10話 歪曲した運命なら、逆にねじ曲げて真っ直ぐにしてやれば良い
進路の話……これまでの話を踏まえると、今後も、わたし自身の我慢が続くことは変わらない。
自身の、排泄物みたいに醜い姿と雰囲気が相手に伝わることも変わらない。
でも、聞こえてくる言葉が真実ではないと知った今、わたし自身の我慢は相当、軽減される。あとは、まわりの人も我慢を続けてくれれば……
いや、違う。わたしは運命から逃げてきたのだ。
ただ我慢して、耐えることで運命に抗っていると思っていた。
でも本当に抗うのならば、人の目を見て、人と喋らなければいけなかったのだ。
一般的な普通とはかけ離れているかもしれない、でも、自分にとっての普通を得る努力をしなければいけなかったのだ。
人が発する、自分が発するあらゆるモノをねじ曲げるわたしの体質。だけど、人の目を見ることで唯一、真実を聞くことができる。
これは、逆のことも言えるのではないか。きっと、相手の目を見ることで、向き合うことで、本当のわたしを伝えることだってできるはずなんだ。
だから……わたしは、もう逃げない。
ひどい運命に解き放たれたことは変わらない。変わるのは自身の意識だけで、取り囲む環境もほとんど変わらないだろう。
でも、変えることはできる。
そう、運命をねじ曲げてやれば良いんだ!
もともと歪曲した運命なら、逆にねじ曲げて真っ直ぐにしてやれば良い!
わたしがそんな決意を固めていたことを察したのか、母は微笑んだ。
「さすが、わたしの娘だね。すっごく負けず嫌い。……そんな命に選択肢を授けようではないか!」
「選択肢? 進路を選べるってこと?」
「そのとおり!」
本当の体質を聞く前に考えていた進路。一つは、人と極力接しない仕事に就くこと。もう一つは、通信制の高校に通って、高卒の資格を得てから、仕事に就くこと。
でも今は『中卒』で進むことができる道ならば何でも良いと思っていた。
「命の進む道に、制限なんて無い。どんな道を選んでも良い。でも、あなたは……わたしが歩んできたのとほとんど同じ運命を辿っているの。だから……一つは、わたしが歩んだ道を勧めてあげたい」
「お母さんの、道……?」
「わたしもね、こんな体質のせいで進路なんて考えられなかった。でも、そんなわたしの環境を、周りの人たちが変えてくれたの。その環境はね、一般的な普通からは大きくかけ離れていた。でも、わたしにとっての普通を感じることができた。心の底からそう言える、かけがえのない場所だったの。とても居心地が良くて、楽しかった。そして、運命に立ち向かうこともできた」
母は、ひどく険しい顔をしていた。きっと、当時の『普通』を思い返しているに違いない。楽しいことだけではなく、運命に立ち向かうような覚悟もあったに違いないのだ。
「その環境は、あなたにも普通を感じさせてくれるはず。本当の普通を与えてくれる人だって、そこにはきっと現れる。だから……わたしを信じて、その環境に進むか。それとも、命なりに、運命に立ち向かう別の道を歩むことを選択するか。それはね、命に決めてもらいたい」
「そんなの……」
一つしか無い。母のことは心から尊敬している。
そして今は、母が抱えている大変な体質のことも知っている。そんな母でも、普通を感じることができた環境だというのだ。
わたしがそんな普通を選ばないわけが無い。母も、わたしの気持ちを察しているだろう。
それなのに……母はわたしに選択肢を与えた。
そこにはきっと、理由があるはずだった。母は、自分が歩んだかけがえのない普通を、心から勧めることができないのだろうか……
「今すぐ決める必要は無いよ。と言っても、入学式までの数週間では決めて欲しいけど」
「……入学、式? じゃあ、高校に通うってこと?」
「そう。わたしが通っていた高校。そこはね、通信制ではない、普通の高校……普通って言うと激しく語弊があるかもしれないけど」
「お母さんの母校……中学校も、わたしと同じだもんね。ほんと、同じ運命を辿るみたい」
「そうだね。でも、命はその運命を選べるの! ってことで、我が母校を紹介しましょう!」
母は、母校の『天照台高校』について説明してくれた。
入学試験が一切無く『何かしらの分野で秀でた成績を収めること』『高額な授業料を納めること』『願書を出すこと』が、入学の条件だという。
中でも、都市伝説とも言われるというこの高校の存在を知り、願書を出すのが一番、難易度が高いらしいのだ。
高校の情報は、家族とは言え一切口外してはならない。
例えば、父親だけがその高校出身であった場合、配偶者である妻にもその存在を話してはいけない。
自分の母校のことは、何らかの嘘の校名を伝える必要がある。ちなみに母は、母校を『前野高校』と偽っていたらしい。
ただし、子供が何らかの成績を収め、その資格を得たとなったときに初めて、妻と子供にその存在を知らせることができるというのだ。
願書は中学校を通して出すわけでないため、中学の先生にも、その存在がほとんど知られていない。
ただし、毎年、優秀な生徒がこぞってどこかに行く。そんな謎の行動により、都市伝説の天照台高校が明るみに出てしまう可能性は高いだろう。
そこは、天照台高校出身のいろいろな偉い人が、いろいろなところでいろいろと操作し、なんやかんやでこれまで明るみに出ることが無かったらしい。
いろいろとかなんやかんやとか、激しく気になるところが多いが、母は『大きな権力が動いているっぽい』とだけ言っていた。
気にしすぎると海に沈められるかもしれないので、なんかすごい高校、とだけ思うことにした。
ちなみに、学校生活のことは実際に通うまで教えることができないらしい。
たしかに、わたしが進学という選択をしなければ不要な情報になるし、明るみに出る可能性だって考えられるから、仕方が無い。
そして、通学の方法だったのだが……
「実は、ここからすごく遠いところにあるの。車で片道三時間はかかっちゃうんだ」
「三時間も? お母さんもおじいちゃんも、送り迎えはできないもんね。じゃあわたし、電車で通うの?」
「電車とバスで、乗り換えも含めて四時間くらいかな。通えないことはないんだけど……問題は、あなたの体質なの」
「そう、だよね。今までは徒歩で通学してたし、結果オーライで誰にも近付くことが無かった。でも、電車とかバスが混雑していたら……人に触れてしまう可能性があるよね」
「うん。そして、触れた人間にどんな影響が及ぶか、わたしたちもわかっていない」
人の思いをねじ曲げるのか。あるいは、性格、人格と言った人の根幹を成す何かをねじ曲げるような、恐ろしいモノなのか。
検証することさえも難しいこんな体質のわたしが、公共交通機関を利用してはいけないのだ。
「ここから通うことはできない、と。じゃあ、その高校、学生寮があるとか?」
「敷地内に、すっごく快適な寮が完備されているの。すっごく高額な寮が……」
「おじいちゃんの退職金でも足りない?」
「おじいちゃんの退職金を当てにするにはやめようね? もう、二十年前のことだし、いろいろあって底をついてるし。わたしのお給料とおじいちゃんの年金では、とてもじゃないけど寮に入るのは無理なの」
「お母さんも年金を当てにしてるじゃん……じゃあ、学校に隠れ住むとか、どこかで野宿するとか?」
「なんでそこに下宿という選択肢が無いのか……」
「下宿? もしかして、アパートに一人暮らしするってこと? ……あ、そっか。おじいちゃんを召喚するんだね?」
「よぼよぼおじいちゃんを召喚して何になるの? それに、いつ天に召されるかわからないんだから」
「……」
先ほど、母の呼びかけですぐに召喚に応じた祖父。おそらく、部屋の外の壁に聞き耳でも立てているのではないか。
母の言葉で、祖父の寿命が削られている気がするのだが……
「じゃあ、一人暮らしってことだね? お母さんと離れるのは寂しいけど、仕方無いか」
「うん、わたしもすごく寂しい。でも、命は一人で何でもできるから、安心だけどね。でもね、一つだけ、安心できない問題があるの。しかも、かなり大きな問題が」
「それも、わたしの体質のこと? でも、一人暮らしなら人に近付かないし、問題あるかな? 心のケアなら、毎日お母さんに電話すれば良いだけだし」
「わたしのときもね、この体質が問題だった。もしもわたしの身に何かがあった場合。誰もわたしに触れることができないから、誰もわたしを助けることができない。
そして、命の場合。あなたの身に何かあっても、あなたに触れることはできる。でも……」
「そっか、わかった。わたしを助けようとして触れた人の、何かをねじ曲げてしまう。誰もがわたしに触れることはできるけど、決して誰も触れてはいけないんだ……」
「何かがねじ曲がったとしても、それでも助けようとする人だっていると思う。でもね、もしもそんな『思い』がねじ曲がったら。助けようという思いがねじ曲がったら……」
「『助ける』の逆が『助けない』『放置』とかなら比較的、楽に天に召されるけど……もしも『危害を加える』みたいなのにねじ曲がったら、わたし……」
「そう、それが大きな問題。わたし、安心して夜更かしできなくなっちゃう……」
「深夜アニメに集中できなくなる、と。それは大問題だね……じゃあ、お母さんのときはどうしたの? 絶対に気を失わないという強い意志を持ち続けたとか?」
「ふふっ。精神論でどうにかするのは難しいでしょ? わたしの心身が丈夫だからか、結局はこれまでに何かあったことは無いけど」
「じゃあ、自分でどうにかできないなら、人に頼るしか無いよね? そもそも、お母さんに触れることができる人なんているの?」
「……わたしがいた、その環境にはね、わたしとあなたみたいな特殊な体質を持つ人が多かった。その中には、わたしに触れることができる人もいたし、触れさせることができる人もいたの。高校のことみたいに、自分の体質以外のことは詳しく話せないけど」
「……そんな、運命みたいな体質との出会いもあるんだね。それで、もしかして? そんな、お母さんに触れることができる友達と、同じアパートに住んでいたってこと?」
「そうなの。彼は、わたしの身に何かあっても助けることができた。それにね、彼は自分の体質のせいで、限られたものにしか触れることができなかった。だから、家事はもちろん身の回りのこともほとんどしたことが無い。そこには、お互いにとって大きなメリットがあった。
わたしは彼に、いざというときに助けてもらう。いざというときというのは、命の危険が迫るときだから、とても大きなメリット。
彼は、わたしにお世話をしてもらう。三年間毎日だから、彼にとっては大きなメリット。でも、実は段々と自分のことを自分でできるようになったの。だから、彼にとってのメリットはほぼ無くなっちゃったけど」
「……もしかしてだけど」
「その人がわたしのお父さん? って思った?」
「そりゃ、思うでしょ。そんな運命的な人、他にいるわけ……って、そうか。お父さん、寿命で亡くなったんだよね? お母さんと同い年なわけ無い、か……」
「ふふっ。そうだね。彼は、ただの運命の人だよ」
母は、わたしの目を見ながらそう言った。その目からは、真実が聞こえてこなかった。
つまり、『ただの運命の人』で間違い無いということ。
……父は一体何者なのだろう。少なくとも、母に触れることができる、数少ない人間なのだろうが……
「でもね、その『ただの運命』は、もの凄い『ただの運命』なの」
「どういうこと? 凄すぎて逆に結婚できなかった、みたいな?」
「そうそう、速すぎて結婚というゴールを二人で通り過ぎちゃったみたいな?」
「ちょっと待ってね……わたしと同じアパートに住むのって、その人の子供だったりする?」
「さすが、察しが良すぎる!」
「そりゃあ、もの凄い運命って言われたら、誰だってそう考えるよ」
「でも、一つ訂正しておくね。命が進学の道を選ぶのが大前提だけど……同じアパートじゃなくて、同じ部屋に二人で暮らすことになるの。彼の息子さんと仲良くしてね!」
「!?」