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序章「テロ」

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

──ニーチェ


大日本帝国東京都港区六本木

駐日満州連邦大使館

2024年10月23日



 眠らない街、東京。立ち並ぶ高層ビルは煌々と明かりを灯し、街路樹の並ぶ道路の街灯、道を行き交う車、繁華街の看板の照明等、雲一つない空を見上げてもなかなか星を見ることは難しい。

 ここ六本木はかつて旧軍の軍事施設が複数置かれ、軍人の街だったが、戦後の整理によって赤坂九丁目の旧歩兵第1連隊、現第1歩兵連隊が練馬駐屯地に移転し、六本木七丁目の歩兵第3連隊もまた解体し、北海道の第二師団に移駐して再編されたことで今では四丁目の芝浦駐屯地のみとなっており、ビジネス街となっている。大規模複合商業ビルも立ち並び、繁華街としても賑わう一方で美術館も多く集積し、都内では上野に次ぐ文化・文芸の街としての側面もあり、現在は政府主導の防災都市としての整理も進められ、歩道も含めて道路は拡張されて余裕のある広さとなり、電柱の無い近代的な未来都市となっていた。

 そんな六本木に存在するガラス張りの近代的な四階建てのビルの正面玄関には制服姿の警察官二名が警杖を携えて立哨していた。

 満州連邦共和国の駐日大使館が設置されたこのビルの警備は、常に機動隊が張り付く赤坂の駐日米国大使館に比べると手薄に感じるが、米国は敵の多い国であるがための措置であり、同盟や重要度から警備が偏重されている訳ではなかった。

 警備に立つ巡査部長の田代陽介は大使館を出入りする人々の様子に目を配りながらも六本木の街並みに意識の一部を向けていた。今日は連休最終日で六本木は夜も買い物客で賑わっていた。アベックも多く、独身の田代は彼らの様子に嘆息を禁じえない。

 警察官の業務は多忙だ。しかしながらこうして警戒のための立哨という長時間に渡って同じ姿勢で立っていなくてはならない非生産的な職務もある。警察官勤務六年目の田代は慣れてきた分、力の入れ処を心得ていたが、隣に立つ山口武文巡査は顎を軽く引き、目を細めて肩に力を入れた様子で警戒していた。責任感旺盛だが、昼間から力を入れている分、夜の勤務態度が落ち込むので田代は山口とペアを組む時は夜間、山口以上の警戒心を持つように意識していた。


「田代先輩」


 そんな山口が声をかけてきたので、田代はすっと身構えた。真面目な山口が立哨中に私的な用件で話しかけてくることは無かった。


「どうした?」


「今日清掃業者が入る予定はありませんよね」


「うん?ああ……」


 六本木から大使館前の通りを見るとトヨタ・ハイエースのロングバンが止まり、中から作業服姿の男達が出てくるのが見えた。スライドドアを開け、ダッフルバックを担いで準備している。


「しかも駐停車禁止路側帯だぞ……ったく」


 田代は悪態を漏らしながら彼らへ声をかけようと警杖を持ち替え、制帽を被りなおす。そして顔を上げた先に見えた光景に目を疑った。

 降りて来た男達の手には黒い自動小銃が握られていた。堂々と道路上で銃を取り出し、こちらに向かって歩いてくる所だった。


「動くな。豆鉄砲で何が出来る」


 山口が腰の拳銃に手を伸ばしたのを見て作業着の男が自動小銃を向けつつ言った。周りにいる一般市民はまだ状況を把握しておらず、映画の撮影か何かだと思っているのかスマートフォンを向けている。


「山口、早まるな」


 田代も思わず声をかけた。男達に逆らって発砲されれば自分達が死ぬだけならまだしもまだ危機的状況を理解していない一般市民を巻き込む恐れがあった。

──ここは六本木のど真ん中だぞ

 豆鉄砲というのも的を射ていた。今田代が携帯している拳銃はいわゆるリボルバーと言われる回転式拳銃の〈S&Wスミスアンドウェッソン〉社製のM360Jで、装弾数は非力で防弾衣を貫徹出来ない9mm口径の.38スペシャル弾五発のみだ。その上、常時携行の負担にならないよう軽量で銃身も短く、自動小銃と撃ち合えばどうなるかは火を見るより明らかだ。


「くそ……」


 真面目で一直線の山口もそのことは理解していた。田代は為す術もないことに歯噛みしながらも胸につけた送話器ではなく、男たちから見えない腰の無線機本体の送話ボタンを押して通報を試みようとする。作業着の男達は二人に近づくと突然、催涙スプレーを噴射してきた。

 二人が呻き声を上げる中、男達は大きなケースを二人一組で持ち、堂々と正面ゲートからビルの中へと入っていった。




『至急、至急。港区警察署管内、駐日満州大使館にて立て籠もり事案発生。マル被は複数人、銃器を所持。各PM、PCにおいては受傷事故防止、格段の留意の上、専門対処部隊が到着するまで、マル被の現場固定化に努めよ』


 六本木のビル街に存在する満州大使館前には複数のパトカーが駆けつけ、機動隊の輸送車から降りた機動隊員達が避難誘導に当たっていた。投光器が準備され、警視庁航空隊のヘリが旋回している。ビルからは大使館やその他一般企業のオフィスにいた人間達が続々と出てきて警察官の誘導で避難していく。


「すぐにSATが来る。テロ対策班はあのビルに入るだろう。狙撃手は、あのビルの屋上だな」


 その様子を眺める者達がいた。六トンの冷蔵車を背にシュタイナー社製の双眼鏡を構えた黒いコートを着た中世的な顔立ちの青年の解説を聞いたすらりとした長い足を黒いスラックスで包み、細い体の線を無骨な黒いジャケットで隠した端整な顔立ちの若い女は腰に手を当てて頷いた。


「俺達に出番があるんだろうか。SAT(サット)でも制圧できそうじゃないか」


「SATが介入すれば解決出来るのは間違いない」


 警視庁の対テロ部隊である特殊部隊(SAT)は、全国に編成されたSAT及び内務省の特殊部隊等と実戦経験や教訓を共有しており、軍の特殊部隊以上に蓄積されたノウハウがある。


「でも、警察の対テロ対応はここからが長いのよ」


 そう言った女は背後の冷蔵車の荷台に乗り込む。冷蔵車の見た目とは裏腹に荷台の箱の中身はさながら作戦指揮所だった。ドア側にはチャート台が設置され、奥の右側の壁はコンピュータコンソールと通信機で埋められ、二名の通信担当要員の若い男がそれに向いている。


「新たに判明した事項はある?」


「犯行グループですが、内務省公安部はウイグル解放同盟のメンバーではないかと」


「ウイグル解放同盟?聞いたことないな」


「中国支配下の新疆ウイグル自治区を解放することを目的とした政党だ。政治よりも戦闘に中心を置くことを主張している過激派グループで、ウルムチ市での騒乱等に関与してる」


 背後のドアが開き、別の男が乗り込んできて言った。背は一七七センチの痩せ型。黒い短髪のツーブロックに冷めた目付きでマットブラックのライダージャケットを羽織り、下はグレーのシャツに黒いスーツパンツ姿だった。


「お疲れ様です、桂城(かつらぎ)班長」


 女が挨拶すると覇気の無い表情の桂城清太(せいた)は頷いた。


「遅くなった。 篠崎(しのざき)が見張りにつくのは不適だな。職質をかけられるぞ」


 桂城がそう言うと女は苦笑した。


「目付きが悪いからですか」


「それに姿勢が良すぎる。参謀本部での勤務はどうだ、早瀬(はやせ)


 声をかけられた女、早瀬(ともえ)は作り笑いを浮かべた。


「スパイの真似事はうんざりです。支援だけでなく、正式に班に加えて欲しいのですが」


「篠崎もか?俺に人事権は無い」


 桂城は肩を竦めるとチャート台に向かい、ヘッドセットを取った。


00(マルマル)、現着した。全員聞いているな」


03(マルサン)よし』


04(マルヨン)よし』


06(マルロク)よし』


 各組からの応答を聞きながら桂城はタッチパネルのチャート台に表示した画像をめくる。


「大使館立て篭もり事案だ。武装したテロリストが大使館を占拠した。人質の人数は不明。武装犯は以前から内務省公安部にマークされていたウイグル解放同盟のメンバーが複数確認されている。ウイグル解放戦線の意図は不明だが、大量のC4爆薬を大使館内に持ち込んだようだ。奴らの乗っていた車から爆発物マーカーの反応があった」


「爆薬?」早瀬が聞き返す。「それってSATが突入したら不味いんじゃ……」


「犯行声明を出していない謎の武装勢力が日本の満州大使館で警察を巻き込んで自爆する。どこが怪しいと思う」


「利益のある国は……中国ですか」


「どうしてそう思う?」


「日本と満洲、両方の顔に泥を塗れる」


「だが、それだけだ。奴らの真意は不明だが、警察を巻き込んで自爆される訳にはいかない。たたでさえ国際問題だ。これ以上日本の威信を失墜させることは国益を大きく損なう」


「我々がやるわけですね」


 桂城は頷いた。


「法的権限は?」


「今のところ治安出動下令(T)前の情報収集(前情)だが、政府は早急な解決を望んでいる」


 早瀬は腕組みをして鼻からため息を漏らす。


「内務省と警視庁の縄張り争いで到着が遅れているが、SATが向かっている」


「内務省の治安作戦機動隊(CIR)も動いているのでは?」


「当然動いているだろうが、どちらの介入よりも先に我々で事態を解決する」桂城はそう言うと大使館の見取り図を電子チャートに表示する。四階建ての大事件の見取り図が立体型式で表示される。


「大使館へのルートは四つ。正面入り口、裏口、非常階段、屋上だ。どんな様子だ」


『現在、警視庁の機動隊と銃器対策部隊が大使館を包囲してます。立て籠もり対応の手順通りです。報道管制が敷かれ、規制線がさらに外に設定されています。報道関係者を締め出し、一般人の退避と報道管制の確認後にSATが非常階段と屋上から突入するようです』


 若い男の声がヘッドセットから聞こえてくる。


「館内の状況は?」


『監視カメラは外部とのアクセスを絶たれています。警視庁の捜査員がVES(ヴェス)(振動性音響探知装置)で調べ上げてますが、テロリストの数は八名。人質は十八名です。人質のうち六名は非常階段のドアの前に立たされています』


「偽装バンに戻れ。“作業”を始める」


『了解』


 桂城は早瀬と顔を見合わせた。早瀬の表情こそ変わらないが、言葉に反応した目は深い湖のように澄み切っていた。


「共同溝から入れなくもないと思いますが、時間はかかりますね。どこも警察だらけです。どうしますか」


「SATに偽装して入るときも出る時も、正面から入る」


 桂城の言葉に早瀬は正気かと言わんばかりに呆れた顔をした。


「至ってシンプルな作業だ。奴等が爆薬を起爆させられないよう、広域ECMをかけた上で電源を落として正面と屋上から突入する」


 車内の通信要員達が顔を上げる。


「作業は、早瀬と篠崎、甲斐(かい)と俺、千葉と黒岩のツーマンセル、三組だ。早瀬と篠崎はヘリから屋上に降りろ。連中も屋上に降りたくらいじゃ起爆しないはずだが、二名は正面からの突入の前に爆薬を見つけ出せ。連中に自爆の暇を与えるな」


「責任重いですね……」


 早瀬は溜め息をつく。


「他の二組は正面からSATに扮して突入だ。爆薬を確保し、テロリストを全員制圧したら屋上からピックアップして離脱する」




 黒のランドクルーザーRV車が大使館周辺に張られた規制線へ近づく。警戒に当たっていた巡査はそれに気付くと腰の警棒がばたつかないように押さえて駆け寄った。間も無く警視庁の特殊部隊が到着するため誘導せよとの指示が無線より入っていた。普段保全上、SATは一般の警察官にすら行動を秘匿しており、巡査はその姿を間近で見たことがなく、興味も混じっていた。

 パワーウィンドウを開けなくても乗っている者たちがただならぬ人間であることは分かった。

 黒い目出し帽(バラクラバ)に青鈍色のツナギを着て警視庁機動隊のマークが刺繍されたアポロキャップを被った男たちが乗り込んでいて、その視線は興味の無さそうな無気力に見えて冷たかった。

 反射的に巡査が敬礼すると助手席の男が敬礼した。


「制圧班だ、車を回したい」


「案内します!」


 制服警官の気合いの入った返事を聞いて内心苦笑した桂城は運転する千葉英次(ちばえいじ)一等軍曹に顎でついていけと示した。

 千葉は無言で頷くと巡査がどけてくれた規制線のテープを潜らせる。

 桂城以下四人はSATが使うものと同じ難燃性のツナギに着替え、目出し帽を被って二輛の黒のランドクルーザーで現場へと乗り付けていた。

 一般の警察官はSAT等ほとんど見かけることは無いため、本物と区別がつけられないだろうというかなり警察官の能力頼みの作戦で、念のため偽装書類や手帳も用意していたが、それすら必要なかったことに車内の男たちは拍子抜けしていた。

 車内の男達はSATと言われても疑わない雰囲気を持っていた。

 運転する千葉は陸軍海上機動団出身で出向している身だった。陸軍幼年学校卒で二十代にしてすでに一曹の上、近接格闘戦からレンジャーが行う遊撃戦まであらゆる作戦に対応できるオールマイティーで優秀な戦闘員である。

 後続のRV車に乗る者たちも軍人や内務省出身で戦闘員としての能力は高い。

 また今はヘリに移動した早瀬と、その相棒役の男、篠崎(ゆたか)もまた陸軍軍人だ。早瀬は第一空挺団の凖特殊任務部隊(SMU)である情報中隊の隊員で、篠崎は内務省公安部の諜報機関から陸軍の情報戦部隊である現地情報隊に転属した異例の経歴がある。

 ランドクルーザーを大使館の目の前にあるビルのそばに停めると制服の警察官が駆け寄って来た。


「SATの制圧班だ。進入経路を確認したい」


「こちらです」


 桂城が偽装した警察手帳を掲げると制服警官は案内してくれた。装具が収まったキットバックとナイロン製のガンバックを持ってそれに続く。

〈H&K〉社製のMP5F短機関銃を胸の前で保持した銃器対策部隊の隊員達が列を成して大使館の目の前の建物内に流れ込んでいくのに合わせて桂城達は中へと入った。

 一階フロアには捜査員らが大勢おり、機動隊と共に入ってきた桂城達に注意を向ける者はいなかった。




 シコルスキーS-70ヘリコプターが大使館の屋上に接近する。水色と青の機体にオレンジのラインが入った警視庁航空隊のAW139ヘリコプターが旋回する中、堂々とS-70は大使館の屋上に存在するヘリポートへ降下してきた。


「SATか?」


 AW139のパイロットはS-70を見て呟いた。

 S-70は三菱によってライセンス生産され、陸海空軍他、内務省や国土交通省、警視庁でも採用されている米国シコルスキー社が開発した軍用ヘリだ。降下してきたダークグレーに塗られたS-70は接地寸前に着陸灯を点灯し、ギアをわずかに屋上に設置させると二人の人員を下ろして再び上昇する。





 六本木駐日満州連邦共和国大使館


 満州連邦外務省職員の真渕久恵(まぶちひさえ)は三十六階の中央付近に位置する会議室内で壁に向かって立たされていた。しかしながら真渕の目の前にはアクリルの額縁に入った世界地図があり、それに反射して部屋の様子がおぼろげながら窺えていた。

 満州は第二次世界大戦の末期、日本が米国と講和し、ドイツ第三帝国が降伏した頃は日本の傀儡国家に過ぎなかった。その後、日ソ不可侵条約を破って侵攻を開始したソ連及び中国共産党と共産勢力台頭を阻止しようとする米国との戦争に巻き込まれ、結果一九五三年までの長きに渡って戦場となった。

 満州国はその後、国土を大幅に縮小し、米国による支援によって新しい親米政権による五族協和を掲げる連邦制民主主義国家を成立させ、現在に至る。しかしながら日本の影響は強く、帰化した元日本人が政権運営にも大きく関わっており、真渕を初め、日系満州人は多かった。

 テロリストの男達は最初こそ怒号を浴びせてきたが、今は落ち着いていた。顔立ち等から最初は満州人かと思ったが、彼らの交わす日本語には中国語訛りがあった。満州の公用語は日本語及び満語(標準中国語)だが、満州国の名残で公庁及び軍での第一公用語は日本語であり、民間でも便利さから主に日本語が使われていた。そのため彼女はテロリストたちが中国系の人間だと確信していた。

 見張の男が左右に体重を移動させ、揺れていた。


「集中力を切らすな。交代は必要か」


「トイレに行きたい。頼む」


「よし」


 男達は交代で人質を見張っている。この会議室に運び込まれた箱から伸びるコードの先に繋がれたスイッチが握られていた。手には自動小銃、拳銃も帯びている。立ち振る舞いは軍人そのものだった。

 その時、会議室の電話が鳴った。

 トイレに向かおうとしていた男とスイッチを握った男は顔を見合わせ、見張りの男が顎をしゃくって示し、トイレに向かおうとしていた男が電話を取る。電話を取った男は受話器を耳に当てたが、怪訝な顔をして受話器を離す。


「どうした」


「いや……無言電話だ。警察が――」


 刹那、突然の停電が訪れた。この階の照明という照明がすべて消え、会議室が闇に包まれる。遅れて非常口のライトが鈍く光った。


「警察が来るぞ!」


 スイッチを握った男が叫んだ時、真渕は背後から生暖かく鉄臭い液体や柔らかい固形物を叩きつけられるように浴びた。壁に飛び散ったそれはどす黒い血肉と骨の欠片だった。


「キャアアッ!」


 真渕は反射的に絶叫する。重たい体が崩れ落ちる音が聞こえ、思わず振り返る。暗く真渕の目では見えなかったが、背後にいた男の顔は横向きになっていて、目と目の間から血が流れており、後頭部は激しく損壊して砕けた脳が露出していた。


「ジャックポット」


 不意に会議室内に声が聞こえた。


「二名排除。爆破薬確認。デッドマンスイッチだ。スイッチを押す前で良かった」


 その声は若い女の低く抑えた声だった。その冷たさにぞっとする。なんの感慨も無い、無機質な口調だった。暗闇の中を動く気配だけがした。非常灯の淡い光が一瞬だけ声の主を照らす。顔をヘルメットと昆虫のような夜間暗視眼鏡、そして目出し帽で覆った黒づくめの二人組が会議室を滑るように出て行くところだった。




 桂城の他、三人は電気が落ちる前に大使館の正門を潜って大使館の正面玄関に向かっていた。警察が使用する防弾盾と拳銃を構えた甲斐と黒岩の背後で桂城と千葉はSIG MPX SBR小銃とHK416J小銃を構えていた。

 SIG MPX、HK416J共に日本軍の制式小銃弾である6.5mm弾を使用する日本仕様の短銃身小銃(カービン)だった。桂城の持つドイツ〈SIG〉社製のMPX SBRは特に二二九ミリの銃身長のコンパクトモデルで、千葉の持つHK416Jはドイツ〈H&K〉社製のHK416Dカービンの日本仕様よりも短い。

 四人とも暗視装置を着用し、正面玄関を目指す。


「事件発生から一時間、トラップを仕掛ける暇もあったはずだ。入口の前にクレイモアでドカンだったら目も当てられないな」


 左側の角で盾を構えた黒岩が呟くようにぼそぼそと言った。


「だから三十キロもある盾を持たせてる。それよりも人質が立たされていたら、盾で押し退けて一気に射線を確保する必要がある。そっちを気にした方が良い」


 右側の角でHK416Jを持った千葉が答える。盾は全長百六十センチもあり、上部に視察用の防弾ガラスがはめ込まれている他は防弾素材で出来ており、分厚いものだった。盾を持った甲斐と黒岩はすでに汗をかいている。


「着くぞ」


 桂城が囁くように言った。エレベーターの速度が落ち、三十六階にたどり着く。


『電源切断完了』


 無線に声が聞こえると同時にエレベーターの扉が開く。


「行け」


 扉が開き始めた瞬間、甲斐と黒岩が進み出る。扉の向こうは闇に包まれ、エレベーターホールに展開していた男達が動揺している姿がGPNVG-18暗視眼鏡を通して見て取れた。

 盾を持った二人がエレベーターホールに進み出て入口の両サイドに分かれる。サプレッサーを付けたHK416Jがまず鋭くくぐもった発砲音を響かせる。桂城もまたテロリストを見出し、MPX SBRに取り付けたレーザー照準器を点灯させて照準し、引き金を絞る。

 圧縮空気を短く吐き出すような音と小銃の作動音が響き、6.5mm徹甲弾がテロリストの胸を貫く。盾を構えていた甲斐もサプレッサー付きのSIG P226を発砲し、自動小銃を構えようとしていたテロリストの胸を血で染め、さらに顔面に二発の9mm弾を叩き込んだ。

 エレベーターホール内にいた三人のテロリストが瞬く間に射殺され、甲斐と黒岩は盾を捨ててMP7A1機関拳銃を構える。


『二名排除。爆破薬確認。デッドマンスイッチだ。スイッチを押す前で良かった』


 早瀬の声が無線に聞こえる。早瀬と篠崎は懸垂下降で屋上から三十六階まで降り、ガラスを切って潜入し、停電と共に爆破薬を仕掛けていると推測されたフロア中央の部屋を攻撃したのだ。


「了解。フロアを反時計回りに前進。人質を確保しろ」


 桂城は無線に吹き込むと千葉と黒岩と分かれ、甲斐と共にフロアを左に進んだ。一気に前進し、闇に包まれたフロア内の部屋を回って捜索する。




 非常階段に配置についていた銃器対策部隊の隊員達は突然の停電にも暗視装置を装着して対応する。


「SATが突入を?」


「まだ到着すらしていない筈だぞ」


 MP5Fを持ったERT隊員達が動揺している中、非常階段を新たな隊員が駆け下りて来た。

 

「SATに成りすました連中が突入を始めた!突入に備えろ!」


 冴本が声を張る。対策本部に問い合わせたが、該当するSATはまだ現着していなかった。航空隊が飛び去ったヘリコプターの所属を確認しているが、該当機は軍にも内務省にも存在しなかった。


「何が起きているんですか」


「分からん」


「一階から連絡が。エレベーターが動いています!」


 ERT隊員が叫んだ。


「馬鹿な。エレベーターは止めたはずだ。テロリストか?」


「エレベーターは三十六階で停止」


「くそ。本部に突入の許可を要請しろ」


 冴本たちが焦燥する中、闇に包まれた三十六階は相変わらず静かだった。音響振動探知装置で偵察していた捜査員たちが顔を見合わせる。


「中で銃声が」


「くそ!」


 冴本は颯爽と現れ、颯爽と懸垂下降していったSAT技術支援班と名乗った二人組を思い出して悪態をついた。




 フロア内を五分で掃討した桂城達は合流するとエレベーターに乗り込んだ。テロリストは全員殺害し、顔写真や指紋などを採取したが、人質には一切干渉していない。


『警察はSATを待って突入するようです』


「現場が理性的で助かったな」


 一階では捜査員達が待ち構えている筈だ。桂城達はエレベーターに乗り込むと天井救出口を開けてエレベーターの天井に登り、一階までエレベーターを降下させた。一階に着くの待つ間に抜弾して武器を分解して装備品と共にバッグに格納する。お互いに不自然な所が無いことを確認し、エレベーターの到着を待った。

 一階に到着したエレベーターの天井から二階に登ってエレベーターシャフトを出た六人は大慌てで駆け登っていく捜査員や銃器対策部隊の隊員らをやり過ごして階段から一階に降りる。混乱する捜査員達を尻目に桂城達は正面玄関を出て止めた車の元へ向かうと現場を後にした。

 規制線を張る制服警官は現場から出る警察車両には敬礼をして道を開けてくれた。









 作業とは、その組織においてはありとあらゆる手段で敵対する組織に対抗することを意味する。

 桂城達は大日本帝国国防省情報本部《DIH》内に非公然に編成された「調査作業部」に所属していた。調査作業部は日本の国益を守る超法規的特殊部隊だ。諜報活動の他、国内外の日本の脅威に秘密裏に実力で対抗する非合法作戦(ブラックオプス)を担当しており、国益・治安を侵害する事態に対して、「超法規的対処活動」が認められている。




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