66話 噂の種火
少し早いランチを終えて、3人がくつろいでいる時だった。
「こんちはー」
ガンガンとノッカーを鳴らす音と共に、男の声が耳に届く。ライルは素早く立ち上がると、玄関へと向かいドアを開けた。
「アーバンか。久しぶりだな」
「よう! ライル」
日に焼けた男は笑顔を向ける。中肉中背で赤髪のアーバンは、ライルの親友とも言える人物だ。
軽薄な態度で女好きだが、情に厚く信頼が置ける。実家を追われたライル達に住居の斡旋をしたのもアーバンだった。
「今日はどうしたんだ? 何かあったのか?」
ライルは真顔でアーバンの様子を伺う。街中で偶に出会う事はあったが、約束も無く家を訪ねて来たのは今回が初めてだったからだ。
「今日はティリア・フローレンス様……じゃあなかったな。ティリアさんに聞きたい事があって、ここに来たんだ」
「ティリア様に?」
「ああ」
「少し待ってくれ」
ライルは室内にいるティリアにアーバンの来訪を告げに行った。
「ティリア様。用件があるとの事で、アーバンが訪れております。いかがいたしましょうか?」
「アーバン様が?」
ティリアは「何かしら?」と言いつつ、リビングに通すように伝えた。しばらくすると、ライルがアーバンを伴って入室してくる。
「おっ! こちらの美女は? お名前を伺っても?」
「魔女のアリサよお兄さん。初めまして。えーっと」
「俺はアーバンです! コイツとは仲よくしてるんですよ。ははははっ」
アーバンはライルを引き寄せて肩を組んだ。ライルはハァと息を吐くと、迷惑そうにアーバンの手を払う。
「アーバン様。ご無沙汰しております」
ティリアは微笑みながら挨拶をする
「お久しぶりですティリアさん。相も変わらず麗しい御姿。まるで湖に住む美しき精霊の如き――」
ドスッ!
「うげあっ!」
「さっさと用件を言え」
「いてぇだろが! 肘打ちしてんじゃねーよっ!」
「ぐだぐだ喋ってるお前が悪い」
涼しい顔で淡々と話すライルは、これ以上の軽口を許さない雰囲気だ。アーバンはコホンと咳払いをして居住まいを正す。
「アーバン様。こちらどうぞ」
ティリアが椅子を勧めると、着席してから用件を話し始めた。
「ティリアさん。よろしければローライザの王太子様について、少し話を聞かせてもらえませんか?」
アーバンは申し訳なさそうに言った。ティリアはローライザ王国の王太子ウィリアムから婚約を破棄されているからだ。
「ウィリアム様についてですか?」
「話すのが辛いようであれば、今日はこのまま帰りますが」
「いえ。大丈夫です。私が答えられるものであれば、お答えさせていただきます」
平然としているティリアと違い、ライルはあからさまに不機嫌だ。
「アーバン。余計な心配はするな。ティリア様はウィリアム様……あの男の事など何とも思っていない」
「どうしたんだライル? キレてんのか?」
(お前のせいだ!)
ライルはムッとしている。ティリアが蔑ろにされていた事を思い出して、怒りを感じたからだ。しかしその不快な気分も、隣に座るティリアと目が合っただけで大分和らいだが。
「それでアーバン様。私に何をお聞きになりたいのですか?」
「ええっとですね。王太子様に何か変わった事はありませんでしたか?」
「変わった事ですか?」
するとアーバンは声を潜めて言った。
「例えば頭を打ったとか、知能に大きな影響を与えそうな出来事があったとか」
ティリアは小首を傾げつつ、ウィリアムについて考える。
「私の知る限りでは、そういった出来事はなかったかと存じます」
「少しもありませんでしたか?」
ティリアはしばらく思案してから口を開く。
「強いて言えば、婚約者が私から異母妹のミリーナに代わった事でしょうか」
「そうですか」
アーバンは唸った。望む答えが得られなかったからだ。
「やっぱりミリーナ・フローレンス様が関係してるのか? しかしそれだけで、あの王太子様があそこまで変わるか?」
言いつつ目を瞑って腕を組む。
「あの、アーバン様。ウィリアム様がどうかされたのですか?」
「どうかされたんでしょうね。俺も以前は王城務めをしてたんで『王太子様って以前と比べて変わり過ぎだよな? お前は何か知らないか?』って、知人から色々聞かれたりするんですよね」
「珍しい相談を受けているんですね」
「そりゃあやっぱり、俺って頼りになるから相談したくなりますよね?」
ティリアはタジタジとなって「そ、そうですね」と答えるしかなかった。
誰彼構わず話し掛けるアーバンは、どこか憎めない男でもある。その為、かなり顔が広い上に知人も多い。
「最近は王太子様絡みで結構相談されるんですよ『ローライザ王国の東部地区の山間だけど、新しく道が通されるんだってよ。どう思う?』って感じで」
「東部地区の山間っ!?」
ティリアは悲鳴を上げた。東部地区の山間に道を通す計画は、ティリアが入念に調査した上で却下していたからだ。
見掛け上では良い計画に見えるが、継続的な街道整備費や将来的な流通量まで考えるなら費用対効果が悪過ぎる。
「ウィリアム様は一体何を……他に優先すべき計画がありますのに」
「他の計画ですか? ありますよ。他には――」
アーバンの話を聞き続ける内に、ティリアは顔面蒼白になっていった。
「まあ、これらは『大陸で最も優れた王太子様』の肝いり計画らしいですから、間違いはないんでしょうけど」
しかしティリアは絶句している。
「今までの王太子様と違って、政策や計画に不明な点が多いっていうか、腑に落ちない感じなんですよね。ティリアさんは、どう思いますか?」
「わ、私は――」
「ティリア様っ!?」
フラリと倒れそうになったティリアを、ライルは腕を伸ばして咄嗟に支えた。
「大丈夫ですかティリア様?」
「ええ。ごめんなさいライル。ローライザ王国がこうなったのは私のせいね」
「それは違います。ティリア様が責任を感じる必要はありません」
ティリアは婚約を破棄されるまで、ウィリアムの代わりに王太子の政務を担っていた。国王夫妻や臣下が間違った方向に進もうとした時も、ウィリアムを誘導して正しき方向へとそれとなく軌道修正を掛けたりもした。
不正を暴き、数字の乖離を指摘し、最良の計画立案もやり続けた。祖国が急速に発展しているのは、裏で動いたティリアの力によるものだ。
しかし今後はティリアの力は望めない。アーバンの話を聞いただけでも、祖国が破滅に向かっているのが容易に知れる。
「どうすればいいの……」
「あの国は元に戻るだけです。ティリア様がもたらした富が失われるだけです。どうか気に病まれませんよう」
今にも泣きそうなティリアとそれを慰めるライルを見ながら、アーバンは口を開いた。
「もしかして、今までの成功はティリアさんが?」
ライルは静かに頷く。
それからティリアと話し続けてアーバンの疑問は氷解し、ローライザ王国が狂い始めた理由にも納得した。
やがて祖国では「追放された公爵令嬢ティリア・フローレンスの功績によるものだったのではないか?」とまことしやかに囁かれ、静かに噂が広まっていった。




