6.早退
「従兄さん……」
「何だ、病人?」
バックミラーごしに従兄さんと目が合う。その目は不満を湛えている。
「ごめん、デート中だって知らなくて……」
「……その件はもういい。さっさと寝とけ、酷ぇ顔だぞ」
「わかった」
そうして目を瞑りかけて。
「真白君、膝枕しようか?」
「……遠慮しときます」
「ざんねん」
助手席から振り向いた従兄さんの彼女──西野さんが言う。もちろん冗談だ。西野さんは助手席に座っているわけで、後ろの席に座っている俺に膝枕をすることは不可能。だけど──
「…………」
従兄さんの纏う空気が重くなる。
西野さんはそれを見つめてクスリと笑って、
「まったく。嫉妬しなくても、わたしはしゅんくんが大好きなのに……」
西野さんが何気なく呟いた言葉が静かな車内に広がる。従兄さんが顔を赤くして咳き込む。西野さんは自分の言葉に赤くなり茹であがってしまった。
……何を見せられてんだか。
その後、家に着くまでの十数分間は従兄さんの言う通りに寝ていた。決して二人の世界が甘過ぎて逃げ出した訳ではない。
§§§§§§
重い身体を起こす。窓の外から射し込む光で部屋は茜色に染まり、窓越しに烏が我が家ヘと飛んで行くのが見える。寝ている間にかいた汗で、身体に服が張り付いていて気持ち悪い。
……着替えたい。
もやのかかったような頭でそう思う。少し寝たので熱は引いているかと思えば、逆に悪化しているような気も。
「喉渇いたな……」
スッと、水の入ったガラスのコップが差し出される。従兄さんか、西野さんか。顔を横に向けると意外な人物が目に入る。
逆光でシルエットしか見えないが。
──雪野!?
「どしたんですか、センパイ?」
ひょこっと結われた髪が揺れ、聞き慣れている声が発せられる。
「なんだ、カラスか」
「なんだって何ですか! 看病してあげてたのに」
「………………看、病……?」
俺の部屋を漁ったのか漫画とラノベが床に積み上げられ、音楽プレイヤーからは俺の大好きなボカロPの曲が流れている。あれは、お小遣いを貯めて買った、音楽活動によってこの星を侵略している某星のボカロPさんのCD『Y』だ。その人のCDは『X』、『Y』、『Z』、『N』とコンプリートしている。他のボカロPでいくと、最近はだるいぜ系を生産しているボカロPさんのものも持っている。
……とにかく、誰が何と言おうと、どこからどう見ようと、だらける気満々の布陣だ。
「熱だしたなら熱だしたって言ってくださいよっ。いつもの場所にいなくて、ここまで来たんですよ? LI○Eで教えてくれればよかったのに」
「ごめん……」
「まだ、熱あるんですか?」
「え?」
「つらそうですよ」
「いや……」
……バレていた。心配をかけたくなくて、表には出さないように気をつけていたというのに。
「何年の付き合いだと思ってるんですか」
いつものうざい雰囲気がないのは病人である俺を気遣ってか。優しげな笑みを湛えてカラスは言う。
「はい」
スッとカラスの顔が近づいてきた。端正な顔立ち。黒く澄んだ瞳。絹のように肌触りのよさげな白い肌。鼻先と鼻先が触れかけて。……頬が熱を帯びる。生物学的に男に分類されるとしても、見た目は美少女。たとえ、慣れ親しんだ顔とはいえ、
「……やっぱり、顔赤いですし、具合悪いんでしょう? 意地張んないでくださいっ」
「痛っ!」
突然のデコピンに顔をしかめる。額を押さえてカラスを睨む。
「もしかして……男のボクに照れたんですか?」
「……そんなわけないだろ」
「え? 何ですかその間はっ?」
「もじもじしたまま言うな」
「「………………」」
気まずい沈黙が部屋を支配する。熱だというのに、カラスと一緒になって騒いでしまったからか頭が重く、鈍い痛みを放つ。
「……深夜テンションですし、仕方ないですよ」
「そ、そうだな」
「アハ、アハハ……」
「アハハハ……」
二人して顔を背け、ぎこちなく笑う。……そういや、今って夕方……。
あの黒歴史事件からどれほど経ったのだろうか。数分のような気も、数十分のような気もする。車が車庫に入る音が聞こえた。カラスによると「俊さんがポカリとか買いに行こうとしてるところに、ちょうどボクが来たんですよ。それで看病のために残るつもりで見送りに外に出てた佳奈さんも一緒に行きましたっ」とのことなので、二人が帰って来たのだろう。
「ただいまー」
「お帰り、従兄さん、西野さん」
「お帰り、俊さん、佳奈さん」
ドアを開けてずかずか入って来た従兄さんの手にはポカリやおにぎりの入ったエコバッグ。レジ袋が有料になってから、エコバッグが主流になっている。
「真白くんの大好きな、梅干しのおにぎりだよ」
従兄さんのあとから歩いて来た西野さんが言う。従兄さんの機嫌がよくなっているのは西野さんのおかげか。
「で、どしたのお前ら」
机の上にエコバッグの中身を出した従兄さんが言う。
「な、何もないデスよっ?」
「そ、そうだな、うん」
ご、誤魔化せただろうか。
「わかった、何かあったんだな」
「うそつくの苦手だもんね、真白くんも、カラスちゃんも」
その後、カラスは帰宅し、西野さんもしばらくして帰宅。夕日の沈んだ空は、どんよりと雲っていた。天気につられてか、センチメンタルな気分だ。ベッドに寝転んで右手を伸ばす。電気の光を隠すように。
……入学してから微かな引っ掛かりはあった。そして、今日の学校での反応。
推測が、確信に変わった。
……果たして、俺に、幼馴染みの──露草の手を取る資格はあるのだろうか。
いつの間にか、雨が降っていた。