15話 溢れ出る想い
「想、体重計は壊れてない。それを証明するには、そうだな……ひな」
「黒木くん? わたしも命も、乗らないからね?」
「あ、やっぱり? でも、僕が乗っても証明できないから……じゃあ、相良くんで良いや」
「お? 俺、こう見えて重いんだぜ? 驚くなよ? がはは!」
どう見ても重そうなおっさんが体重計に乗ると、『九十四キログラム』と表示された。
「おお、バッチリだぜ?」
何がバッチリかはわからないが、壊れていないということらしい。
「と、いうことは?」
「おお、ジュニア。身ぐるみ剥いでもう一回乗れや」
その物騒な物言いはどうにかならないものか。そう思いながらも、大人しく制服の上から脱ぎ始める。
「ゴーグルとマスクは?」
「うん。今は制服の上下だけ脱いでくれればいい。ゴーグルとマスクは軽いし、見聞きできなくなるし」
ゴーグルとマスク以外は重いと言うことだろうか。
「あのさ、女の人がいるけど、ここで脱いでも良いわけ?」
「あら、黒木くんの息子なのにデリカシーあるのね」
「あはは……見た目は僕で、中身は母さんそっくりなんだ」
「そう……じゃあ、もしかしてアニメ好き?」
「好き、ですけど……」
急に、命の母はその輝度を増した。
そう言えば、亡くなった母はアニメが大好きだったらしいから、そっくりさんのこの人も、そうなのだろう。
と、いうことは……もしかすると命の中身は、父にそっくりなのかもしれない。
そんな父は、趣味が勉強。以上。
「雛賀さんのアニメスイッチも相変わらずだね……じゃあ、想。体重計の陰で、そこの黒いスーツに着替えてくれるか? どうせ見えないからと思ったけど、命ちゃんには見えるんだよな」
父が指を指したその先には、いつも体力測定のときに着る、黒い全身タイツが置かれていた。
「おお、待てや。まずはこのスーツの重さを計っておくぜ? 後の伏線になるからな!」
「伏線というか、ただその重さを差し引くだけだよね?」
おっさんが体重計の上にそれを乗せると、『十五キログラム』と表示された。
「へぇ。たしか、黒木くんのときは二十キロあったよね?」
「おお。改良を重ねた結果だぜ? 機能性はそのままに、ここまで軽量化できたんだ。伸縮性にも優れているんだぜ?」
「じゃあ、動きやすいってことだね。すごい!」
おっさんは鼻の下を人差し指でこすり、あからさまに照れていた。
きっと、命の母親はみんなのアイドル的存在だったに違いない。
ところで、このおっさんは独身なのだろうか……どうでも良いことを考えながら、想はその十五キロあるというスーツを持って体重計の裏へと向かった。
半年前の測定で着たスーツよりも、何やら軽い気がするのは気のせいだろうか。
着替えると、再び体重計に乗った。今度は『一七二キログラム』と表示された。
「これだとさ、まるで俺が一五七キロあるみたいだけど?」
「おお、伏線を回収しやがったな?」
「いや、回収じゃなくてただの差し引きだからね? ……先月より百キロ重いのは、何か足されてるわけ?」
「お? 足したんじゃない。戻したんだ」
「戻した?」
「おお。いつもは百キロ引いてやってたんだぜ?」
「……俺、一五七キロあるってこと?」
「おお」
「何で?」
「そりゃ、ジュニアの小ボケじいさんの『重いものを着せれば強くなるんじゃね?』理論のおかげなんだぜ?」
「何その理論!? ……たしかに俺、自分専用のモノにしか触れないから、徐々に重くなっても気付かないかもだけど……そんな漫画みたいなことあり得るわけ?」
「想くん、そんなことがあり得る環境なの。しかもそれ、二代続いてるからね」
「え? じゃあ、父さんも?」
「うん。しかも、僕の時よりも好都合だったことがある。お前、僕の肉体が普通だと思ってただろ?」
「……たしかに、他の人のからだはちゃんと見たことが無いけど……でも俺、アニメとかよく見るし、普通とか常識はわかるはずなんだけど」
「あら、もしかしてヒーローものが好きなんじゃない?」
「……です」
「きゃっ、やっぱり! ヒーローって、だいたいムキムキだもんね! あとで語り合いましょ?」
「喜んで。……でも、ヒーローものにも普通の人はいっぱいいるから……いや、服が破れたりして肉体が見えるのは、ほとんどがムキムキのキャラか。……父さん、ムキムキヒーロー、俺。普通だと思ってたのに、普通じゃなかった……じゃあ、大きすぎる制服を着せられてたのも、普通じゃないのを隠すためだったのか」
「そのとおり! 隠すのと、重くするためでもあったけどね」
「おお。俺、相棒に十メートルくらいぶん投げられたことがあるんだぜ? 三途の川を横断したんだぜ?」
おっさんは、どうやって向こう岸から帰還したのだろう。
どうでも良いことを考えつつ、見た目どおり重いこのおっさんが『父にぶん投げられた』と聞き、ある疑問を抱いた。
「まさかとは思うけど、俺の超絶平均の身体能力……足し引きされてたとか?」
「お、さすが相棒の息子だな! よし。ウォーミングアップがてら、まずは一五〇〇メートル走からやってみっか!」
――約二十分後、予定していた五種目の測定が完了した。
「おお、さすが相棒の息子だぜ……」
「しかも、当時の黒木くんを上回る記録じゃない?」
「僕のときより重い制服を着せられていたから……」
何やら、普通に感想を言い合う大人たち。
想を見ると『俺、すごくね?』と言わんばかりのキラキラした目をしていた。目は可愛いとして……命は一人、想に恐れを抱いていた。
まず、高性能スーツと呼ばれるピッタリとした黒い全身タイツ。それ着た想は、ものすごい肉体をしていた。
男の人のからだをちゃんと見たことの無い命は、でも、ニュース番組で取り上げられた『ボディービルダー』という人種のことは知っていた。
想の肉体は、肥大した筋肉を美しいと言うその人たちに近かった。でも、それは肥大というか凝縮というか……バキバキなのだ。
その時点で語彙力を失うほどの衝撃を受けていた。
体力測定の種目を聞くと、命はすぐさま携帯電話で『中学三年生の平均値』を調べた。
きっと、あのバキバキの肉体ですごい記録が出るのだろうと思ったからだった。
手首足首を回すだけの準備運動をする想の横で、命はあらゆる予測をして、心の準備運動をしていた。
第一種目は、一五〇〇メートル走。中学三年生の平均は六分二十秒。
二百キログラムという、中学三年生の男子四人弱の重りを脱いだ想。
走り始めこそ、自分の動きに慣れずにカーブで曲がりきれず、壁に激突していた。
だが、その後は中距離走とは思えないほどの速さで疾走し、結果は、三分五十一秒だった。
息を切らす中、すぐに次のハンドボール投げに移った。平均は約二十五メートル。
『一般的なハンドボールだと割れる可能性がある』という何やら恐ろしい理由で、丈夫な代わりにひどく重いというボールが用意されていた。
ぎこちないフォームから放たれたボールは、あっという間に八十メートル先の壁、その上方に激しくぶつかった。
推定距離は一三六メートル。
第三種目は、立ち幅跳び。その平均は二メートル十八センチ。
その場で両腕を前後に振ると、『人って、自力であんなに跳べるんだ』とゆっくり感想を言えるくらいの滞空時間で、五メートル十五センチという記録を叩き出した。
次の握力、平均は三十九キロ。
想の呼び名に『ゴリラ』を追加させたその結果は、一九六キロだった。
最後は五十メートル走で、平均は七秒六。
ゴリラは、スタートの合図と同時に地球を割る勢いで地面を蹴った。
あっという間にゴールすると、止まりきれずに正面の壁に正面衝突した。
結果は、三秒二だった。
『大人たちも、初めは驚いたんだよね……』
いつかわたしも見慣れるのだろう。今日もあり得ないことが多かったし、心の準備運動をしていたから助かった。
そうでなければ、心臓を抉り取られるような衝撃を受けていただろうから。
「おお、ジュニア。いつものスーツは一八二キロあったんだぜ?」
「重さで超絶平均値をつくってたんだ……」
「お? 平均にするための重さは、俺の脳みそコンピュータで演算したんだぜ? がはは! 俺、すげえんだぜ?」
「……よし。じゃあ、終わりだな。相良くん、ありがとね」
「おお。当たり前なんだぜ? 二人には返しても返しきれない借りがあるからな!」
二人はこの人に何を貸したのだろう……そんなどうでも良いことを考えつつ、命はある不安を抱いていた。
測定の最中、母の高校来の友達だというおじさんは、『がはは! すげえやつだ!』と言いながら、想の肩をビシバシと叩いていた。
さらに、特徴の無い頭をゴシゴシと撫でる仕草も見せていた。見せてはいたのだが……実際には触れていなかった。
透過していたのだ。
おそらく、これまでは想に体質をわからせないために、そんな行為は御法度とされていたのだろう。
それが本日ようやく解禁され、
『お? ほんとにすり抜けらぁ! こいつはすげえや!』
と言いながら、おじさんは自分の手を何度も貫通させていたのだ。
わたしには見えるその頭部も、おじさんには見えていないに違いない。
改めて透過する体質の恐ろしさを知った命。
「あのさ……触れてみても良い?」
わたしは、想が発するモノを見聞きできて、想に触れることもできる。そう、思っていた。
でも、本当に触れることができるのだろうか……おじさんの手が透過する光景を見て、そんな不安を抱いたのだった。
そして、わたしの『触れてみても良い?』にはもう一つの意味が込められていた。
「あぁ……俺も、ちゃんと確認しないとな。お前に触れることで、何もねじ曲がらないかどうか……『曲がる前の俺』っていう記録、残しといた方が良いかな……」
想はそんなことを言いつつも、笑いながら、躊躇無くわたしに近付いた。
「ごめん、汗臭いと思うけど。手袋外すから、握手で確かめてみようか」
想は、手袋を外した右手を差し出してきた。
これまでずっと、手袋の中という温室で育ったその手は、真っ白くて綺麗だった。
でも、ゴリラのような、ゴツゴツした手だった。ゴリラの手を見たことは無いが。
「想、何かあったらごめんね?」
「いいよ、信じてるから。俺たちの運命を、な!」
『俺、格好良いこと言ったな』命は、そんな得意気な顔を見せる運命の人の手を握った。
――命の手は細くて、思ったよりも大きくて、でも、柔らかかった。温かかった。
初めて見たときに感じた、懐かしいような安心感。ずっと一緒にいたい、そんな強い思いを抱いた。
手の感触を確かめながら、想は目を閉じた。
父に本当の体質を教えられてから、いくつか確認をしていた。
服以外のものを全て外し、特殊体質を無効化する父を遠ざけて、祖父母と対面した。
祖父母は、服だけが浮く透明人間に見えた。
服の動きから、いつもの祖父渾身のボケが繰り出されているとわかったが、何も聞こえなかった。
祖父と、お互いの素肌に触れ合ったが、お互いに触れることができなかった。
祖父は、後に笑いながら言っていた。『さっき、想の素手が俺の頭を貫通しただろ? あのときに体質が無効化されたら、どうなるんだろうな。こわっ!』
たしかに、想像すると恐ろしいことだった。何でこの人は笑いながら言えるのだろうかと、祖父を軽蔑の目で見てあげた。
残念ながら、祖父にその目を見せることはできなかったのだが。
二日前のことを思い返すと、目を開けた。
どうやら、からだも思いも、何も変わっていないようだった。
普通とはかけ離れたこの運命は、きっと、生まれたときから歪曲していたのだろう。
目の前の女の子は、そんな運命を逆にねじ曲げて、真っ直ぐにしてくれる。
その手の温もりに、その事実に触れた想は、頭部に付けられていた全てのモノを外した。
命の目を見つめると、溢れ出る想いを伝えた。
「俺、命のことが大好きだ」
その想いは透過すること無く、ねじ曲がること無く、命の心に強く響いた。
想いを受け止めると、命は、目一杯に微笑んで応えた。
「わたしも、大好きだよ」
しばらく見つめ合うと、二人は微笑み、同時に言った。
「だけど、そんなんじゃないから、勘違いしないでよね!」