16話 高校生活初日
八時ちょうど。
玄関のドアを開けた黒木想は、晴れ渡った空から注ぐ日差しを全身の布いっぱいに浴びた。
高校生活初日の朝、親元を離れてからは初めて一人で迎えた朝だった。正確に言うと一人ではないのだが、『初めて二人で迎えた』と言ってしまうと語弊がありすぎる。
「行ってきます」
そう呟くと、ドアを開け放したまま外へと出た。すぐ後に、同じドアから一人の少女が顔を出す。
同じ天照台高校に通う、雛賀命だ。
お互いの体質やら何やかんやで、双子を装い同じアパートの同じ部屋に住むことになった二人。
とは言え、玄関は共用なものの、居住空間は階層で別れており、物理的な距離は床あるいは天井で隔てられていた。
「ただいま」
誰もいない部屋に向かって帰宅を告げる命に目を向けると、「想、ちゃんと家の鍵持った? あと、お弁当は?」背中でそんなことを言いながら施錠をしていた。
「ちゃんと持ったよ。それと……『ただいま』に聞こえたから、挨拶には気を付けないとな」
「そっか! じゃあわたし、朝からみんなに『おやすみ』って言わないといけないわけ? ……まぁ、挨拶する友達ができてから心配すれば良いか」
「――だな。とりあえず、俺たちは右耳でだけ肉声を聞く。俺は、視界の外の肉声が聞こえるか。命は、本当の声が聞こえるか」
「うん。それぞれ、その声が聞こえたら、その人は何かしらの体質持ちってことだもんね」
昨晩、二人で決めたことが一つ、決められなかったことが一つあった。
まず、決めたこと。
父の話によれば、天照台高校には特殊体質持ちが集まりやすいのだという。類は友を呼ぶと言うか、さらにそんな特殊体質の人とは『特に友達になりやすい』らしいのだ。
さらに加えて、自分と命のような、交わらないとは言え運命的な出会いもあるのだという。
運命の相手であれば勝手に仲良くなりそうだが、人と仲良くなるという経験がほぼゼロの二人。念のため、各自の体質を有効利用することにしたのだった。
想は、拡声機能付きの耳キャップを外すと、視界に入らない人の肉声を聞くことができない。
命は、拡声機能付きの耳栓を外すと、人の目を見なければ、その人からは『ねじ曲がった声』しか聞くことができない。
二人とも、片方の耳だけそれを外す。そして、左右の耳で同じ声を聞くことができたら、それ即ち、その声の主が何らかの体質持ちと言うわけなのだ。
これは想の役割に加わったものなのだが、命の『ねじ曲がり語』のチェックができるという利点もある。
物事の好き嫌いなら、逆になったところでさほど大きな問題ではない。だが、朝っぱらから就寝のあいさつをするように、耳を疑う言葉になるものは、極力避けるべきなのだ。
さらにもう一つ、想だけに関わることを加えると、ゴーグルの虚像機能も片側だけにしている。
肉眼では、命を除く全ての人が透明人間に見えてしまう。そのため、目の前の光景を常に録画し、内側のレンズにその映像をリアルタイムに映し出している。
その機能を片側に限定し、両目が同じものを捉えるかどうか。体質によっては、姿だけが見えるという可能性もあるのだ。
――というか、片側にして気付いたこと。それは、左右の見えかたにほとんどズレが無いことだった。
改めて科学技術の発展に助けられている事実に触れた想だった。
そして、決まらなかったこと。
これは、『どちらが兄、あるいは姉か』という些末なようで二人にとっては重要な問題だった。
もしも友達ができたとして、双子で一緒に暮らしていることが知れたら、その話題が出ることは必至だろう。
さらには、自分たちの立場、というか印象もがらりと変わるはずだ。
その人に兄弟がいるとして、兄なのか弟なのかで、与える印象が変わるやつ。
微々たるものだし、それはほんの第一印象レベルだろうが、兄あるいは姉だと、しっかり者の印象を与えそうではないか。
だが、それは決まらなかった。
話し合いではもちろん、何か勝負事で決めようとする想に、『事実を見聞きするあんたが有利じゃん!』と言われ、即却下となったのだ。
何やかんやで、『第三者の判断に委ねる』という、無責任な決定方法に決まったのだった。
「想、その制服だけど」
「あぁ、漏れ無く重いけど?」
「だよね。中学のときよりはマシだけど、ブカブカだもんね」
「俺、これまでどおりアレルギー体質で通すから。特殊な素材ってことで、周知方よろしく!」
「しっかし……真っ黒くて地味な制服だよね」
「確かに。学ランと変わらないもんな。本来は、『タイトなシルエットが高級感、重厚感を演出する!』らしいけど……」
「ブカブカに着たら意味無いもんね。これ、わたし、からだのラインがくっきり出て落ち着かないの。やっぱり、太ったかな……」
胸部とウエストを撫でながら歩く命と、その姿から目を反らし歩く想。
昨晩と今朝、命との第一回、第二回目の食事を体験したのだが。その細いからだのどこに入るのかと思うくらいに、命はよく食べる女の子だったのだ。
――「お前、大便の量すごかったりする?」
昨日の夕食のあと、我ながらデリカシーの無い質問をすると、
「わかる? 特大のお花を摘むのが得意なの。あんたはその肉体の維持のために大量摂取しないとだけど……わたし、体重計にも嘘つかれてるのかな? 去年から、四十六キロでずっと変わらないんだけど。バストとウエストもね、去年から八十……」
体重とスリーサイズを惜し気もなく披露し、返答してきた命。
……神よ、この完璧な国宝級美少女をつくりだすために、一体何万人から美の才能を奪ったのですか?
筆頭犠牲者である想は、その素晴らしいプロポーションに鼻血を堪えつつ、ある重大な事実に気が付いた。
そうか……中身がうちの父に似ているということは、デリカシーが欠落しているのだ。
こちらもできるだけ注意して見守る必要があるらしい。
――「しかし、良い天気だな」
想は、空を見る振りをすると、全力でその意識を命の完璧なからだからそらした。
しかし、
「そんなことより、ねぇ。お腹のぜい肉ってこれくらいが普通なのかな? ちょっと、触ってみてよ」
デリカシーの無い無自覚ほど怖いものは無い。
いや、たしかに、こんなラブコメみたいな展開は妄想したよ? でもこれ、恋愛には発展しないやつだから……鼻から血を出して終わるだけのやつじゃん! しかも油断してたら絶対に鼻から出血それ致死量……
なぜ自分にだけ本当の命が見えてしまうのか。そしてなぜ、恋愛感情は抱かないのに、鼻血だけは出てしまうのか。
想の我慢の三年間が始まったのだった。
八時三十分。
二人が乗車したバスは、天照台高校の第一ホール前に到着した。
「二階建ての大型バスで、たった十二人しか乗れないなんて贅沢だよな」
「千鳥配置で、前後左右の席が二メートルは離れてたね。やっぱりアレかな、生徒の体質を考慮してるのかな?」
「そういえば命って、父さんの体質は教えられてないんだっけ?」
「想の? うん。特殊体質って、基本は家族以外に教えないんでしょ? 想だって、うちのお母さんの体質知らないだろうし」
「国宝級に美しい、っていう体質じゃ無ければな……ところでさ、バスから降りた人、誰も第一ホールに向かわなかったな」
「だね。ってことはみんな、一年生じゃなかったんだね」
「入学式だから、今朝はみんな車で来るのかな? 今日だけ送ってもらって、今日から寮とかアパートに入るって人が多いのかもな」
「それか、そもそもバス通いの生徒が少ないか、だね」
どちらの考えが正解なのか。続々と黒塗りの高級車がやって来ては、高級感と重厚感溢れる制服を纏った生徒が、第一ホールへと向かっていた。
――第一ホール前のモニターからデータを受信し、九時までにホール内、所定の席に着席してください――
学校から事前に伝えられていたのは、この情報だけだった。
ホールの正面玄関に向かって歩きながら、二人はカバンから、事前に配布されていたタブレット端末を取り出す。
正面玄関、出入り口の横には四台のモニターが設置されていた。
モニターから約十五メートルの距離に近づくと、『ピーン』という高い音が、データを受信したことを知らせてくれた。
「この情報ってさ、大型モニターで確認してもいいんだよね?」
「だよな。受信した情報と同じのが映されてるだろうから。でかい画面の方が見やすいよな」
二人とも端末をカバンに仕舞うと、モニターに目をやった。
モニターの前で足を止めるのは二人だけで、同級生と思われる生徒とその保護者は皆、個人端末を手に中へと入って行った。
「入学式の次第が一画面と、クラス分け……というか座席表が三画面か」
「三クラスしか無いってことだね。しかも、一クラスに二十人しかいないみたいだよ?」
「一学年に六十人か。思ったより全然少ないな。しかも、俺らみたいに変な人が多いんだろ?」
「あんたが一番変だろうけどね。よっ、筆頭変質者!」
「あ、『警察に通報しないでください』ってプラカード忘れてきた。……って、そんなことより、クラス名も変じゃね?」
「だよね。『壱』『S』『天』の三クラスだってさ」
「何らかの分野で優秀な成績を収めた人が集まる。入学後は生徒間で優劣をつけないとか、そんな教育方針があるのかもな」
「なるほどね。一番の『壱』に、スペシャルの『S』。そして、高校名の一文字目、か」
「つっこみどころ満載だよな。『一』じゃダメなの? 『A』じゃダメなの? 『天』ってなに?」
「こだわりがあるんでしょ。それに、人によっては高校の名前が入ってる『天』が一番だと思うかもよ?」
「ふーん。ところで、俺たちはどのクラスなんだか……」
「わたしが『天』で、あんたは『壱』だね」
「早っ! え、二秒くらいしか見てないよね? こわっ」
「速読が得意なだけ。座席順は五十音順みたいだね」
「こればっかりは成績とは関係無いからか。……うわっ、俺、ど真ん中の席なんだけど!?」
「わたしは右端だけど、後ろに一人いる……」
「まずは、背後に人がいる環境に慣れないとな」
どうやら式典の座席順も、教室でのそれと同じらしい。
モニターから視線を外すと、二人は出入り口へと歩み始めた。
「今日って式典だけなのかな? とりあえず、初日だし一緒に帰ろっか?」
「だな。じゃあ放課後、天クラスに顔出すよ」
「あ、わたしが行くよ。どこの星から攻めてきたんだ!? って大騒ぎになっちゃうから」
「俺、やっぱり宇宙人設定!?」
ホールに入ってすぐ、命と別れた想。バスと同じく、前後左右で二メートルの距離が確保されている座席へと着いた。
式典は、予定どおり九時に始まると、十時に終了した。
その一時間で行われたのは、まさかの校長先生の話だけ。
入学生へのお祝いの言葉、入学生を育てた保護者への労いの言葉。
創立二四三年という天照台高校の歴史、そして卒業生たちの功績。
熱く、胸に響く、校長が紡ぐ言葉たち。
スピーカー越しだから、拡声機能が付いていない想の耳にも聞こえてきた。
それに、もしかしたら耳が聞こえない生徒もいるのか、スクリーンにも一言一句同じ言葉が表示されていた。
聞こえるし、見えるのだが……おそらく、想だけではなく、その場の誰もが思ったことだろう。
「えっと、校長先生って、何者なの?」
壇上で挨拶をしていたのは、宙に浮く謎の白い球体だった。