正志
この村は本当に酷い村だ。
村人は領主を信じて疑わない。
何も気が付かずに、自分たちは幸せで平和だと言って譲らない。
本来であれば、この村の気候や環境、労働量であればもっと裕福に暮らせるはずなのだ。
俺の名前は正志。
この村の惨状を知って、この村にやって来た男だ。
いや、惨状と決めつけてしまうのは良くないかもしれない。
俺はそれを調査、更に必要であれば解決しに来たのだ。
ここに来る前に調べたものによると、この村の領主のせいで周辺の村や町の住人は食べるものを確保できず、死人の数も後を絶えない。
そんな状態だった。
そしてそれは、間違いなく事実でもある。
だが、いざ村の中に入ってみるとそんなことを一切感じさせない程に平和だった。
それが逆に違和感を強くする。
また、俺はこの村の人間には歓迎されていないようでもある。
確かに、平和な村にある日突然やって来た男が、突拍子もないことを言い出せば怪しむのも無理はないだろう。
だが、それにしても俺に対する村人全員の当たりがこうも強いというのは妙な統率感に驚かされると共に、不気味さを感じてしまう。
何か異常のある村であるのならば村の在り方に違和感を感じている村の住民がいてもおかしくないはずだ。
そんな違和感の中、俺はこの村の調査を始める。
「それじゃあ行ってくる。」
「はい、行ってらっしゃい。」
妻の返事を聞き、俺は家を出る。
まずは手近なところから近所の住民に聞き込みをしてみたい。
その全てが必要な情報とは限らないが、なにか分かることがあるかもしれない。
俺の住む家の周りに別の家はない。
それは、すぐ隣に家が存在しないという意味であり、隔離されたり村はずれにあったりするという意味ではない。
家から出て数十メートルほど歩くと他の村人の家が見えてくる。
幸いなことに庭で植物の世話をしている住民を見つけた。
「おはようございます。」
俺は早速その住民に声を掛ける。
「おはようございます……。」
とりあえずといったような返事だ。
本心としては無視でもしたいところなのだろう。
「いい天気ですね。」
今日は快晴だ。
天気の話題というのは、誰に対しても使える便利な話題だ。
「そうですね……。」
声を掛けた庭で植物の世話をしていた村の住民は、こちらを向かないまま返答する。
「何を育ててるんですか?」
「別に……あなたには関係ないでしょ……。」
確かにそれもそうだ。
いきなり踏み込み過ぎただろうか。
あるいは、話すのが苦手な人なのかもしれない。
話す声からして、これ以上やり取りをするのは避けた方が良いだろう。
何か声を掛けてから離れようかとも思ったが、もともと彼女の目線は俺の方を見ていない。
下手に声を掛けずこのまま離れた方がいいだろう。
でもそうか、植物か……俺の家にも植物を育てられる程度の空きがある。
何か育ててみれば村の人との会話のきっかけになるかもしれないな。
視線を感じる気もするが、村人の姿は見当たらない。
このまま散歩を続けていても村の人間にも合わなさそうだし、帰宅してそっちに取り掛かった方が良いかもしれない。
そう思い至り、俺は帰宅することにする。
「ただいま。」
「あら、早かったですね。」
妻が答える。
「ああ、ちょっと思い付いたことがあってな。」
「そうなんですね。少し早いですけど、お昼ご飯もできてますし、食べてからでもいいんじゃないですか?」
「ありがとう。じゃあ、そうするよ。」
「はい、すぐに準備しますので、少し待っててくださいね。」
昼食を取り終わり、さっそく家庭菜園の準備を始める。
植えるのは、妻に頼んで分けてもらったトマトとピーマン、それにここに来るために備えておいた荷物の中に入っていた花の種だ。
折角なら食べられるものが良いとは思ったが、鑑賞のためだけの植物があってもいいだろう。
きっと心を穏やかにしてくれる。
花の種は確か……デイジーか何かの種だったと思う。
庭の土を耕し、整え、種を植える。
水をやり、あとは待つだけだ。
いや、待つだけと言っても毎日水をやり続けなければならない。
世話は大変かもしれないが、育ってくれるのが待ち遠しくもある。
俺の住んでいる家は陽当たりもいいし、きっとおいしい野菜を実らせ、綺麗な花を咲かせてくれるだろう。
それにしても、なかなかに時間が掛かってしまった。
昼頃から始めたはずだったのだが、全て終わる頃には日は沈んでしまっていた。
心地のいい疲労感ではあるが、何も情報が得られなかったのは少々悔まれる。
だが、このまま植物が育ってくれれば村人と仲良くなれることもあるかもしれないし、前向きに捉えることにしよう。
妻の作ってくれた夕食を食べ、寝る支度を整えその日は寝ることにした。