11話 恐ろしい事実
何かしらの特殊な体質を抱えた、母の『ただの運命の人』。
お互いにとって大きなメリットがあるからと、同じアパートの同じ部屋に二人で暮らしていたらしい。
しかも、その運命の人は異性だったというのだ。
同じ運命を辿るわたしも、その息子との二人暮らしが、運命の選択肢の一条件として追加された。
「同じ部屋って言っても、玄関が一緒なだけで階層が別れているから。そこは安心してね!」
「……察するに、その人は何らかの体質を抱えていて、わたしに触れても問題が無い?」
「そのとおり! ほんと、交わらない運命だったのに。でも、繰り返すなんてね。神様は、どうしても交わらせたいのかな?」
「交わるまでループする運命!?」
謎の運命にツッコミを入れながら、わたしは、ある一人の男の子を思い浮かべていた。
同じ中学校だけど、同じクラスになったことは一度も無い。たったの一度だけ、でも、小中学校でたった一人、目を合わせて喋ったのがその男の子だった。
そして、繰り返す運命の相手は、その男の子で間違いないと思った。
なぜなら……
――中学校に入学して三日目のこと。
わたしは、帰りのホームルームが終わるとすぐ、下校すべく下駄箱へと向かった。
意識して目を細め、人の目どころか人の姿すら捉えないようにしていたわたしは、正面玄関を出て初めて、雨が降っていることに気が付いた。
カバンの中には、折りたたみ傘が入っている。なぜか祖父が進んで選んでくれた、くすんだ茶色の傘だった。
眼鏡と一緒で、排泄物のわたしに使用されると、どんなに地味なものでも可愛く見えてしまうらしい。
そんな傘を可愛く映えさせて歩くか、あるいは全速力で濡れて帰るか。
天気も気持ちも分厚い雲に覆われているから、濡れてでも走りたい気分だった。
とりあえず足首を回していると、ふと、人の気配を感じた。
横を見ると、謎の物体が屈伸運動をしていた。
男子と同じ制服を着ているから、この中学校に通うナニかであることはわかった。
だが、頭部には目出し帽のようなモノをすっぽりと被り、目元にはどす黒いゴーグルのようなものをかけていて、まだ地球人であるという確証は持てない。
激しく動揺しつつも、ある男の子の噂話を思い出した。
こんなわたし以上に、入学後すぐにヒソヒソ話の対象となる男の子がいたのだ。
何でも、重度のアレルギー体質を抱えて生まれ、あらゆるモノに触れることができないという。そのため、まるで紫外線を一切拒絶する美魔女のような、あるいは銀行かテロの帰りのような格好をしているらしい。
つまり、目の前の謎の生命体と、その見た目が一致することになる。
まずは、地球外のナニかと思ってしまったことを、心の中で深く謝罪した。
この男の子も、ひどい我慢の中で生きているに違いないのだ。やりたいことなどほとんど無いわたしと違って、したくてもできないことが多いに違いないのだ。
屈伸を終えて直立した男の子は、足首を回し終えたわたしの存在に気付いたようだった。
身長は、わたしよりも少し高いくらい。おそらく、中学三年生の平均身長と同じくらいだろう。
どす黒いゴーグルのせいで、その目元はうっすらとも見ることができない。
その中にある目を見たいと思った。わたしと同じように、何かを我慢して、何かを諦めたような目をしているのか。それとも、普通を得ることを諦めない、希望を抱いた目をしているのか。
男の子も、わたしをじっと見つめているようだった。
数秒ほど見つめ合っただろうか。男の子の方から、言葉をかけてくれた。
「あの……まずは、こんな格好で驚いたよね。噂で聞いたことがあると思うけど、俺、アレルギー体質なんだ。だから、美魔女でも何かの犯人でもなくて、ただ素肌を全力で覆う必要があるんだ」
男の子は、自分の体質のことを説明してくれた。
目出し帽には全く動きが見られなかったけれど、男の子の口から聞こえた声で間違い無いと思った。
少し無機質な声色に感じたが、その雰囲気にはどこか、懐かしいような温かさを感じることができた。
そして、わたしの耳には、その声と同時にある声が聞こえていた。
それも、男の子とほとんど同じ声。だけど、そっちは無機質な部分が取り除かれたような声色に感じた。
「本当は、人が発するあらゆるモノを透過する体質なんだ」
聞こえてきた二つの声に、わたしは激しく困惑した。頭の中では問答が繰り広げられた。
『何で、同時に二つも声が聞こえてきたわけ? いや、聞き取れたけど? 何なの、やっぱり、地球外生命体ってこと? いやいや、落ち着け。聞こえた言葉を思い返してみよう。
一つは、自分のことをアレルギー体質だと言った。うん、それは噂と違わない。そしてもう一つの声……透過する体質!? はぁ!?
でも、雰囲気からは嘘を言っているとは思えないんだよね……そうか、わかった。わかりましたよ! この男の子、口が二つ付いているのを隠してるんだ!』
目出し帽の下、口が二つ付いた恐ろしい顔を想像し、わたしは、
「嘘、でしょ? ……あり得ない……」
思わずそんな言葉を発してしまった。
家の中以外では、実に九年ぶりの発声だった。でも、そんなことはどうでも良かった。
目の前の地球外生命体は、自分をアレルギー体質、そして透過する体質だと偽り、それを隠すために頭部を覆っているのだ。
そして、頭部だけだと怪しまれるから……
『そっか……だから全身を覆っているのか……』
まずは、謎の格好の意味を理解した。
いつも意識して細めている目が、自然と稼働限界までかっ開いていることは、自分でもわかっていた。
でも、そんなことよりも、わたしは地球外目出し帽の真相を知りたくて、その目元を凝視していた。
「君よりは大変じゃないと思うよ。この見た目に対する視線と、噂話に我慢すれば済む問題だから」
「実は本当の体質は、教えられていない。だから、嘘の体質に対する視線と噂話を我慢すれば済む問題なんだ」
『まさか……本当のことを教えられていないの?』
わたしは動揺し、かっ開いた目線を目元から口元に移した。
『教えられなくても、鏡を見れば本当のことがわかるよね? ……ていうか、君よりは大変じゃない、ってどういうこと? もしかして、わたしには、口が二つ以上付いてるとでも思ってるわけ? わたし、マスクで口を隠しているけど、同類でも上位種でもないからね!? あと、すごく気になるんだけど、食事はどっちの口でするの?』
そんなたくさんの疑問を抱きながら、でも、わたしは段々と冷静さを取り戻していた。
『そうだ……わたしは、男の子の格好に激しく驚いただけ。人生最大の動揺をして、宇宙の声と交信してしまったんだ……とすると、どっちの声が幻か。たぶん、無機質な方だよね?
とすると……人が発するあらゆるモノを透過する体質ってこと? ……嘘、何それ!? じゃあ、もしかして触れることができないとか? 見ることも、人の声を聞くこともできないわけ?
……どうやら、わたしの勘違いのようです。無機質じゃない方が本当ってことだね。そうか、アレルギー体質か……本当に、大変な体質を抱えて生まれたんだね。
体質もそうだけど、噂の恰好の餌食となるような格好をせざるを得ないのだ。でも……わたしはその目出し帽、すごく可愛いと思うよ!』
……いつまでも対面していてはいけない。
ほんの一秒ほど激しい問答を繰り広げると、再びその目元に目線を戻した。
相変わらず、目が合っているのかどうかわからない。
『こんなわたしと一緒にいるところを見られたら、ひどい悪口の巻き添えを食っちゃうよね……』
最後にそう思うと、
「……わたしに、近付かないで……」
わたしは、男の子にそう言い放った。
それは、わたしの本心だった。排泄物なわたしと一緒にいることで、その格好すらも映えて可愛く見えるかもしれない。
でも、わたしと一括りにされてしまったら大変なのだ。
その優しくて温かい雰囲気を、よく例えられる『臭い冷蔵庫』に入れてはいけないのだ。
わたしは、雨空の下に出ると、全速力でその場から走り去った。
足首を回しただけなのに、自分でも驚くほどの良い走りができていることに気付いた。
そういえば、何かで聞いたことがある。
獲物を狙う動物は、一切のウォーミングアップをしない。それは当然で、ジョグやダッシュなどをしていたら、その隙に獲物に逃げられてしまう。
彼らは、草むらにずっと、じっと潜む。獲物が一瞬でも隙を見せると、そのときにできる最大限のパフォーマンスで飛びかかるのだ。
必要なのは、アドレナリン。獲物を捕る瞬間をイメージして、イメージして、アドレナリンを分泌して、分泌して……
そう、激しい動揺というストレスが繰り返されたことで、わたしの交感神経から大量のアドレナリンが分泌されていたのだろう。
一度も振り返ること無く校門を出たところで一時停止をすると、ゆさゆさ揺れる眼鏡と、息苦しいマスクを取り外した。
そして、先ほど以上の走りで、家路についた――
あのときの走りは世界記録をも狙える……じゃなくて、あのとき聞こえた幻聴は、真実の声だったのだろう。
だけど、男の子の声は、本当の体質を教えられていないと言った。
男の子の意識に真実が存在しないのだから、その目を見たとしても、本当の体質を聞くことはできないはず。
では、あの声はなんだったのか。
あり得ないことがあり得ると思えるようになった今、わたしは、ある考えを持った。
あれは、男の子の内にある真実、『本当の体質』が発した声なのではないか。
もしもそうだとすると、わたしが目を見ることで『口から出た言葉の真実』だけではなく『その人の内にある真実』を聞くこともできるのではないか。
……わたしは、目の前の母の、その目を見つめてみた。
回想の直前に母から聞いた『彼の息子』『二人暮らし』から何かを考察していると思っているのだろうか。
その目は、うっすらと微笑んでいた。
じっくりと見つめて、初めて聞き取る声があった。
でも、それは声と言うより、感情だった。
母は、少しだけ悲しい感情を抱いているようだった。それ以上は何も聞こえないと言うことは、母の中にはそれ以上の真実が無いということなのだろう。
しかし……ここで、わたしはある恐ろしい事実に気が付いた。
「お母さん……もしかして、わたしに微笑んでいるように見せるために、うっすらと悲しんでいるの?」
「あ、気付いた? これ、難しいんだよねぇ。あなたに伝えたい逆をしないといけないから!」
わたしの体質は、人が発するあらゆるモノをねじ曲げる。
人が涙を流して悲しむ表情は、満面の笑みに見えるのだろう。人が優しい笑みを浮かべると、激しく怒っているように見えるのだろう。
なんて面倒な体質を抱えてしまったのか……わたしは、改めて自分の体質を呪った。
でも、それ以上に思うことがあった。
今の今まで、伝えたいことの逆を表現して、わたしの体質を一切気付かせることの無かった母。
……すごいを通り越して怖いんだけど!?