Episode.3:蠢動する魔獣
シエルに連れられて自分の寄宿舎に向かっていた俺は、その途中で銀の森と呼ばれるエリアを通過した。
銀の樹木と灰色の大地に覆われた美しい森である。
だが森に入ってからというものの、俺は常に矢のような視線にさらされていた。
周囲一帯には獣が潜み、じっとこちらの様子をうかがっている。
敵意はないようだが、歓迎されている様子でもない。
まるで、どんな奴が来たのか、品定めをされているような気分だ。
そして、獣の中には魔獣も混ざっている。
「普通に魔獣がいるんだけど、ここって学院の中だよな?」
「安心してください。間違いなく、学院の敷地内です。ただ、一般学生の立ち入りは禁止していますけれど」
「まったく安心できないんだけど!」
喚き散らす俺。格好悪くたっていい。だって、あぶないもん。
焦りまくる俺に対して、シエルの反応はにべもない。
「残念ながら、本棟周辺の寄宿舎がどこもいっぱいになっているのです。心苦しいですが、新たに学院へ来た者に、寄宿舎を選ぶ権利はありません」
「にしたって、立ち入り禁止のところを開放するってのはおかしくない⁉」
いくらなんでも、ばっさりと切り捨て過ぎである。
「仕方ありませんね。では、他の寄宿舎にしますか? 安全なところはいくらかあります」
「あるのかよ。じゃあそっちにしてくれ」
脱力して、寄宿舎の変更を求める。
「わかりました。しかし一番近いものでも、本棟まで片道二十キロメートルはありますよ?」
「にじゅっ……この先のやつでいいです」
片道二十キロは、もはやいじめだろう。
ろくな移動手段もない学院で、その距離をどうしろというのだ。歩けばいいのか?
「それが賢明でしょう。あと、そんなに悲観する必要はないですよ。魔獣に囲まれているとはいえ、住み慣れてくると、案外快適な場所ですから」
「なんでわかるんだよ」
「なぜって、私もそこに住んでいますから」
言って、シエルが俺を振り返る。いたずらっ子のような微笑を浮かべていた。
「大貴族の娘なのに、こんなところに住んでるのか」
「ええ。学院内には、六大公爵家それぞれが所有する別邸がありますが、息苦しいのであまり好きではないんですよ。こちらの方が気楽に生活できます」
貴族らしからぬ発言だった。
正直、俺は今日まで、貴族というものは怠惰で偉そうなだけの、いけ好かない人種だと思っていたのだ。
そこにきて、シエルの印象は俺のイメージと真逆である。
と、その時だ。
鬱蒼とした森の中に、直径百メートル程度の円形平地を見つけた。
その区画にだけ、不自然なほど草木が生えていない。森の中で、ひときわ異様な空間である。
また、その中心に朽ちかけの洋館が建っていた。
年季の入った外壁には無数の蔦が絡みつき、漆喰にもところどころヒビが入っている。
地震が起きたなら、すぐに倒壊してしまいそうだ。
まさかこれが寄宿舎ではあるまいな?
「さて、着きましたよ」
平然とそう言ったシエル。俺はもう言葉もない。
「こんなところに人が住めるのか。ボロボロもいいところじゃないか」
「失礼ですね。これでも中は改装されているんですよ。住みやすさは保証します」
そりゃあ、六大公爵家が住んでいるんだ。
中までボロボロだった日には、建物そのものが取り壊されかねない。
そう思ったら、最後の希望が見えてきた。
俺はシエルの後に続いて、洋館の近くまで歩いてきた。
庭には汲み上げ式の井戸があり、大きな物干し竿には真っ白なシーツがかけられている。
魔獣に囲まれた場所とは思えぬほど、それは平和的な光景だった。
「そういえば、あなたを管理人さんに紹介しなければいけませんね」
「管理人? ほかにも誰か住んでるのか」
「はい。私を含め、現時点では四人がこの寄宿舎に住んでいます」
そう言って、彼女は洋館の玄関扉に手をかけた。
ぎぃっという音とともに、扉が外側に開いていく。
「ミィィス・カルサァァス!」
扉を開けた瞬間、建物の中から小太りの男が転がってきた。
比喩ではなく、本当に転がってきたのだ。
突然のことに面食らった俺は、目を白黒とさせながらシエルに状況の説明を求める。
すると、シエルは額を押さえて大きなため息をついていた。
「またあなたですか。何度も言っているでしょう。この学院は関係者以外立ち入り禁止だと」
「そんなことはどうでもいいのです!」
どうでもいいのか?
半べそでシエルに泣きつく男は、身長がかなり低い。
おそらく、俺の半分くらいしかないだろう。
お腹がぷよんぷよんと跳ねており、冗談みたいな丸眼鏡をかけている。
髪は綺麗に七三分けにされていて、大きなバックパックを背負っていた。
彼は叫ぶ。
「一大事です! マダムがおりませぬ! 寄宿舎中を探してみたのですが、どこにもおられないのですぅ!」
「マダム? ああ、管理人さんのことですね。それならきっと大丈夫です。たぶん、数刻後には戻ってくるでしょう」
「なにかご存じなのですか、ミス・カルサス」
「その呼び方やめて」
「ではシエル」
男がそう言った瞬間、シエルが拳を握りしめた。
それを大きく振りかぶったところで、俺が制止に入る。
「待て待てシエル! 暴力はいけない!」
「そうだそうだ! 鉄拳制裁では何も解決しませぬぞ!」
お前も便乗するんじゃない!
心の中でそう叫び、俺はどうどうとシエルを宥めるのだった。
そうして彼女が落ち着きを取り戻した頃、小太りの男は俺に向かって自己紹介を始めた。
「ご挨拶が遅れましたミスター」
「ミスター?」
「私は真学院の名誉ほにゃららである、ピルルカ・ピッピ・ロウンゴ=ピリカと申します。ピルカとお呼びください」
「名誉……なんだって?」
名前よりも肩書きが気になった。
「セイルさん、まともに取り合ってはダメです。疲れるだけですから」
「こいつ面白いな」
ピルカと名乗った男は俺を洋館の中へ招くと、談話室のような場所に案内した。
ふかふかのソファに座らせ、紅茶を一杯淹れてくれる。
俺はシエルに耳打ちをした。
「こいつ、この学院の関係者じゃないって言ってたよな? なんでこんなに手際がいいんだ?」
「……彼は学院に侵入したとき、ほぼ毎回と言っていいほど、この寄宿舎に寄り付くんです。衛兵の目から逃れるためか、何か別の目的があるのか。そこまではわかりませんけどね。それで、よく管理人さんのお手伝いをしているようなんです」
「ふうん。なるほどね」
妙な得心を覚えて、俺はピルカに視線を向けた。
変わった男ではあるが、悪意は感じられない。
今の時点では危険な要因にはならないだろう。
「それで? 今日はどうして侵入していたんですか?」
単刀直入に尋ねるシエル。それに対して、ピルカの態度は揺るがない。
「シエル殿に会いに!」
「殴りますよ? そしてその呼び方もやめてください」
きりっと男前の顔をするけれど、シエルが容赦なく切り捨てる。
「冗談です。銀の森の調査で参りました。なかなか許可が下りなかったので、つい不法侵入をしてしまいましたが」
「そんなことを続けていたら、しまいには消し炭にされますよ。忠告しているうちに帰った方がいいと思いますけど」
「そんな連れないことを言わないでくださいまし」
まし?
キャラクターが定まっていなさ過ぎる。
終始困惑していた俺だが、ふとシエルが真面目な声を出す。
「ではお聞きしましょうか。森の調査をしていたということは、単なる知的好奇心を満たすためではないのでしょう? 何か異変でも?」
「やれやれ、せっかちなお嬢さんだ」
また殴られそうな言い方をして、ピルカが眼鏡をくいっと持ち上げる。
「――ええ。ここ数日、銀の森に漂う不穏な空気を感じていたので、その原因を探っていたのです。ここは真学院の中でも屈指の危険地帯です。狂暴な魔獣が巣食い、数多の獣を使役している。そんな中、私は新たな区画を発見しました」
「新たな区画?」
「そう。結論から申し上げますと、ドラゴンの巣があったのです」
ピルカの言葉を聞いた瞬間、シエルがソファから立ち上がる。
「ドラゴンの巣⁉ まさか、あり得ない!」
動揺するシエルに対して、ピルカが人差し指を立て、自分の唇に当てた。
「落ち着いてください。真学院の森林エリアは、その広大さゆえ管理側もその生態系すべてを把握できていない。それぞれの生物の生息地についても同様です。森には人の手が入っておらず、当初の形がそのまま続いていると言っていい。そうなれば、外敵が少なく、人も入ってこない深奥部には、強力な魔物が住みやすくなる」
「確かな情報なの?」
「誓って」
話の流れにまったく付いていけないが、とにかく、本来いるはずのないドラゴンが銀の森の中に巣を作ったため、元々生息していた魔獣たちが殺気立っている、ということらしい。
生物的な格が違うため、ドラゴンと戦うことはしないだろうが、獣たちが抱えるストレスは尋常ではないだろう。
その結果、あの異様な視線につながったというわけだ。
……ん? 待てよ。
「ちょっといいか」
「どうしたんです、セイルさん?」
「ドラゴンが巣を作ったのは、森の中のどのあたりだ? 奴らは、基本的に山岳地帯に巣作りをする習性がある。森という空間のどこに生息しているのか、単純に興味が沸いた」
尋ねると、ピルカが答えた。
「銀の森のほぼ中央。ここからだとかなりの距離になりますが、窓から巨大な木が見えるでしょう? その上です」
促されて、談話室の窓に視線を向ける。
すると、確かにひときわ大きな木が森の中にそびえたっていた。
「王天樹――まさかあんなところに?」
シエルがぼそりとつぶやく。
「王は天にあり。生物の王たるドラゴンには、まさにうってつけの場所に見えますねえ」
「ピルカ。それで、魔獣たちの状態は?」
ピルカの独り言を無視し、シエルが問いかける。
「並み以下の獣は、ただただ委縮しています。しかし、ボス級になるとそうでもない。特に獣の王たる大銀狼は、たいそうお怒りの様子でした。きっかけさえあれば、いつ縄張り争いが始まってもおかしくありません」
「そうなると、まずいですね。銀の森の狼は、かなり上位の魔獣です。生きてきた年月もほかの獣の比ではない。ある種の精霊的存在にまで、その魂を昇華していると聞いています。そんな魔獣たちが争ってしまったら……」
「学院の生徒たちにも少なくない影響が出るでしょうね」
獣の王たる銀狼と、生物の王たるドラゴン。二者の争いの結果は火を見るよりも明らかだ。
しかし、その過程で生み出される被害は甚大なものになるだろう。
それこそ、人死にが出てもおかしくない。
「シエル、ピルカ。その魔獣たちのところへ、俺を連れて行ってくれないか?」
そう告げた時の、二人の顔。
あんぐりと口を開け、目玉をひん剥いていたピルカと、思案するように目を細めたシエル。
二者二様の様子であったが、先に声を上げたのはピルカであった。
「あんた、自分が何を言っているかわかってるんですか? ドラゴンの力は通常の魔物とは格が違う。大銀狼だけでも、魔術師が数十人単位で編成を組まなければ勝てません。そんな怪物たちの戦場に、あんたみたいな人が一人で向かうなんて」
「まぁ、戦場には行くけれど、戦うつもりは毛頭ないよ」
「甘い! 甘々スウィーツですよ、その発想。奴らの戦場に足を踏み入れたが最後、敵として襲い掛かられるのは目に見えています。戦わずに事態を収束させるなんて、不可能だ」
俺の考えを真っ向から否定するピルカ。しかし、隣で思案を続けていたシエルは違った。
「――いえ、むしろこれは、セイルさんにうってつけの案件なのではないでしょうか」
「わかってるね、シエル」
「あ、いえ、獣王の力であれば、ドラゴンの使役も可能なのではないかと思いまして」
「え」
「え」
「え」
ぽろりと口を滑らせたシエルに、彼女を含めた全員が目を丸くした。
ピルカがシエルを指さして、それから俺にも指を向けた。
「え、獣王? 獣王って、あの伝説の? この弱っちそうな男が?」
失礼な奴だな。
まぁ、確かに俺単身ではその辺の兵士はもちろん、下手したら一般市民にだって負けかけない。
その自覚はあるので、反論はできなかった。
「シエル……」
「すみません……今すぐ、この男の記憶を消しますので」
「ちょっと! 何不穏なことを言ってるんですか!」
ピルカが喚く。
「いや、いい。かわいそうだ」
知られてしまったのは仕方がない。あとでピルカにも口止めをしておこう。
「それより、具体的な対策を考えたい。ピルカ、もっとドラゴンと大銀狼のことを教えてくれ」
そう言って、頭の中で様々なシミュレートを行っていく。
数限りない選択肢の中から、もっとも人や獣が傷つかない方法を模索していった。
ピルカが話し始めたのを確認して、俺は脳神経のすべてを問題解決のために動員する。
真学院生活の一日目はなかなかハードな内容になりそうだった。