17話 枕投げジ・エンド
校長先生の挨拶が終わると、白い球体はプカプカと浮いたまま、舞台袖へと消えていった。
結局、その物体の説明はされることが一切無いまま、式典は終了した。
担任と思われる女性が生徒の先導を始め、天クラスからホールを出ることになった。
誰に言われることも無く、座席と同様に人との距離を前後二メートルに保つその列は、ホールのすぐ北側に位置する一学年棟へと移動した。
出入り口に掲示された配置図を見ると、その建物は十字型をしているようだ。
入ってすぐの『玄関ホール』を抜けると、約二十メートル四方の正方形を成す『ロビー』があり、二メートル間隔に数脚のソファが配置されていた。
ロビーの正面と左右に、三つの教室への出入り口があった。
この建物は正方形の部屋が四つ、ロビーの四方にくっついている構造なのだ。
先導する女性は向かって右側、天クラスのプレートが掲げられた出入り口の横に立ち止まると、「式典と同じ席順です」とだけ言い、生徒たちに入室を促した。
全員着席するのと同時に、その女性は教室正面の壁に設置された大型モニターを起動した。
そこには、『オリエンテーション』という題目と、その内容が表示されていた。
「オリエンテーションは十時半から開始します。現在、十時五分ですので、あと二十五分間、各自休憩してください。では――解散!」
それだけ言うと、その女性は綺麗な姿勢を維持したまま教室を出て行った。
モニターが起動した瞬間に一読していた命だったが、やることも無いため、改めてスケジュールを眺めることにした。
『学校生活の説明(二十分)』
『自己紹介など(七十分)』
簡潔すぎるその表示を、またも一瞬で見終えると、「自己紹介長くない? 二十人だから、一人三分くらいでしょ? ……『雛賀命です。趣味は勉強です』これ以外紹介すること無いんだけど? とりあえず、他の人の紹介を参考にするか。十五番目だしね。……いや、ちゃんと考えないとダメかも。いきなり『さようなら』とかびっくりさせちゃうかもしれないし。よし、書き出して、それをねじ曲げて読もう!」
命はそう決めると、カバンからメモ帳を取り出し、シャープペンで自己紹介文を書き始めた。
だが、『趣味は勉強です』以外、他に思い浮かぶことが無く、頭を抱える。
すると、自席と反対側の壁際から女子生徒の会話が聞こえてきた。
横目を向けてみると、女子が五人集まっているのが見える。
「ねぇ、見た!?」
「見た! 何あれ、すごすぎじゃない!?」
きっと、校長先生のことだろう。
壇上に浮いていた白い球体のことは、結局最後まで一切の説明がされなかった。命も激しく気になっていたし、実際、会場も終始ザワザワしていたのだ。
「絶対本人だよ!」
「全然隠してないもんね!」
「テレビで見るより超イケメン!」
どうやら球体の話では無かったらしい。
もしかすると、有名人でも入学したのだろうか。女子が騒ぐと言うことは、男子のアイドルか何かに違いない。
だが、ニュース番組しか観ない命は、善くも悪くも何かをしでかしたアイドルしか知らなかった。
「絶対、『枕投げジ・エンド』の蓮だよね!」
どうやら『蓮』という男の子のようだが……「え? 何そのくそダサいグループ名!? そりゃ、男子でこんな年齢にもなったら枕投げも卒業するよね?」ついつい頭の中でツッコミを入れてしまう命。
「壱クラスみたいだよ?」
「見に行こうよ!」
「行く行く!」
女子たちは、ジ・エンドを見学するために壱クラスへと旅立った。
壱クラスと言えば、想のクラスだ。謎の球体があっさりと上書きされるくらいだから、初見殺しのあの格好も目立たないのではないか。
グループ名はダサいとして、その存在は良い仕事をしてくれたと言えるだろう。
まるで自分のことのようにホッとする命だった。
自己紹介を考えながら、改めて教室内を見回してみる。
どうやら、全ての女子がジ・エンドを見に行ったわけでは無いらしく、自分を含めて三人の女子が着席していた。
そのうちの一人は命の左前の席で、頬杖をついて個人端末を操作している。
そしてもう一人、自分と同じ列の反対端の女の子。まだ四月上旬というのに、なぜか半袖の夏服を着用している女子だった。
真っ白く素肌が透けて見える薄手の半袖シャツに、着席したそのスカートの裾は、膝上より股下から測った方が早そうなほど短い。
想とは真逆の、開放感溢れるその格好――冬服を買い忘れたのか、ただ夏服が好きなのか、暑がりなのか、それとも、肌を覆えない理由があるか。
いずれにしても、ジ・エンド女子よりもこの二人との方が仲良くなれる可能性が高いのではないか。
そう思い、座席表を思い浮かべると、二人の名前を確認しようとした。
そのときだった。
突如、教室の前方に男子の群れが発生したのだ。
着席している男子が三人しかいないということは、クラスの男子は、ほぼ全員――でも、それにしては人数が多すぎる気がする。
とすると、他のクラスの男子も来ているに違いない。
まさか、『世にも珍しい、意思を持つ排泄物が存在する』という噂でも流れたのだろうか。いや、排泄物をわざわざ見に来るわけが無い。
とすると、残り二人の女子のどちらかが、健全男子ホイホイなる存在なのかもしれない。
そして、その答えはすぐに判明した。男子の全ての目線が、夏服の彼女へと向いていたのだ。
その女子をコンマ八秒かけて観察した命は、「なるほど、うちのお母さんに系統が似てる気がする。つまり……美少女ね!」一般的な美少女のねじ曲がり後を知る命は、一人頷いていた。
その美少女は、短すぎるスカートの裾を押さえ、何やら微笑んでいた。
その仕草の意味こそわからないが、本当は何か悩むような表情をしているのだろう。
とすると――間違えて夏服で来てしまったおっちょこちょい美少女、という線も浮上してきた。
だが、ねじ曲がって見えたその微笑みが、命の目にはとても可愛く思えた。
雰囲気も母に似ている気がするし、大好きな見た目だと言える。もしかするとこの美少女が第一運命人……もし勘違いだったとしても、わたしはこの美少女を映えさせることができるし、近付いても悪いことは無いだろう。
「よし、落ち着いたら近付こう」そう思うと、今度は男子の群れを見た。
いつの間にかその群れは、距離を適度に確保した綺麗な列を成しており、その先頭には一人の男子が、美少女に背を向けて立っていた。
先頭に並ぶ男子は、背を向けた男子と何やら携帯電話を片手に会話をしている。話が終わるとすぐに列を外れて、次の男子に順番を譲っていた。
「……そうか、こちらに背を向けるあの男子と連絡先を交換して、その隙に美少女を正面から拝んでいるんだ! でも、背を向ける男子ってすごい自己犠牲の精神……キモっ」
しばらくすると、遠方からの参拝客は、まるで排泄物を見たかのように顔をしかめて、それぞれの教室へ帰って行った。
よほどの眼福タイムだったらしい。
クラスの男子も、ヒソヒソと美少女の感想を言い合いながら、自席に着き始めていた。ジ・エンド組はまだ帰ってこないようだ。
横目でそんな様子を観察しながらずっと自己紹介文を考えていたが『趣味は勉強です』から一文字も進まず、目を閉じてひどく悩み始めていた。
ふと、目の前に人の気配を感じた。
目を開けると、そこには得体の知れない初見殺しの格好――想が立っていた。
――壱クラスの教室。
担任と思われる男性が正面の大型モニターの電源を入れると、二十五分間の休憩となった。
想は、初の自由時間をどう過ごすか悩んでいた。
身動きせずに、謎の地球外生命体風の置物で通すか。流暢な日本語を発して、日本育ちの地球人であることを証明するか。
とりあえずその二択を思い付いたところで、斜め後ろから何やらざわついた雰囲気を感じ取った。
もしかすると自分の見た目に対するザワザワだろうか。背後からだと、真っ黒い制服もあり、奇妙な黒い物体に見えることだろう。
でも、いつもならこのどす黒いゴーグルが、ファーストザワザワを引き起こすのだが。
……それは激しい勘違いだった。誰も、想のことなど見ていなかったのだ。
「あの……枕投げジ・エンドの、蓮くんですよね?」
女子の声がして、そちらに横目をやってみる。すると、前から三列目の右端、ある男子生徒の座席の周りに、いつの間にか女子の群れができていたのだ。
そうか、あのクソダサいグループ名……テレビっ子の想は、そのグループのことは知っていた。
小中高生に絶大な人気を誇る五人組アイドルグループ。しかも、その中でも一番――というか圧倒的な人気を占めるのが、たしか『蓮』だったはず。
どす黒いゴーグル越しにその姿を捉えてみると、テレビでよく見る超絶イケメンがそこにいた。
「あそこまで目立つ存在がいれば、こんな俺でも目立たなくて済むんだな……サンキュー、ジ・エンド!」頭の中とは言え、言葉にすると改めてダサいそのグループ名に吹き出しそうになる。
すると、今度は教室の後方から、男子の声が聞こえてきた。
「おい、天クラスの女の子、見たか?」
「チラッとしか見えなかったけど、美少女だったよな!」
「俺も、チラッとしか見えなかったけど。なぜかこの季節に半袖で、超ミニスカートだったよな!」
「目がチラッとだけ見えたけど、片眼だけ青かったな!」
「チラッと見た限り、開放的で神秘的な美少女だった!」
チラッとしか見てないけどしっかり見てるよな。そんな感想を持ちながら、想も『美少女』と聞いて気になっていた。
もしも命の姿に似ていたら、それは自分の『本当の運命の人』かもしれないのだ。
片眼が青いのは違う気がするが、一目見ておいて損は無いだろう。なんと言っても、美少女なのだから。
天クラスへと走る男子を横目に、自分も行こうかと椅子からお尻を浮かせて、中腰のまま考える。
約百キロの上着を着たまま中腰を続け、五秒が経過したときのことだった。
「まったく、やれ美少女だ、やれ美少年だ。ワーキャー騒いで恥ずかしくないのかね!」
前方から、男子生徒の怒鳴るような大声が聞こえてきた。
まだ男子の群れが教室を出きっていないし、女子のワーキャーは最高潮に達している。
そんな中でそんなことを言うなんて、なんて空気の読めないやつだろう。
そう思ったところで、だが、想は気付いた。
誰一人として、その男子生徒を見ていないのだ。
あれほど大きな声、しかも群れている側としては不快に感じであろう言葉を聞いたはずなのに。
みんなの心が海のように広いのか、あるいは嫌悪感からの完膚なきまでの無視か、それとも、聞こえなかったのか。
そう言えば、耳キャップをしていない耳では、聞こえ方が小さかった気がする。
とすると……人には聞こえづらい声とか、そんな体質を持っているのかもしれない。
その男子生徒が気になった想は、自分の運命を信じてみることにした。
重い腰を上げると、その男子生徒の席へと近付いた。