私と彼女のMidsummer
私が生まれたのは約30年前のこと。宮城県仙台市で生を授かり、そこで育てられた。私は小さな時の記憶は曖昧だが、その時は両親や弟に気心の知れた友に囲まれて過ごしていた光景はぼんやりと思いだす――
私にとって悪い意味で転機となったのは小学2年生の時のことだ。父の仕事の関係で仙台市から栗原市のお家へ引っ越した。元々内気で変わり者な私だからか、友達は全くできず退屈な毎日を過ごした。気がつけば嫌われ者になり、嫌がらせを誰からか受けるようになった。味方になろうとしてくれた担任教師や生徒もいたが、私は嫌気がさして教室を飛び出した――
学校をさぼっては栗原の大自然を満喫した。やがてお巡りさんに捕まって家に連行された。そして父と大喧嘩したのはだいぶ昔の話だけど、なぜだろうな。今でも目を閉じれば鮮やかに蘇る――
不登校児となった私は祖父母のいる七ヶ宿町へと流された。「社会不適合者」と言われても仕方ない。祖母と家事やら農業やらの手伝いを日々した。時間が空けば、家の周りを散歩して大自然を満喫した。
「由紀那は真面目だな。勉強しないはいだますいな」
風呂上がり、1日を終えるごとに祖母は近くのスーパーで買ったのだろうポンジュースをだしてくれた。祖母からみて私は仕事熱心だったらしく、その性格が不登校児に相応しくないとよく諭してくれた。
その慈悲深い眼差しに私はいつしかやられていた。
私は小学高学年になって学校に通うようになった。学校に通いだす前から少しずつ勉強を始めてはいたが、いざ通うようになると人何倍勉強するようにした。難しい性格もあり、独りぼっちの空間で過ごしがちだった私でも自然と同じような雰囲気の友人もできた。
中学生になった時に七ヶ宿町を去る。別れの時に祖母とは長い抱擁を交わした。
嫌な思い出が残る栗原。でも私に嫌がらせをする奴はしなくなったのか、もしくはいなくなっていた。
記憶なんて曖昧なものだ。私は思いだしてここに綴ったことが全て事実だとは思わない。私の誤解がどこかで生じているのもかもしれないし。でも私が少女であったあの時、私が栗原を離れて七ヶ宿で祖父母と過ごしたこと、中学生時代になって栗原に戻ったことは事実だ。このときに1番驚いたのは母親が私を生んだ母親でなくなったことだ。私はただ目を丸くするだけだった。
向き合いたくない事実が誰しもにあるのかもしれない。
久しぶりに会う弟はさらに幼い弟とじゃれあっていた。
さて、ここまでの話はプロローグに過ぎない。この物語はここから本題に入る。ここから私「榎本由紀那」の始まりだと思って欲しい。
どうしても好きになれない家を飛び出したくて、私が受験した高校は仙台市にある女子寮付きの学校。かなりの進学校で、生徒によっては早稲田慶応に合格する者もときどきいる学校だ。変わり者で勉強好きだった私はそんな学校でも常に勉強に集中した。友人もほどほどに作り、恋愛もほどほどにした。
英語の勉強が好きだった私は国際交流を趣旨とした部活に入部し、そこで色々他校の友人を作ることもあった。私が付き合った元カレらとの出会いもこの部活動がキッカケだ。
私は当時付き合っていた彼氏とよく仙台市天文台へ遊びに出掛けていた。当時それは西公園にあった。今では錦が丘に当時よりも立派なものが建っている。
私は恋人とプラネタリウムをみあげて語り合うことが好きだった。
「あれが冬の星座だごだ」
「へぇ~そうなのか」
「オリオン座さベテルギウス、左下まがってみると……」
「ねぇ、由紀那ちゃん、もっと楽しくて気持ちいい事をしようよ?」
「ぬさ、私の話何も聞いてねぇだな?」
「え? 星座の話だよね?」
「ばんかけで厭らしいことばりでごしぇっぱらやける! しゅう君」
「え? あ? 何?」
「別れっか」
こういう感じで私の恋愛は呆気なく終わる事が多かった。私が性的な事ばかり夢中になる男を嫌っていたのもあるが、私が育ちながらに訛りが抜けないコンプレックスもあって長続きしなかった――
私はクラスで1番と言わずとも、それなりの成績を残して東京の女子大へ進学した。大学生になっても語学や異文化への興味はおさまらず、私はスウェーデンのとある地方へ短期留学というかホームステイをする機会を得た。
ヘルシングランド地方にあるハルガ村という村で1カ月を過ごした。季節は夏、スウェーデンでは夏至祭が国中の至るところで行われるシーズン。
私がお世話になったのはオーグレーン家という一家のお家だ。私と年齢が近いアデラとはよく話した。彼女はオーグレーン家の次女で私より2つ3つ年上のお姉さんだった。私が滞在した時期はちょうど夏至祭にむけてスウェーデンの町々が賑わう時期だ。内気な長男と三男は家業をせっせと手伝っていた。
『ユキナ、あなたは日本に彼氏がいるの?』
『え? 何よ? 急に?』
『友達同士ならこういうことを聞くのは普通じゃない?』
『そう、今はいたりしないわ。今はフリーよ?』
『素晴らしいわね。じゃあ花冠作りましょう!』
「へ?」
アデラは急に私の部屋から離れたかと思うと、どこからともなく摘んできた花やら草やらを私に渡してきた。スウェーデンでは恋の成就を願って7種類の花を摘んで枕元に置いて寝ると、夢にでてきた人と結ばれるという伝承があるらしい。
アデラ曰く彼女には婚約者がいると言うので私に教えたとのこと。
押しつけかよ。私は苦笑いしつつ、いつしか本当の笑顔になれた。
その夜、私はある男性を夢のなかでみた。その次の夜も。また次の日の夜も。
そして待ちに待った夏至祭のその日、その象徴である柱の周りをアデラと何周も踊ってまわった。
アデラの笑顔は太陽に照らされて何よりも輝いて眩しかった――
彼女は嘘をついていた。彼女はその2年後息をひきとった――
彼女には婚約者なんていなかった。彼女は不治の病に侵されていた。
知らせを聞いた私はスウェーデンへすぐに向かった。
彼女の葬式には間に合わなかった。
ただ『嘘つき! 嘘つき!』と私は彼女の墓のまえで泣き叫んだ――
年月が経つのは本当に速い。瞳を閉じて開けた一瞬で物事は何もかもが変わる。そんな哲学だか科学だかの話を本で読んだことがある。
それでも苦しい時は絶え間なく長く感じるものだ。
私は大学を卒業して1年の浪人生活を遂げた後、栗原市の職員になった。市の職員となって間もない時にあの未曾有の災害とでくわす。
栗原市も甚大な被害を受けた。波に何もかも飲みこまれてしまった地域に比べればそうでもないかもしれない。それでも国道沿いでは大きながけ崩れが起きて、地域にある物は様々な物が破壊された。そして残念ながら死者も報告されていた。
まだ3月の宮城は寒い。栗原市の中心街はわりと早く電気が復旧したものの、ホームセンターでは水を入れるタンクを買う人々が視界におさまらないほど列を作っていた。「不安」なんて言葉では足らない「絶望」があった。
いつからだろう。人々は「復興」という言葉を口にするようになった。
幸い私の家族や特別親しい友人は仙台にいて無事であった。それでも私は軽々しく「復興」だなんて言わなかった。言えなかった。
だけど心のどこかでは「希望」を持っていたくて。私は生きていた。
あの震災から約3年が過ぎて、栗原のとある地域が6月にちょっとした夏祭りを催したいと市に申しでた。私はその担当で町役場へ伺った。
そこには町内会の責任者である壮年の方々と懐かしい顏があった。
「しゅう君?」
「榎本さん?」
それは私が高校時代に付き合っていた元カレだった。聞けばあれからこの町で飲食店を営むようになり、町内会の青年局長になったようだ。皮肉にも彼は結婚していた。子供も2人いるらしい。そしてすっかり訛りの入った男になっていた。
鶯咲地区で新たに任命された村上町長は明るい性格が持ち味らしく、その性分から新町長として「オリジナルの夏祭りをしよう!」と特に何の計画もないまま話を打ちだし、町の人々も何の理解もないままトントン拍子で話が進んだそうだ。
私は普通なら「何も思いつかないならやめましょう」と諭す立場だ。
しかしこの時は違った。
「それなら私に面白い考えがありますよ!」
私のほうこそ突拍子もない言動があったと思う。しかし、それが私には妙案に思えて仕方なかった。「参考資料を持ってくるので」と話し合いを翌日にも設けた。
翌晩、鶯咲の町役場で私はスウェーデンの夏至祭を町内会役員一同に紹介した。そしてこれをやってみてはと提案した。
案の定嫌がる声があがった。
「こんなめくさい儀式やんだ」
「この柱みろ。おしょすい形して」
しかし私は私の思いだしたくもない過去を持ち出して反撃した。
「この期に及んで厭らしい話をするのってどうなのよ?! いつもアンタは私が話す事を聞かないで、そんな話ばかりして!! アンタの脳味噌を疑うよ!!」
私は立ち上がって元カレの額のすぐ間近を指さした。
「きみら付き合っていたでがすべ?」
「はい、そうです!」
「え? いぎなし何」
「元木君、おしょすいごだ(笑)」
「おもしぇ話だな!」
私はこの場の空気を掴んだ。そして矢継ぎ早にその企画の面白さを伝え、未だかつてやった事のないプロジェクトへと1歩踏みだした――
小さな町とそこに携わる役人の安易な思いつきは簡単に町の人々には受け入れられなかった。それでも私達の情熱は何故か止まらなかった。私は自分のPCで私達が立ちあげようとする「鶯咲夏至祭」のホームページを作った。他にも私にできることは何でもしようと励んだ。
その数日後、宮城県の民放報道機関から2社、そして新聞機関から2社からも取材を受けることとなった。元々日本にはない文化であり風習を衒った企画だ。「企画倒れ」なんてことも考えられる。それでも私は何故か止まらなかった。
私はスウェーデンのオーグレーン家へ数年ぶりに連絡した。あの震災があった時に心配の声をかけられたぶりだから、約3年ぶりか。私は私がこれからしようとしていることを彼に話した。彼は驚いていたが喜んでもいた。
鶯咲夏至祭の日にオーグレーン家の長男が来日することが決定した。それから数日後にはスウェーデンの報道機関の人が彼についてくることもわかった。いよいよ逃げられなくなった。私や村上町長は盛り上がるも、町はこれといって全然静かでいつもと何も変わらなかった。鶯咲は勿論その周辺でも夏祭りは毎年様々なところで開催されており、新しく祭りを興す必要はないのだ。私に企画倒れの懸念はあった。不安もあった。それでも何かが私を動かしていた――
鶯咲夏至祭は鶯咲にある広い公園で行われた。役員を含めて参加者は50……何とか60に達しそうな規模だった。これを企画倒れと言っていいのか、成功と言っていいのか。私にはわからなくて思わず苦笑いをした。
それでも祭に参加した者はみんな笑顔で柱のまわりを踊っていた。それを撮る記者たちも満面の笑みを浮かべていた。私はみて楽しんでいるだけのアルビン・オーグレーンの手をとって踊りに誘った。彼は照れ笑いをしながらも応じた。
私は彼の瞳をみて私に多くを与えてくれた彼女を思いだした。そしてあのとき、夢にみた男性をハッキリと思いだした。
『こんなにカッコよくなったのね。アルビン』
『それって君のことじゃない?』
『ねぇ、私が冠を作っていた時にずっと夢でみていた人がいたの』
『それはいつの話だい?』
『アデラが教えてくれた。その夢にでてきた男性がアナタだって言ったら信じてくれるかしら?』
『突然だな……』
『ねぇ、あなたスウェーデンに彼女いるの?』
『いないって言ってくれたら信じてくれる?』
その一瞬で私たちは恋におちた――
私たちが興した「鶯咲夏至祭」は結局新聞や雑誌の小さな記事に載るぐらいで終わった。村上町長もお礼を言われたが、やはりその規模は思ったような結果を伴われなかったらしい。それでも何故だろうな。私は何一つ悔いが残らなかった。
私はその秋に祖国を発った。翌年にはオーグレーン家の嫁になって、スウェーデン国籍を取得した。なんて破天荒な人生なのだろう。よく自分でも思ってみるけど、それでも私はこんな自分が誇り高い。
私がスウェーデン人となって数年後、とあるテレビ番組に私は出演した。日本人からスウェーデン人になった経緯よりか「鶯咲夏至祭」の話を伺いたいようだ。だけど私はアデラの話ばかりを強調していた。
嘘つかれて大嫌いになった筈だった。それでもやっぱり私は貴女が好きだ。
ああ、そうだ。アデラ。アデラに話したいことがあった。
日本に残してきた思い出があるの。
アルビンと新しい仙台展望台や光のページェントへ足を運んだことじゃないわ。
鶯咲夏至祭の片づけが終わろうとした時のこと。
小さな女の子が公園に残っていた。もう夕日が沈んで落ちようとして時のことだったわ。「こんな遅くまでいたら危ないよ」と話したけど、彼女のパパとママがまだ公園に残っていると話してきて。それでね……
「またこのお祭りするの?」
「そうね、またできたらしたいよね?」
「うん! またして!」
「ええ、でもこれを覚えておかなきゃ」
「え?」
彼女の頭には草と花の冠があったわ。それはそのコが作ったにしては見事な冠だったけど、少しだけアドバイスしたの。
「7種類の花を摘んで枕元に置いて寝ると、その夢にでてきたことが叶うのよ。でもその為に頑張ることを決してやめないで」
「うん! 私がんばる!」
「よし! がんばろう!」
空は紅く染まって夜になった。私はそっと彼女と両親の合流をみとどけた。
ねぇ? 私って間違ったこと言った? でもこれって嘘じゃないでしょ?
敬愛するアデラ・オーグレーンへこの物語を贈る――
ユキナ・オーグレーン
∀・)読了ありがとうございました!「ご当地になろうフェス」へボクが贈る作品になります!鷲咲という町は実際にはありません。ここは配慮したほうがいいかなと思って架空の町にしました。わかる人にはわかると思うんですが、某ホラー映画でとりあげられた夏至祭を題材にヒューマンドラマにしました(笑)ボクだからこそやってのけた遊びですが、物語はフィクション。夢を膨らませてなんぼのものと思ってます。「ご当地になろうフェス」を主催するボクも由紀那ごとくドキドキなんですけど、彼女みたく堂々とやり遂げたいと思ってます。本企画ではもう1作書きあげる予定です。お楽しみに☆