Episode.2:真学院
ラスニール皇国の最高学府、皇立魔導学院。総生徒数は千二百五十名を超え、国が誇る上級魔術師が教鞭をとっている。
学院は人里離れた山中に位置しており、全方位に幾重もの結界が張られていた。
古城を思わせる重厚な出で立ちと、どこまで続いているかわからない広大な敷地。
話を聞くだけでも、とんでもない場所ということがわかる。
また、学生の質も非常に高かった。若輩ながら軍を率いる者、新たな魔術を生み出す者、最上位の魔術試験に通った者など、あげつらえばきりがない。
ただそこにいるだけで絶大な影響力を持つ者が少なくなかった。
「学生には身分に関係なく魔術を学んでもらっています。割合としては、貴族が八割、平民が二割といったところでしょうか。あ、一名だけ隣国の王女がいらっしゃいますね」
「王女って……どれだけすごいんだ、この学院」
大理石できた床に革靴のカツコツとした音が響く。
シエルと並んで廊下を歩いていると、すれ違う生徒から奇異の目を向けられた。
「学生用のローブをつけていないあなたが珍しいのでしょうね。この学院は部外者を嫌いますから、私服の若者が紛れ込むなんてことは滅多にありません」
「たまにはあるのか?」
「業腹ながら、若干一名、面倒くさい人がいます」
「ほう。気になるな」
ぜひとも会ってみたい。
シエルの苦虫を噛み潰したような顔を見ると、よほど厄介な人物らしい。
「あまり気にしない方がいいですよ。それと、今日はいろいろあって疲れたでしょうから、勉強については明日に回してもかまいません。もし必要でしたら、私が学院内を案内しますよ」
「だいぶ甘やかされているな、俺」
「もちろん、明日からはビシバシいくので、そのつもりでいてください」
ようやく、少しだけ笑ってくれた。
丁寧な物腰の中に、いつも何かが張り詰めているような空気を感じていたのだ。
それがわずかでも緩んでくれたなら、俺としても嬉しい。
「じゃあ、せっかくだし案内をしてもらうかな」
「わかりました。では、まずは学院で利用率の高そうな場所から行きましょうか。大講堂や大食堂あたりがいいかもしれませんね。ちなみに、今私たちがいるのは講義棟と呼ばれる場所です。真学院は特定の授業を受けさせるというよりも、数ある授業の中から、学生自身に受けるものを選ばせるという方式をとっています。自由度が高い反面、単位の取得などはすべて自己責任で行う必要がありますね」
なるほど。その気になれば、自分の学びたい分野を徹底的に学べるのか。
それから、まったくどうでもいい話だが、名詞の前に大をつけると、『すごい感』が増すと思う。
そんな馬鹿なことを考えた瞬間だった。
「いい加減にしろ!」
鼓膜を突き刺すような男の怒号が、廊下中に響き渡ったのだ
肩をビクつかせて、俺は何が起こったのかを確認する。
金髪の男子生徒が講義室の前で声を荒げていた。
肩で大きく息をして、感情に任せた罵倒の言葉を口にする。
「お前みたいな奴がこの学院の品位を貶めるんだよ! 身分が低いだけじゃなく、まともな実力もないくせに、言うことだけは一丁前か? そういうのが一番頭に来るんだよ!」
誰に向けて言っているのかはわからない。
でも、明らかに自分よりも立場が低い者への言葉だった。
俺は居ても立っても居られず、彼らのもとに駆け寄ろうとする。
しかし、それをシエルが制した。
彼女は少しだけ怪訝な表情を浮かべて、事の成り行きを見守っている。
扉を挟んだ向こう側、つまり講義室の中から少女の震えた声が聞こえてくる。
「学問は戦いをするために身に着けるものじゃありません。学ぶという行為は、人が人として成長するために、自らの価値観に深みと納得を持たせるために、そして何より――知らないことを知るために行うものなんです。命を奪うためのものでは、決してありません」
おどおどとしながらも、少女はなんとか自分の意見を言いきった。
だが、そうした弱気な態度もまた、男子生徒の気持ちを逆なでする。
「今がどういう状況かわかっているのか! この国は戦争をしているんだ。怪物とな! 殺さなければ殺される! お前ら平民は知らないだろうけど、僕たち貴族は日々を平民の訴えの解決のために費やしているんだよ。それが責任なんだ。ノブレスオブリージュ。わかる? 甘ったれたことばかり言ってないで、少しは現実を見ろよ。これだから平民は嫌なんだ」
その言葉を聞いて、少女の声に怒りが灯った。
「平民は知らないなんてことはありません。私のいた村は、その怪物によって滅ぼされました! 貴族のあなたたちに救いを求めても、誰も助けてはくれなかった」
男子生徒がたじろぐ。
「そ、それは、ほら。さっきも言ったように忙しかったからで」
「忙しさを理由に人を見殺しにしていいのなら、さきほどの言葉は撤回してください。貴族の責任なんて言葉を、安易に使わないでください」
そう言い放った瞬間、男子生徒のこめかみに青筋が走った。
いけない、と思うより先に行動を起こした者がいる。
シエルだ。
「何かあったのですか?」
興奮してシエルに気付かなかった男子生徒は、彼女の姿を見るや表情を青くする。
だが、なけなしの自尊心を振り絞って、毅然とした態度をとった。
「彼女が、国の方針に対して侮辱の言葉を吐いたのです」
ひょっこりと、俺もシエルの横から講義室を覗いてみる。
すると、やはり女子生徒の姿が見えた。押し飛ばされたのか、床に尻もちをついている。
これまたかわいらしい女の子だ。
黒曜石のような、真っ黒で艶のある大きな瞳。その二つの宝石が、長いまつげの下で奥ゆかしくまたたいた。肩までかかる綺麗な黒髪は、少しだけ色素が薄いらしい。
深い緑を基調としたワンピースに、同じ色のネクタイと真っ白なブラウスが映えている。
胸のあたりには竜を模したようなエンブレムが掲げられていた。
肩の周りには黒い短めのローブがついている。
「その服、あなた士官科の学生ね?」
一度少女に目を向けたシエルが、そう尋ねる。
少女は自分に話しかけている者が誰であるかを悟ったらしい。
慌てて居ずまいを正すと、恐縮した様子で返してきた。
「えっと……はい。士官科一年のウェンディ・タリス、です」
「わかりました。ここは私が片付けておくので、早く次の授業に行ってください」
「は、はい。ありがとうございます」
「ああ、それと。この男子生徒の言うことは、ある側面から見れば正しいです。そして、あなたの言うことも間違ってはいない。でも、国の情勢をきちんと把握しておくことと、学んだことを何に使うかは別問題です。いざという時に迷わないためにも、自分の中に信念をもって学問に励んでください」
その言葉を忠告と受け取ったのか、ウェンディと呼ばれた少女が若干委縮した。
ぺこりと深いお辞儀をして、その場を後にする。
「さて、次はあなたですね。所属は?」
今度の標的は声を荒げていた男子生徒である。
彼は渋々といった様子で答える。
「創隷科一年、トーマス・リヒター」
「リヒター? ああ、リヒター侯爵のご子息でしたか」
「は、はい! 覚えていてくださるとは、光栄です!」
「いえ、御父上にはお世話になっております。それより、さきほどタリスさんとの会話の中で、貴族の責任という話をされていましたね? そのことについて、少々世間話をしましょうか」
「世間話、でしょうか?」
「ええ。なんてことのない雑談ですよ。これから話すことは、あくまでも私の推察です。確証なんてものは一つもありません」
「はあ」
事態が飲み込めていないのか、トーマスが首をかしげる。
シエルはかまわずに続けた。
「ウェンディ・タリスさんが言っていた壊滅した村について、私は少しばかり心当たりがあります。軍編成を変えて以降、民草に直接的な被害が出ることはほとんど無くなってきていましたから」
「そ、それは……」
「確かタリスという姓はエンドランド方面によく聞くものですね。そして、その地方というのは、確かあなたのお父様が治める地域ではなかったですか?」
そう言われた瞬間、トーマスの表情がさっと青ざめた。
「ここ最近、エンドランド地方で貴族の怠慢があったという報告を受けています。内容は、侵攻してきた怪物が領地を襲っている中、領主が城に引きこもり、何もしてくれなかった、というものです。何か心当たりはありませんか?」
「あ、あれは、父上が悪いんだ! 僕は救援の軍隊を差し向けるように打診したんだ。でも、そうすれば城の守りが疎かになるって!」
「魔導学院の生徒であれば、怪物数体程度、ご自身で倒せるはずですよね? ノブレスオブリージュを謳うなら、ひとりでも多くの民を救うため、単身でも行動を起こすべきだったんじゃないですか?」
理論武装によって、着実にトーマスを締め上げていく。
これで詰みだ。
トーマスはぷるぷると震えていた。
皇国の貴族にとって、自分よりも身分が高い存在は神にも等しい。
とりわけ皇王に次ぐ力を持った六大公爵家は、別格の存在感を放っている。
目をつけられたが最後、貴族としての出世は望めない。
弁明する機会も与えられず、トーマスは絶望の淵に立たされたのだった
「雑談は以上です。さきほどの件については、両者に非があるということで、この度は不問としましょう。あなたも次の講義に向かってください」
「……はい」
覇気のない声で返したトーマス。それを見ていると、少しだけかわいそうになった。
そっとシエルに耳打ちする。
「なぁ、少し言いすぎじゃないか?」
「そうは思いませんよ。彼はもともと素行に難があり、これまでにも幾度となく平民の生徒を退学に追い込んでいます。さきほどの領地襲撃に関しても、民草を盾にして逃げる算段まで整えていました。魔術師としては優秀ですが、貴族として領地を任せることはできません」
「六大公爵家って、そんなことまで調べてるのか」
「というよりも、各地の情報が集まってきやすいだけですね。それよりも次に行きましょう」
その切り替えの早さに背筋が冷たくなった。
「ああ、そうだ。セイルさんが寝起きする宿舎にも行かなければなりませんね」
ポンと手を叩き、彼女は俺の手を引いた。
「早速行きましょう。夜になると危険ですから」
「危険? え、俺の寝床どんなところにあるの⁉」
壮絶な不安感。何気なく放たれた彼女の言葉に、俺の内心で焦燥感が膨れ上がる。
一抹の不安を抱えながらも、俺はシエルに連れられて自分の寝床に向かうのだった。