プロローグ
…空を仰ぐ。腰まである、黒く濡れたように美しい髪を持つ魔法使いと月を見る。
僕は…呟く。
「あの人は何がしたかったんだろう」
魔法使いは少し考えたかと思うとすぐに口を開いた。
「彼はね、『完全』を求めていたのよ」
「完全ですか? 完全って欠点がなく不足がない様子をさしますよね。それがどうして…その…」あんな行動に繋がったのか。
「ええ、あなたは正しいわ、優也。でもここでいう完全とは『完全』という概念よ。」
僕がますます分からないという顔をすると
「彼の追い求めた『完全』はね、全てがそろっているということなの。あらゆる概念を含んだ究極の一、それを手にして星の記憶に至ろうとしたのよ。」
「……」
僕は黙って話を聞く。
「でもそんなものはこの世には存在しない。完全であるということは、完全でないという概念を含んでいない。」
――それは、生きているという概念は死んでいるという概念を含まないように。
――存在するという概念は存在しないという概念を含まないように。
――僕という概念は、それ以外という概念を含まないように。
「彼は最後まで気付かなかった…そんな自己矛盾をおこしたものは存在できない…なんていう当たり前のことに」
魔法使いは月から目を離し、言葉を切った。
「さあ、帰りましょう。私たちには明日があるんだから」
振り返り、屈託のない笑顔で明るく言い放った彼女に僕は
「はい。帰りましょう、響子さん」
なんてかえして、彼女と一緒に歩き出す。
「おなかが減ったわ。帰ったらすぐに晩ご飯の支度をしてちょうだいね」と言われて僕は、そういえばそれもあったか、と内心苦笑しつつ
「はい、期待しててください」
そう、応えていた。
そうして僕たちは、一人の魔導師の終焉の地を後にした。