正志 その3
―――酷い臭いだ。
その最深部には固く閉ざされた重たい扉がいくつも並んでいた。
牢屋だ。
そこに閉じ込められているのは女性が目立った。
だが、ただの女性ではなかった。
極度にやせ細った女性や幼い子供、手足のない女性、あるいは生きているのか死んでいるのかも分からないような目をしている者までもが閉じ込められている。
おそらくこれは、この村にくる事前に知った情報から考えるに、人身売買として利用される人たちなのだろう。
なんとかして助け出したいとも思うが、なにしろ数が多い……。
幸い監視はいなかったが、この人数……そして負傷した人たちを連れて外に出るには目立ち過ぎる。
この屋敷の主、領主を説得して……。
いや、ダメだ。
これほどまでに酷いことを平然とする領主相手に、説得が通じるとは思えない。
ならばやはり今の内に逃がすか?あるいは出直すべきだろうか?
もともと今回の目的は救出ではなく、調査のためにここへ来た。
だが、このまま放置すればその間にも人身売買による犠牲者が増えてしまうかもしれない。
そんなことに頭を動かしながら辺りをぐるりと見回す。
そして見つけた。
俺が降りてきた階段……いや、その出入り口の横の壁だ。
そこに鍵が掛かっている。
ほぼ間違いなく牢屋の鍵だろう。
今の俺でも鍵を開けてやることくらいはできる。
保護して連れ帰ることはできないにしても、鍵を開けて自由にしてやることくらいはできる。
すぐに鍵を手に取り、怪我をしていたり動けなかったりする者のいる牢屋の鍵から開けていく。
それは、けがの治療をするためなどではなく、助けを乞われても助けることができないからだ。
動けるものを先に助けてしまえば群がられ、自分の身すら危うくなる可能性もある。
最悪、動けずに脱出できなかった者に関しては、準備を整えて出来る限り早くまたここに来るつもりであったため、その時に助けてもいいだろうと考えた。
領主も、動けない誰かが鍵を開けたとは考えないだろうし、負傷しているものがすぐに人身売買により売られていく可能性も低いだろう。
全ての牢屋の鍵を開け、俺は早々に出て行く。
すぐに後を付いてくるような者もおらず……いや、すぐに付いてこられるようなものもおらず、様子を見ながら抜け出す形となるだろう。
俺も一度抜け出し、準備を整えてからまた改めて戻ってくることとしよう。
牢屋から屋敷へと続く階段を上り、この屋敷へ入ってきた出入り口の扉へと向かう。
その途中だった。
あと少しだった。
その目的地であった扉が開く。
ここまでに人はいなかった。
これほどまでに大きな屋敷にも関わらず、誰もいなかった。
それは、本来ここにいるべきはずの全ての人間がまとめて外に出ているという可能性が考えられた。
これだけ大きな屋敷なら誰かしら留守がいてもいいはずだが、その全てが出ていた。
つまり、よほど完璧な準備をして外出したという意味でもあり、それがまとめて帰宅したならばほぼ間違いなく逃げ切ることもできないだろう。
それが今、逃げ場もないこの状況で扉を開けた。
俺の命もここまでなのだろう。
屋敷の主がいない間の侵入者であれば、その屋敷の主がどんな悪人であろうとも俺は部外者であり、排除すべき相手だ。
俺は腹をくくるしかなかった。
――ガチャ。
玄関の扉が開く。
そこに立っていたのは……。
男だった。
いや、領主だ。
俺の考えた最悪の想像は外れていた。
想定された最悪の状況ではなく、ただ一人の男、領主のみがそこに立っていた。
「――誰だお前は!」
一拍の沈黙を挟み、領主が叫ぶ。
当然だ。
俺も自分の家の扉を開け見知らぬ男が立っていれば同じような反応をしただろう。
返事に困る。
完全に侵入者だ。
この状況では何の言い訳もできない。
「俺は……この村と領主のあんたのことを調べにきた者だ。」
正直に答えることにした。
「――なんだと……?そうか、お前が例の男か……。」
「あんたの悪事は全て知っている。もうそんなことはやめるんだ!」
例の男という言い方が少し気になったが、やるべきことは変わらない。
「……ほほぉ?私がどんな悪事を働いたというのかね?」
とぼけるつもりのようだ。
「――村人に対する過剰な税に加えて人身売買、殺人。お前の悪事は既に調べが付いている!」
「……ほぉ?そんな証拠がどこにある?」
まだとぼけるつもりのようだ。
まさかバレていないとでも思っているのだろうか?
あるいは、それほどまでに性根が腐っているのかもしれない。
「――あの地下室がその証拠だろ!!」
決定打になることを主張する。
「そうか……あれを見てしまったのか……勝手に人の屋敷に入ってやってくれたではないか……。」
領主を重たい空気が包む。
「――そうだ!だから全て分かっている!すべて認めて改心するんだ!」
認めてやめてくれさえすればいい。
今までの悪事をなかったことにはできないが、これ以上罪を重ねないことはできる。
領主にとってやめるべき時は今しかないだろう。
「そうか……ならば……。」
領主は沈黙する。
分かってくれたのだろうか?
「――お前を……殺すしかあるまい!!」
そう言いながら、領主は俺に掴み掛ってくる。
――いや、首だ!
両手で首を絞められる。
「――っ!!あ、がっ、や、やめ……っ。」
俺は暴れる。
だが、それは小さな抵抗にしかならず、領主が俺の首から手を放すことはなかった。
「――――はっはっは!死ね!お前さえ死ねばまた元通りになる!死ね!死ね!死ね!」
「――ガハッ!……う……ぐ……。」
領主は首を絞めつつ、俺のことを壁側へと押し込んでいく。
……まずい……意識が……。
――いや……ダメだ!ここで諦めたら全てが水の泡になる!
――――ガンッ!
もがき苦しみながら振り上げた右手が何かにぶつかった。
「――――うがぁぁぁぁぁ!!!」
その直後、領主の叫び声が聞こえ、首を絞めつける力から解放される。
ゴホゴホと咳き込みつつ霞んだ視界が徐々に回復していく。
ようやく回復した視界に映った領主は……血だらけで倒れていた。
領主は、頭から胴体までバッサリと斬られており、即死だったことが窺える。
領主のすぐ横には、俺が背にしている鎧が持っていたと思われる剣が転がっており、それが死因だったのだとすぐに理解した。
そのあまりにも悲惨な光景に対する吐き気を堪えながら、俺は牢屋の方へと戻ることにした。