50話 ティリアとのしばしの別れ
「それでは早急に王都に向かっていただきたいのですが、よろしいですかな?」
「少々お待ちください」
そう言うと、ヴェイナーはライルを振り返った。
「ティリアちゃんに事情を説明してきなさい。旅の準備はあたしがやっとくから」
ライルは「分かりました」と言って、ティリアの姿を探す。
「ティリア様」
「ん?」
ティリアは雑巾を持っていた。ギルド内の掃除をしていたようだ。
「掃除は辛くありませんか?」
「ええ。大丈夫よ」
ニコリと笑うが、ライルは無性に不安になってくる。我慢強いティリアは、滅多に不平不満を言わないからだ。フローレンス公爵家でも、ティリアが泣いている姿などほとんど見た事が無かった。
「あの……いえ、何でもありません」
出来る事なら掃除を代わってやりたいが、ティリアはそんな事を望んでいないと分かっている為、ライルは言葉を飲み込んで自重した。
「魔物討伐の依頼がありましたので、しばらく王都へ行ってまいります」
「そう」
ティリアは紫水晶のような瞳で、ライルをじっと見つめている。
その神秘的な美しさに引き込まれそうになり、ライルは息を呑んだ。
(お綺麗になられた)
最初に出会った時、まるで妖精のようだと思った。護衛見習いとして一緒に過ごすようになってからは、愛らしい妹のようにも感じていた。
だがそんな少女も、今では愛らしさより美しさの方が際立つ淑女となっている。
(胸が苦しい)
自身の想いを伝えたい葛藤がある。だがティリアはライルの主君だ。それは平民となった今でも変わらない。
魔力を失い、貴族として生きる道を捨ててまでライルの命を救ってくれた。だからこそ、これ以上ティリアの選択肢を狭めたくないと思っている。
自分勝手な恋慕の情を伝えて、仮に両想いになれたとしても、それではティリアの将来の可能性を潰してしまう。そんな事は絶対にあってはならないと、ライルは考えていた。それに――。
(俺の想いが拒絶されれば、もう一緒には居続けられない)
ライルは、この幸福が終わってしまう事を何よりも恐れていた。願わくば、今の生活がいつまでも続けばいいと思っている。
「ねえ。まだ見つめ合うの? 今生の別れってんじゃないんだからさぁ」
「「えっ!?」」
いつの間にか、2人の傍にはヴェイナーがいた。
「馬車の手配が済み次第、依頼人と王都に向かいなさい。いいわね?」
「はい。分かりました」
「ライル」
ティリアは眉根を寄せて手を組んだ。
「絶対に戻ると約束して」
「心配無用です。俺はティリア様を残して死んだりしません。どんなにみっともない醜態を晒そうと、石に噛り付いてでも必ずや帰還致します」
「貴方の無事を祈っているわ」
「光栄の至りです。ティリア様」
依頼人と共に馬車に乗り、ライル達は王都へ向けて出発した。
△
牧歌的な雰囲気の道を進み、2日が経つ頃に王都の端に着いた。
それから2時間ほど走ると、街の様相が目に見えて変わってくる。
石造りの建物は虹色に輝いており、幻想的な雰囲気を漂わせていた。
「不思議ですね」
「はっはっは。初めて王都を訪れた人は、皆ライルさんと同じ顔をするんですよ」
依頼人は得意気な顔で王都の説明を続ける。祖国の王都はどちらかと言えば商業面で発展していたが、こちらは芸術的な側面が強いようだった。
(そういえば、ティリア様は芸術面が苦手のようだったな)
ティリアの刺繍を思い出して、ライルの顔はほころんだ。
「ん?」
ライルは見えていた王城が段々と遠ざかっている事に気付く。
「王城へ行くのではないのですか?」
馬車は大通りを外れて、王都の反対側を目指して走っていった。
「王城へ寄る時間も惜しいのです。ご容赦ください」
「……はい」
意図が読めないライルは気のない返事を返す。やがて目的地に到着する頃、100人程度の兵士の集団が見えた。
馬車が止まると、ライルは依頼人の後に続いて馬車を降りる。
「よくぞ参ったライルよ。このシーダ・ルオン・ザンダークが、其方を歓迎しよう」
複数の護衛に守られながらライルを出迎えたのは、ザンダーク王国の第3姫、シーダ・ルオン・ザンダーク5歳だった。
「えっ?」
ライルは思わず、真の依頼人であるシーダ姫へと目を向ける。いくら王族とはいえ、5歳とは思えない口調や堂々とした所作だったからだ。
だが見慣れた依頼人の男は、何の問題もないと言わんばかりの態度でいる。このまま話せという事だろう。
「シーダ姫殿下。俺はギルド《鷹の眼》所属のライルと申します。若輩者ではありますが、粉骨砕身働かせていただく所存でございます」
騎士の礼をしたが、シーダ姫はプラプラと手を振った。
「堅苦しいのはナシでよい」
「いえ、そういうわけには……」
「では、好きなように話せ。まあ、わたしの言葉遣いが多少変わっているのは気にするなよ」
シーダ姫は「では早速」と言ってニッと笑った。
「其方の力を見せてもらおうではないか」
宣言して腕を組んだ。




