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Episode.1:二人の来訪者

 その日、街はずれにある俺の家に、立派な服を着た女性が訪ねてきた。


 容姿や動作に気品が感じられる。

 なかなか高齢のようだが、不思議と老婆には見えない。

 皺が刻まれた面立ちからは、若かりし日の美貌がうかがえた。


 俺が何事かと思案していると、女性がお辞儀をして名を名乗る。


「はじめまして、セイル・ウォーカーさん。ラスニール皇立魔導学院のニコラ・グレッグソン=ウィリアムズと申します」


 そこまで聞いて、俺の背筋に戦慄が走った。

 魔導学院のニコラ……つまり、真学院のニコラ学長か。


 直接会うのはこれが初めてだが、その高名さは国内全土に知れ渡っている。


 魔王の異名を持つ、現代最強の魔術師の一人。特定の領域魔術を極めた魔導の王。それが彼女だ。

 世界最高峰の学院で、数多の優秀な魔術師を育て上げた実績と、純粋な実力者ということから、国家の中枢にさえ声が届く存在である。


 そんな人が、なぜここに?

 混乱が先に立ち、考えを整理することができない。


「とりあえず、上がってください」

「ええ、お邪魔するわ」


 優雅な所作で家に上がってくるニコラ。その背後には、自分と同い年くらいの少女が付き添っていた。

 真っ白なブラウスに、品の良い長めのスカートをはいている。

 やわらかな眼差しが印象的な彼女は、赤茶けた髪をゆったりとしたおさげにし、左肩から胸の前に垂らしていた。

 長いとび色の睫毛(まつげ)と、その下にある緋色の双眸(そうぼう)

 あどけない少女の中に、確固たる意志の強さと、年齢相応の無邪気さのようなものが見えていた。


 おそらく、十六か、十七歳くらいだろう。俺とそんなに変わらない。

 彼女は観察をするように俺を見た。ニコラが簡単に紹介をする。


「ああ、その子は私の仕事のサポートをしてくれているのですよ」

「よろしくお願いします。シエルと申します」


 にっこりと笑って、シエルが手を出した。

 俺は緊張しつつも差し出された手を握り返す。


 あまりにも、理解できないことが多すぎた。

 なぜ、という疑問が際限なくわいてきて、終始気持ちが落ち着かない。


 それから女性二人を丸テーブルにつかせると、俺は客用の飲み物で悩みまくった。


 あきらかに身分の高い二人に対し、こちらから提供できるものなんてないのだ。

 粗茶という言葉が謙遜(けんそん)ではなくなってしまう。


「お茶を用意しますね」

「結構ですよ。お構いなく」


 笑顔でそう言ってくれるが、だからといって何のもてなしもしないのは男が廃る。


 俺はとっておきの茶葉を取り出し、手際よく湯などの準備を済ませると、家で一番のカップにそれを注いだ。震える手で茶を出し、彼女たちの前に座る。


 逮捕や拷問をされる前って、こんな気持ちなんだろうか?


 ともあれ、茶を飲んだニコラが口を開いたことで、俺の緊張感は最高潮に達した。

 今なら何を言われてもイエスと答えてしまいそうだ。


「セイルさん、単刀直入に用件を申しましょう」

「はい」

「あなたにはぜひ、うちの学院の警護をお願いしたいのです」

「はい……って、え? ケイゴ? 俺が?」


 予想の斜め上の頼みだった。思わず面食らう。

 世界最強クラスの魔術師が、俺のような一般人に対して、学院の警護を依頼したのか?


 言葉を丁寧に噛み砕き、ニコラの意図を探ろうとする。

 だが、何度考えを巡らせても、その言葉以上のものを想像できなかった。


「えっと、それはどういう……」

「言葉通りの意味ですよ。かつて、戦場で獣王と呼ばれたあなたの力を、学生の安全のために使っていただきたいのです」


 そう言われた瞬間、心が一気に冷めていった。

 今までのへらへらとした感情が引っ込み、真面目な調子に代わっていく。


「なぜ、俺が獣王だと思ったんですか?」

「獣王を知っているのですね。やはり、我々の見込みは間違っていなかった」

「ニコラ学長。俺の質問に答えられていませんよ? どうして、そう思われたのです」


 問うと、ニコラは笑顔を崩さずに返してきた。


「あなたの戦う姿を見た者がいるのです」


「見間違いじゃないですか? 俺は戦場に召集されたこともなければ、その辺の野良試合でさえ一度も勝ったことがない。『ろくに戦ったこともない役立たず』。それが俺の評価のすべてです。学長はきっと、どなたかと勘違いをされているのですよ」


 今この国は――いや、正確にはこの国を含めた大陸全土が、とある怪物との戦争状態にある。

 神出鬼没の化け物の軍勢に、各国の人民はなすすべもなく殺され続けているのだ。


 だからこそ、戦争に勝利するために、それぞれの民草を守るために――怪物を掃討する軍が編成された。


 騎士や魔術師のほとんどは、その討伐軍に所属している。

 多くの者が戦うために生き、戦うために学び、あとは戦場で散っていく。

 わずかに得られる名誉なんかのために、大切な命を投げうっている。


 この国が置かれているのは、まさにそういう状況だった。

 戦争が長引くにつれ、世間の価値観が偏ってきている。


 騎士でも魔術師でも、戦いに勝利する力こそが素晴らしいものなのだ。

 直接的でも、間接的でも、怪物たちを殺せる力こそが至高なのだ。


 そういう風潮になってきているのを、痛いほどに知っていた。


 俺は、世間的には非生産的な人間だ。

 動物と触れ合っているだけで、怪物を倒すような訓練はひとつもしていない。

 ただただ守られるだけの負け組魔術師。それが俺なのだ。警護の仕事なんてできるはずがない。


 だというのに、この人は……

 俺がどう切り抜けようかと考えていると、ニコラはこう言った。


「獣王は六大公爵家の当主と、ほとんど同じ力を持っていると言われています」


「六大公爵家と? それはさすがに買いかぶりすぎじゃないですか。そもそも、獣王なんてただの噂ですよね?」


「先ほども言いましたが、その目で獣王の姿を見た者がいます」

「まさか。誰が見たというんです?」

「シエルさんです」


 そこまで言われて、俺の舌がぴたりと止まる。

 付き添いで来ていた少女に視線を向けると、彼女は毅然とした面持ちのまま頷いた。

 赤い髪が揺れ、石鹸のいい匂いが漂ってくる。


「あんたが、見たって?」

「はい。私が戦場で倒れそうになった時、獣王が付近の敵を消し飛ばしてくれたのです。鋼の体毛を持った、大きくて美しい獅子にまたがって」


 めまいがした。

 俺が頭を抱えていると、少女はなおも続ける。


「その時の獣王の横顔は忘れもしません。私と同年代の人が、あれだけの力を持っていたのです。忘れられるはずがありません」


「その獅子の情報をどこで聞いたのかは知らないけれど、そもそも、あんたの年齢で戦場に出ているってことがおかしいだろう。俺は戦場に出たことはない。あんたも出たことはない。それで解決だ」


「いいえ。私は私の意志で戦場に立つことを許されています」

「許されるって、誰に?」

「皇王に」


 一瞬で、空間が静まり返った。


「は? 皇王? 皇王って、国のトップの? そんなの信じられるわけがないだろ」

「信じてもらえないのでしたら、これを見てください」


 そう言って、彼女はブラウスの袖を破り捨て、肩から肘にかけて彫られた複雑な入れ墨を見せてきた。

 竜仙華と魔人の紋――皇国の頂点に君臨する大貴族、六大公爵家のものだ。


「これって……」


「私の名前はシエル・カルサス。六大公爵家が一角、カルサス家の息女です。幼いころから魔術の訓練を続けてきましたので、今の年齢でも戦場に立つことが許されました」


「……真学院の学長に、六大公爵家の娘。ただの一般人の家に、とんでもない取り合わせが来たもんだ」


 やれやれと肩をすくめる。

 俺の内心を察したのか、ニコラが付け加えた。


「それだけの価値があなたにはあるということですよ」

「だけど、」

「もし、あなたが警護の役目を引き受けてくれるなら、ひとつだけ、あなたの夢を叶えて差し上げましょう」

「夢? 夢ってなんですか?」


 人間というのは不思議なもので、こういう言われ方をすると気になってしまう。

 俺の興味を引いたニコラは、どこからともなく分厚い冊子を取り出した。


「あなたのことは我々なりに調査してきました。学校に通いたいとの思いがあるようで」


 にこりと、さわやかな笑顔を向けられる。人の願いを事前に調べてくるとは、悪魔みたいな人だ。


「でも、俺はもう、戦いの場になんて行きたくないんですよ。それから、必要以上に目立ちたくもない。ろくなことにならないんだから」


「では、ご自分が獣王であると認めるのですね」

「どうせ、核心をつける証拠があるから家まで来たんでしょう。観念しますよ」


 俺はため息をついた。


「素晴らしい洞察力です。それと、目立つ、目立たないという件については、こちら側でなんとかいたしましょう。もし必要以上の力を見せてしまった場合は、可能な範囲で隠ぺい工作を行います。日常生活レベルであればまず心配は不要でしょう。ですが、もし襲撃があった際には、お約束はできません」


「いや、ですから襲撃があった時のことを言っているんですよ」


「実際に襲撃される可能性は限りなく低いと思いますよ。なにせ、真学院は魔術師によって構成されたラスニール皇国の主戦力なのです。ここを責められるとしたら、よほど戦況が劣勢になった時くらいでしょう。だからこそ、そうした時に頼れる術師が必要なのです。六大公爵家にも引けを取らない、優秀な魔術師が」


 ぞっとするほど揺るぎのない言葉であった。

 考えてみれば確かにそうだ。

 ニコラが常駐し、ほかにも上級魔術師がたくさんいる学院に、考えなしに攻めてくる敵などそういない。


 ある意味ではこの国でもっとも安全な場所のひとつと言える。


「今引き受けてくだされば、士官科の一年生に編入できます。学院生活が三年間、まるまる付いてきますよ?」

「セールストークが怪しすぎるでしょ。遠まわしに、向こう三年は警護をしてねってことじゃないですか」

「あら、そう聞こえましたか」


 ニコラがほほほとわざとらしく笑う。


「……いいでしょう。その仕事を引き受けます。その代わり、俺に学生生活をくれるんですよね? 契約は三年間でいいですか? それ以降は知りませんけど」

「ええ、もちろんかまいません」


 そう言うや、ニコラは素早く契約書と羽ペンを呼び出した。

 音もなく現れた羊皮紙とペンが我が家の粗末なテーブルの上に置かれる。

 なんだか、悪魔と契約しているような気がした。


 一通りの記載を終えて、書類をニコラに返す。


 その瞬間だった。


 世界が、空間が、またたく間に歪んでいったのだ。

 めまいを覚えそうなほど強烈な体験。

 それから気付いた時には、見慣れない立派な部屋に立っていた。


 契約書を受け取ったニコラが、赤い絨毯の上をゆっくり歩き、豪奢な革張りの椅子に腰かける。


「学長の転移魔術です。今私たちは真学院の学長室に飛ばされたんです」


 耳打ちしてくるシエルに、俺は小さく礼を言った。


「それでは、これからよろしくお願いします。セイル・ウォーカーさん。あなたの担任はそちらにいるシエルさんになります」


「え? この子が担任? まだ俺と同じくらいの歳ですよ?」


「彼女は特別です。ほかのどんな魔術師よりも秀でた力を持っていますし、卓越した頭脳と判断力、行動力を持っている。一学生にしておくには惜しい存在です。かならずや、あなたの学院生活の助けになってくれるでしょう」


 それだけを言って、ニコラはあとをシエルに託した。


「えっと、よろしく」

「よろしくお願いします。では、さっそく勉強を始めましょうか」

「え?」


 耳を疑った。今日の俺の耳はどうかしているらしい。


「えっと、勉強って言った?」


 尋ねると、シエルは元気よく頷いた。


「もちろんです。真学院は魔術だけでなく、いわゆる基礎学力も重要視されています。せめて、教養として各学問を触るくらいはしておきましょう」


 きらきらとした目の彼女に促され、俺は学院の自習室まで連行される。

 まだ何も始まっていないけれど、これからの展望を思って、少しだけ憂鬱になった。

 大丈夫なのか、俺。

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