!
シーダ姫は全力で張った。
「ふざけた事を言うなっ!」
「……姫殿下?」
「其方がやるべきは悲嘆に暮れる事ではあるまい! ティリアが命を懸けて愛した結果が今だと言うなら、其方も命を懸けて愛し返せばよかろうが!」
ハッとしたライルに向けて、シーダ姫はニッと笑う。
「分かったら可及的速やかに動け。やる事は一つだ」
ライルの目から迷いや嘆きが消えた。
「シーダ姫殿下。ご助言ありがとうございました」
ライルはティリアを救うべく行動を開始した。




