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Episode.7:獣王

 身の毛がよだつほどの殺意。それを一身に浴びて、俺はたまらず一歩退いた。

 目配せでシエルに合図を送ると、彼女はこちらの意図を察したのか、静かな表情のまま頷く。


 今、俺たちがこの場でしなければならないことはひとつだけ。

 ルノスの仔だけは、何があろうと死守する。もし、万が一にでも卵が狼の手に落ちたなら、ルノスは我を忘れて怒り狂うだろう。


 俺たちの存在など早々に忘れて、破壊と残虐の限りを尽くすに違いない。

 そうなれば当然、真学院への影響も計り知れなかった。


『そら小僧。招かれざる客が来たぞ。先刻の約束、よもや忘れたとは言うまいな?』


 俺の内心など知るよしもないルノスが、ずいぶんと勝手なことを言っていた。

 試されている気分になる。


「あちらさん、今にも襲いかかってきそうなんだけど。さっきのお前とそっくりだよ」

『ぬ、私があんな獣と同じだと?』


 少なくとも、人の話を聞かずに攻撃してきそうなところは、そっくりだ。

 やれやれと肩をすくめて、俺は大銀狼に向き直る。


 正直、状況としては芳しくない。

 可能性を考えなかったわけではないが、それでもこれほど早くに対峙することになろうとは、思いもしなかったのだ。


 策らしい策など、あるはずもなかった。

 ルノスが球形結界の中から警告してくる。


『身構えろ。奴が殺気を飛ばしてくるぞ』


 俺とシエルは大銀狼を注視し、次の行動を警戒した。

 その瞬間、これまでに積もり積もった鬱憤を吐き出すかのように、狼の気配が膨れ上がる。

 怒気を込めた訴えが心の中に流れ込んできた。


『去れ! ここは我らが森ぞ!』


 怨嗟(えんさ)を孕んだ語気。その強烈な迫力に、俺は本能的に気圧された。

 すでに大銀狼の臨戦態勢は整えられている。いつ襲い掛かってきてもおかしくはない。


「……シエル、俺が注意を惹く。その隙に卵を頼みたい」


「わかった。セイルくんは大丈夫なの?」

 尋ねられて、苦笑する。


「さてな。やってみないとわからないさ」

「また今回も、非戦を貫くつもり?」


 問われて、シエルの顔を見た時、俺はそれが皮肉でないことを悟った。

 ただ純粋に、信頼している者に向ける目が、そこにはあったのだ。

 俺は迷いもなく頷いた。


「そのつもりだよ。もちろん、お前や学院が危険にさらされるようなら、攻撃に移るつもりだけど」


 言いつつ、身体の中で魔力を練り上げる。


 俺も大銀狼も、初手を打つまでに相当の時間がかかっていた。どうしてかというと、相手のことが何もわからないからだ。不用意な行動がどういった結果につながるかわからない以上、膠着状態にならざるを得ない。


 だが、そんな状態が長く続くわけがないこともまた、お互いに理解していた。


「ピルカの言った通りになったな」


 獣たちの全面戦争は、寄宿舎でのピルカの言葉通り、今夜引き起こされる予定だったのだ。どいつもこいつも異様に殺気立っていて、とてもじゃないが対話ができる雰囲気ではない。奴らを抑え込むには、相当の覚悟が必要だろう。


 ――やるしか、ないか。


 そう覚悟を決めた俺は、重圧で鉛のように重くなった足を、一歩前に踏み出した。

 すると驚くことに、身体が嘘のように軽くなる。


「――大銀狼。お前が置かれている状況は、断片的だけど把握している。そのうえで、都合のいい頼みを聞いてはもらえないだろうか?」


 胸に手を当て、訴えるように語りかけた。

 それに対し、大銀狼は再び咆哮し、きっぱりと拒絶してくる。


『我が聞くことなぞ、あるものか。そやつは我らから住処を奪ったのだ。森の獣たちを傷つけ、我らとの争いを望んだのだ。しからば、相応の報いを与えるのが筋というものだろう!』


 大銀狼の言い分は正論だった。正直、反論の余地がない。

 もし、俺が奴らの立場にあったとしても、同じことを思っただろう。不当に住処を追われた恨みを忘れるはずがなかった。


(事情があったとはいえ、悪いのは明らかにルノスの方だ。となると、対話は無理か。一度冷静になってもらわないと)


 シエルに視線を送り、お互いに準備が整ったことを確認する。

 俺は両の手を打ち鳴らして呪文の詠唱を開始した。


「暁の仔。黄昏の老人。二者対して昼夜を生む。日照日輪、夜天の園。我が手の中でとくと巡れ――〈陽の天球〉」


 唱えるのと同時、俺の手から迸った閃光が、世闇の中で炸裂した。

 王天樹の頂に、真昼もかくやという日差しが注ぎ始める。

 疑似的な太陽光を再現する魔術、〈陽の天球〉だ。〈宵の天球〉と並んで、光と闇を自在に操れる。

 突如として現れた光に、大銀狼が一瞬だけ怯む。


「今だ、シエル!」

「了解!」


 俺の魔術を合図にして、二人が行動を開始した。

 大銀狼が静観から攻勢に転じたのは、その直後のことだった。




 ◆




 気付いた時には、目の前に真っ赤に開けた大口が見えていた。

 まばたきをするより短い刹那。そのかすかな隙をついて、大銀狼が距離を詰めたのだ。


 魔術の発動が間に合わない。俺は身をよじって獣の牙を回避すると、半ば転がりながら樹の地面を駆け回った。巨体に見合わず、狼の動きは異様に早い。獣特有の俊敏さで、俺をみるみるうちに追い詰めていった。


「〈不具の御霊〉!」


 詠唱破棄による簡易魔術。目の前に防壁を作り出し、狼の特攻を受け止める。

 だが、


『人の仔風情が、魔術で我に勝てると思うてか!』


 耳をつんざく咆哮。その雄叫びを媒介として、大銀狼が術式の展開を行った。

 複数の魔導陣が奴の周りに現れ、まばゆく発光する。


 ――こいつも魔力持ちか! どうなってるんだよ、この森の獣たちは!


 舌打ちをして、すぐに防御魔術を発動させた。

 しかし……。


『我が命に従え、王の樹よ』


 発声と同時に、俺の足元が砂地のように変性した。足を地面に取られ、膝下あたりまで埋没する。抜け出そうとしても、再び樹の性質を取り戻した地面はびくともしない。

 完全に自由を奪われた形である。


「セイルくん!」


 遠巻きにシエルの声が聞こえてきた。


「こっちのことはいい! それよりもお前は自分のやるべきことをしろ!」

『すべて読めておるわ。浅はかな!』


 吐き捨てた銀狼がシエルを振り返る。


「させると思うか!」


 俺も間髪入れず、術式を発動させた。上位魔獣を捕縛する際に用いる拘束魔術〈暴虐の檻〉である。どこからともなく現れた漆黒の鎖が、じゃらじゃらと狼の全身に巻き付いていった。


 巻き付いた鎖は過重力の特性を持っており、巨人の怪力でさえ逃げ出すことはできない。

 大銀狼が苛立ちを見せる。


『小癪なことを――〈解呪〉』


 ディスペル系の魔術も習得しているのか。恐れ入る。

 俺は多様な術式を持つ獣に、内心で舌を巻いていた。魔力は元来、ほとんどの生物が持ち得るものである。だが、魔術はその限りではない。


 おおかたの獣は、魔力があったとしても、それを単なる力として放出するのがせいぜいだ。複雑な術式を組み上げて、戦況によって使い分けるなど、通常では考えられない。


 ましてや、俺の放った〈暴虐の檻〉をあそこまでたやすく解呪するなんて……。

 人間の魔術師に置き換えたなら、ゆうに第六階梯(かいてい)は超えているだろう。


 魔術師には実力に応じて〈階梯〉と呼ばれる称号が与えられる。第一から第九までの九段階があり、数字が高くなるほど高位の魔術師とされていた。


 大半の術師は生涯を通して修業したとしても、第四階梯くらいの実力しか身に着けられない。

 それを思うと、獣である奴がいかに常軌を逸した存在なのかがわかるだろう。

 よほど俺の妨害が癪に障ったのか、大銀狼が身を低くして突撃の態勢をとる。どうやら、攻撃の標的を俺一人に絞るつもりらしい。


「〈熱砂の誘惑〉」


 俺はすかさず樹の地面に触れ、地質を砂状に変化させた。さきほど大銀狼がやったものと同じ術式だ。


『そのまま埋まっておればいいものを』

「無茶を言うなよ。俺だって、ただでやられてやるつもりはない」

『ならば戦え。貴様の行動には殺意も敵意もない。誇りをかけて、我に手向かえ! でなければ、邪魔をするな!』

「必要ならそうするさ。でも、今はその時じゃない」

『……よかろう。では、死に際に愚かな自分を呪うがいい』


 そう言って、狼は口を閉じた。これ以上の問答は不要と判断したらしい。

 これからは、いっそう攻撃の手が強まるはずだ。

 俺は大きく息を吐いて、精神を集中させる。


(仕方ない。もう一度〈隔世の至り〉を使うか)


 一歩引き、詠唱の準備にとりかかる。


 ――が、そうは問屋が卸さなかった。


 狼が再び俺に向かって突進してきたのだ。巨大な口が開かれ、俺の腹を食いちぎろうとする。すぐさま身を翻して回避するけれど、休む間もなく、続けざまの攻撃にさらされた。


 鋭い爪が生えた腕を、奴は力任せに薙ぎ払う。風圧だけで細切れにされそうだ。


 俺はすかさず〈不具の御霊〉で防御し、〈暴虐の檻〉を発動させた。

 出現した漆黒の鎖が、再度狼に襲いかかる。


『我が同じ手を食らうと思うてか!』


 あえなく解呪された檻だが、俺にとっては想定済みの展開だった。

 むしろ望むべき状況だ。


 奴に時間を浪費させる一方で、俺は一小節でも多くの呪文を詠唱する。そうして組み曲げた術式が発動した時、奴は自由を失うのだ。


「――〈隔世の至り〉!」


 ルノスを封じ込めた上級結界魔術。その発動が完了した瞬間、大銀狼も彼女と同じ運命をたどるだろう。

 そう思っていた。


『その術式はすでに見ている!』


 だが、大銀狼は一喝のみで俺の術式を跳ね飛ばしたのだ。詠唱は声を媒介にして大気中の魔力に働きかける役割を持つ。つまり、より大きな音で声をかき消された場合、術式の強度が極端に落ちるのだった。

 中途半端な力で発動された〈隔世の至り〉は、到底大銀狼を拘束できるものではない。


 これでは振り出しだ。

 落胆しそうになる俺だが、狼はそんな余裕さえ与えてくれなかった。


 上段から怪腕を打ち下ろし、俺の頭蓋を粉砕しようとする。上手く避けたとしても、すぐさま二の手、三の手に襲われた。爪先が皮膚をえぐり、じわじわと体力を奪われていく。

 まさしく防戦一方だった。


 反撃をするか? ――いや、それはできない。


 ――やらないのではなく、できない。


 自らに課した誓約を、今ここで破るわけにはいかないのだ。

 出血が増え、意識が朦朧とし始める中、それでも俺は攻勢に転じることはなかった。

 ひたすら防御魔術を連発し、消耗を強いられる。

 そして、


『これで、仕舞いだ』


 囁くような声の後で、俺は自分の腹に衝撃が走るのを感じた。直後に、温かいような、冷たいような不思議な感触に襲われる。


 腹に触れ、そこに異様な感触を得た時、俺は自分がどうなっているのかを察した。

 大銀狼の爪が、ものの見事に俺の身体を貫いていたのだ。

 これは、まずい……


「セイルくん!?」


 シエルの声がかすかに聞こえてきた。

 だが、すでに体内の大事な臓器と血管を傷つけられた俺は、それ以上の言葉を聞き取る聴力さえ無くし始めている。

 命の灯が、少しずつ弱まっているのを感じた。

 大銀狼が吐き捨てる。


『この小僧はもう助からん。次は小娘、貴様の番だ。その手に持っているものを、今すぐ渡せ』

「た、卵のこと?」

『他に何がある? そこな竜の仔であろう? ならば、我らの住処を奪った報いとして、その仔を殺す』

『大銀狼。わかっているとは思うが、それをしたら私は貴様らを根絶やしにするぞ。体毛の一本とて残ると思うな』


 ルノスの語気に殺意が宿った。シエルが困惑した表情を浮かべている。


「シ、エル……絶対に、渡、すな、よ」


 息も絶え絶えな俺の言葉に、シエルが泣きそうになった。


「でも!」

『ああ、そうだとも小娘。その小僧の言う通りだ。それを渡すことだけは許さない。もし奪われでもしてみろ。私は大銀狼だけでなく、貴様ら人間にも牙を剥くぞ』


 八方ふさがり。シエルだけにこんな役割を与えるのは酷というものだ。

 だが、どうしたって身体が動かない。

 俺たちの様子を見ていた大銀狼が、無数の魔導陣を展開させた。


『さえずるな、トカゲ風情が。小僧の魔術によって自由が利かぬのだろう? おとなしくそこで見ているがいい。小娘を殺し、卵を食い、そのあとでゆっくりと殺してやる』

『貴様ァッ!』


 怒り狂うルノスが結界を内側からこじ開けようとしている。だが、無駄だ。あの中はある意味で異空間化されている。視認できるとはいえ、別の次元にあるものが、こちらの次元に干渉できるはずがない。


 ルノスは言葉通り、大銀狼の所業をゆっくりと見ていることしかできないのだ。

 俺が死ねば術式が解除されるので、そうなれば彼女も解放される。だがそうならないよう、俺は即死させられなかった。

 目前の狼は相当に狡猾な獣のようだ。

 と、その時、


『……何のつもりだ、小娘』


 卵へ近づく大銀狼の前に、シエルが単身で立ちはだかった。


「銀の森の王よ。私はこのまま黙っているつもりはありません。私が卵を守ります」


 その言葉に、俺は血反吐を吐きながら反駁する。


「馬鹿、野郎。戦えなんて、言って、ない。せめて、それを持って、逃げろ!」


「ダメだよ。セイルくん。それだとあなたが死んでしまう。森の問題も何一つ解決しない。それに、私は今ここに立っているんだ。立って、問題を解決するために動けるんだ。だったら、あなたの代わりに私が動かないでどうするの」


 そう言って、シエルは黒革の手袋を両手に着けた。


『小娘、死の覚悟は決まっているか?』

「……いいえ、大銀狼。そんなものは少しも決まっていません。だって私は、あなたを止めるのですから。そのあとで、しっかりと話を聞いてもらいます」

『笑止!』


 叫んだ大銀狼が驚異的な跳躍でシエルの喉元に食らいつこうとした。

 だが、獣の牙がシエルに届くより先に、彼女が声高らかに宣言する。


「我が呼びかけに応えよ! 〈エルダー・ドラゴン・クーフルー〉!!」


 刹那、光あふれた王天樹に、爆発的な輝きが現れた。

 巨大な魔導陣が出現し、シエルに迫った狼の口を、むんずと掴む。


「……エルダー・ドラゴン。古龍じゃないか」


 なんという魔獣を使役しているんだ。俺は目を見開いた。

 古龍はすべての竜種の中で、もっとも賢く、もっとも強い種と呼ばれている。魔術を扱う個体も多く、それ単体で一国の軍隊をも凌ぐ力を持っていた。


 だが――それほどの召喚獣を、果たしてシエルが扱えるのか?

 消費魔力が尋常でないうえに、術者の力量次第では、その能力を十分に引き出せないことも多い。総じて、召喚術師泣かせの種族なのだ。


「セイルくん、今のうちに少しでも止血を。私の今の力では、この子を御しきれる時間はそう多くありません!」


 召喚されたエルダー・ドラゴンは、大銀狼と格闘し、互いの身を食らい合っていた。

 血の応酬である。


(あの様子だと、数分ももたないぞ)


 すでに限界が見えつつある拮抗状況に、俺は危機感を抱く。

 果たして、シエルは魔力切れによって、エルダー・ドラゴンの現界を保てなくなったのだ。

 消えゆくドラゴンを眺めて、大銀狼が大きくにやつく。


『大した力の持ち主だったが、それを操る術師が未熟で助かったぞ』

「くっ……」


 消耗したシエルが地面に膝をつく。

 やはり、無理があったか。


「ちくしょう、動け!」


 自分の足を殴りつける。焦りが苛立ちになり、言葉にできない感情に襲われた。

 このままでは、シエルが危ない。

 大銀狼が疲労困憊のシエルに近づき、その首に手をかける。


「やめろ!」

『できん相談だ。この娘が邪魔をする以上、我は自らの障害を排除せねばならん』

「やめてくれ」

『では、力ずくで止めるとよい。這いつくばって吠えるだけでは、獣と変わらんぞ』

「セ、イル、くん……」


 苦悶の表情を浮かべるシエルを、俺はなすすべもなく眺めることしかできない。

 大銀狼は、それを楽しむように眺めると、巨大な口を大きく開けた。


「やめろぉぉぉ!」


 悲鳴を上げた一瞬、俺は感情が欠落するのを感じた。

 同時に、王天樹の頂上を覆いつくすほどの、無数の魔導陣を展開。そのすべてに莫大な魔力を通わせる。


「――多重召喚」


 囁いた直後、俺は大銀狼との距離を一気に詰める。奴の腕からシエルを引きはがし、その口内に爆発術式を組み込んだ。


「――爆ぜろ」


 盛大に火を噴き破裂した術式が、大銀狼の顔面に甚大なダメージを与える。声にならない悲鳴を上げる獣に、俺はさらなる追撃を試みた。


「術式詠唱の完全破棄、完全再現を実施――〈追跡〉、〈強化〉、〈紅蓮の墜ち矢〉。敵を穿て」

『術式の、完全破棄と再現……馬鹿な、人間風情にできるはずがない!』


 何かを大銀狼が言っている。だが、俺がその言葉を気に留めることはない。術式の制御に全神経を集中しているため、些事に構っている余裕はないのだ。


 撃ち出された紅蓮の矢の全弾が、逃げ惑う大銀狼の背に命中する。たまらず崩れ落ちる奴に対して、しかし、こちらが攻撃の手を緩めることはなかった。


「重ねて完全破棄、完全再現。〈鬼神の万力〉、〈炎王の業火〉。締め上げ、焼き殺せ」


 またたく間に狼の全身が青い炎に包まれる。加えて全身を押し潰すほどの圧力がかけられた。


『も、もうやめてくれ……』

「いいだろう。炎の責めには飽きた。やめてやる」


 言ってから、俺は手近な魔導陣に視線を向けた。


「――〈狒王(ひおう)〉、〈煉赫(れんかく)〉、〈破邪の蛇(サーペントスロア)〉。奴を押さえろ」


 静かな命に、視線を向けていた魔導陣が発光。出現した召喚獣が音もなく大銀狼を拘束し、俺の前に差し出してきた。猿のような見た目の〈狒王〉と、巨人族の〈煉赫〉、そして悪魔の蛇と呼ばれる〈破邪の蛇〉。彼らは仰々しく俺の前に膝をつくと、こう言った。


「お久しゅうございます。獣王様」


 その言葉に、満身創痍だった大銀狼が瞠目する。がたがたと身体を震わせ、俺を見てきた。


『獣、王……様、だと?』

「その呼び名はやめろ。とうの昔に捨てた。今は真学院のセイルだ。お前たちもそう呼んでほしい」


 俺の命令に、三体の召喚獣は「はっ」と短く答えた。

 頷いた俺は、そのまま大銀狼に向き直る。


「――お前がシエルに手を出さず、俺だけに標的を絞っていたら、こんなことにはならなかったのにな」


 自分で言っていて、少しだけ悲しくなった。

 シエルとルノスの驚愕している顔が目に浮かぶ。

 そのあたりの説明もしなければならないな。

 そう思い、俺は〈陽の天球〉の魔術を解除した。


 再び闇に包まれた王天樹。戦いが終わった今、聞こえてくるのは風が草木を薙ぐ音と、虫たちのかすかな鳴き声だけだった。


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